「真面目に働く」と逆に貧乏になる理由

黒坂岳央です。

「こんなに真面目に働いているのに生活が豊かにならない」という嘆きが、日本を覆っている。よく言われるのは「生活保護の方が最低時給よりいい暮らしが出来るから働いたら負け」という意見だ。

しかし、自分がいいたいのはそういう話ではない。それは、「真面目に働く」とは「思考や判断を伴わない単純作業」にとどまってしまうケースが少なくないということである。

どれほど勤勉であろうとも、単に言われた通りの「作業」を繰り返すだけでは、高給取りにはなれない。これは日本に限った話ではなく、アメリカのような経済大国であっても、代替可能な作業に従事する者の生活が苦しいのは共通の現実である。

真面目に働くことが報われやすかった時代は、高度経済成長期という限られた期間に集中していた。少なくとも現代において、それは豊かさを保証するワークスタイルではない。

Cemile Bingol/iStock

「作業」か「付加価値」か

日本が実質賃金が低下している中、投資家ではない労働者で着実に豊かになっている層も存在する。それは、市場で高値で売れるスキルと経験を持つ人々だ。現代における最大の格差は、国力の差というよりも、従事している仕事が「ただの作業」か「付加価値を生む仕事」かという点に集約される。

筆者はかつて経理の仕事に従事していた。そこで痛感したのは、同じ「数字を扱う経理職」でも、その目的によって報酬は天と地ほど違うという現実だ。

例えば、日々淡々と領収書を処理し、過去の数字を記録する「仕訳入力」は、成果が標準化されており、個人差が付加価値として反映されにくい業務である。そこにはマニュアルがあり、そのとおりにすれば「正解」なので、真面目に働けば「仕事のパフォーマンス」は最大化される。

その一方、その数字を分析して将来の収益予測を立て、経営陣に投資判断を仰ぐ「FP&A(経営財務分析)」のような管理会計の仕事がある。そしてFP&A業務は仕訳以上に個人の裁量、スキル、経験という付加価値が乗りやすい。そのため、給与は人によって異なる。

「正解を入力する人」と「未来を変えるための判断材料を出す人」。この両者の間に「給与の差」が存在するのは、市場経済の原理からすれば当然の帰結である。

努力の「ベクトル」を間違えてはならない

日本人の多くは誠実であり、現場での遂行能力は極めて高い。その真面目さ自体は、社会を支える財産である。しかし、時代の変化が加速する今、その「頑張り方」がかつての成功法則に縛られたままになっていないだろうか。

同じ会社で、同じ仕事を、言われた通りに何年も続ける。 かつての終身雇用制度下では、それが「安定」への近道だった。日本経済自体が急成長している中では、真面目に働くことで給与はエスカレーター式に上がっていった。

だが、消費者のニーズが細分化し、テクノロジーが既存の仕事を奪っていく現代において、「昨日と同じことを真面目にやり続ける」だけでは、相対的な価値が低下していくリスクが高い。それだけではない。円安、インフレが重なると「真面目に作業する」というワークスタイルは、相対的に貧しくなる働き方といえる。

付加価値をつけて転職

給与を大きく引き上げるためには、自分の市場価値を高め、それを正当に評価する環境へ移動するか、起業するといった選択が必要となる。

時代が何を求めているかを洞察し、高値で売れるスキルを磨く。そして、自分の付加価値が最大化される業界、企業、あるいは独立という道を選ぶ。このような戦略的な頑張りが必要だ。

真面目に働くことは素晴らしい。だが、その貴重なエネルギーを付加価値の生まれない現状維持にのみ使うなら、結果として報われにくくなる。

もう日本も時代も変わった。働き手も「頑張り方」を根本から見直すべき時が来ているのだ。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。