
こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。
今回は「政府は私たちの通貨に何をしたのか?」シリーズの第6回目です。
前回はこちらです。

金本位制の崩壊
連邦準備制度(FRB)の設立当初は、一般のアメリカ人にとって、ほとんど生活に変化はありませんでした。
時が経つにつれ、金1オンスは20ドルの価値を持つようになりましたが、1ドルは依然として銀1オンスと同じ価値がありました。

しかし、1914年の第一次世界大戦の勃発が、世界一変させました。
これまで見てきたように、政府は、「紙幣の発行」を、特に戦時中において、政府歳入を得るための便利な手段と見なしてきました。
第一次世界大戦には莫大な費用が必要だったため、ヨーロッパの中央銀行は、金(ゴールド)との交換を停止することになりました。

その結果、第一次世界大戦後に、ヨーロッパの通貨は以前に比べて大きく下落しました。
たとえば、イギリスのポンドは伝統的に4.86ドル相当の価値がありましたが、第一次世界大戦の後には、3.50ドルにまで下落しました。
このときの適切な対応は、ポンドの金への連動を、戦後の新しい水準に調整し直すことでした。
しかし、イギリス政府は、ポンドを戦前の水準まで強引に戻そうとしました。
しかし、それには貨幣供給量の大幅な削減が必要だったのです。
当時すでに、物価や給与などは新しいポンド水準に適応していたので、イギリス政府のこの強引な措置は、大きな混乱を引き起こしました。
その結果、世界経済は不安定になり、1920 年代から 30 年代にかけての世界的な金融危機の一因となりました。
アメリカでは、フランクリン・ルーズベルト大統領が大恐慌への対応として、政府権限の積極的な拡大に踏み切りました。
新たな政府プログラムや官僚機構、公共事業の創設は、第二次世界大戦時を上回る規模の支出を必要としました。
政府自体は何も生産することはできません。
さらに、不況時には課税も難しいため、FRBが国家の主要な手段となりました。

第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(FDR)
1933年、フランクリン・ルーズベルトは大統領令 6102 号を発表しました。
これは、「アメリカ国民はドルを金と交換できなくなり、個人所有の金はすべて政府が没収する」というものでした。
この措置により、政府はすぐにドルの切り下げを行うことが可能となりました。
こうして、国民から政府へ、かつてないほどの富の移転が行われたのです。
その後、世界の主要な中央銀行の代表者が、ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズに集まり、新たな金為替本位制度を採用しました。

ちなみに、ブレトン・ウッズの場所はここです。かなり右上。

ブレトン・ウッズ体制が生まれたマウント・ワシントン・ホテル。
ちなみに、ブレトン・ウッズの場所はここです。かなり右上。ブレトン・ウッズ体制が生まれたマウント・ワシントン・ホテル。
1944年7月に合意され、1945年12月に発効した、この「ブレトン・ウッズ体制」は、次のような仕組みでした。
アメリカは古典的な金本位制を維持し、ドルを金と交換可能としました。
他方、イギリスのポンドなどの他の通貨は、金貨で支払うことはできず、国際取引にのみ使用される「大型の金塊(バー)」での支払いのみに制限されました。
これにより、一般市民は日常生活で金を使用できなくなり、各国政府は、より大規模な紙幣発行と銀行信用の膨張を容認する余地が生まれました。
そして、実際にそうしたのです。
その後の数十年にわたり、フランクリン・ルーズベルト政権下での「政府権限の拡大措置」の多くが恒久化され、さらに拡大されました。
これに加え、アメリカの軍事的な影響力も拡大し、朝鮮戦争、ベトナム戦争が勃発し、世界中に米軍基地が設置されました。
このような国内と海外での支出の継続的な増加は、1960年代から深刻なインフレーションを引き起こしました。
これにより、諸外国は保有するドルを金と交換しようと検討し始めました(当時はまだそれは可能でした)。
これに対して、アメリカ政府は1971年にリチャード・ニクソン政権下で、ドルと金の最後の結びつきを断ち切る決断をしました。

アメリカ第37代大統領リチャード・ニクソン
それ以来50年以上にわたり、世界各国の政府は、「中央銀行の信用だけを裏付けとした、何の担保もない通貨」という「前例のない実験」を行ってきました。
この現代の「不換紙幣制度」がもたらす結果を理解することは、今日の世界経済において最も重要な課題の一つです。
編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2025年11月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。






