「専門家」が大凋落した2025年を偲び、祝い、送る。

いまや思い返すのも難しいが、今年が始まったとき、アメリカの大統領はバイデンだった。後に副大統領にすら老衰ぶりを貶される彼の下で、「ウクライナを勝たせる」という不可能な試みへの投資が、だらだらと続いていた。

政権がトランプ(第2次)に替わるのは、1/20である。直前まで、日本のセンモンカは彼をコントロールして「バイデンと同じ路線を採らせることができる」と、真顔で語っていた。当時の文字起こしに基づき、実証しよう。

資料室: 戦争の「敗けが見えた」とき、日本人はいかに現実から逃避するのか|與那覇潤の論説Bistro
開戦から4年目に入るのを前にして、ウクライナ戦争の「終わり」がようやく見え始めた。ただしそれは、当初予想された形ではない。 ウクライナと、支援してきた「西側」とが、ロシアに敗北する。日本もまた武器輸出こそ行わなかったものの、ずっとウクライナの側に立ってきたのだから、そうした「敗戦」を受けとめることを強いられるだろう。...

東野篤子氏(ニッポン放送で)
「トランプさんに対するインプット、……『こういう解決法しかないですよ』ってこと、一生懸命叩き込んでいかないといけないですし、叩き込み甲斐はあるんだろうと思うんですよね。
(中 略)
だから変えていくっていう、トランプをいかに変えていくかっていうことをもう少し意識した方がいいのかなと思うんです」

放送日は2025.1.9

こうした専門知がただの誇大妄想、いわば専門痴(センモンチ)にすぎなかったことは、2/28のホワイトハウスからの配信で、全世界に晒される。それを受けて、私は当時こう書いた。

アメリカで「公開処刑」されたゼレンスキー: 日本への教訓|與那覇潤の論説Bistro
現地時間の2/28、ホワイトハウスの執務室でトランプ、ヴァンスとゼレンスキーが言い争う様子は、世界に衝撃を与えた。日本でもここまで多くの人が一斉に話題にする海外の映像は、9.11のツインタワー以来、記憶にない。 なぜそんな事態が世界に配信されたか、見立てはおおむね3つに分かれる。 ① トランプとヴァンスが無知で粗...

ホワイトハウスから叩き出されたのは、ゼレンスキーのみではない。

ウクライナの主張であればすべてを肯定的に扱い、「疑問を寄せるだけでも許さない!」とばかりにTVやSNSで振るまってきた、日本のウクライナ応援団もまた、米国の正副大統領に「公開処刑」されたのだ。

拙note、2025.3.2
(改行を追加)

そして2025年、公平に言って信用を失い凋落したのは、ウクライナの専門家だけではなかった。20年のコロナ禍から始まった、センモンカを “名乗る” だけでウハウハな時代がいよいよ閉じられた1年を、noteでふり返りたい。

自然・社会科学も、人文学も崩壊

冒頭から続けて、起きた月順にいってみよう。

4/16に英国の最高裁が全員一致で、生物学的な女性とトランス女性は「異なる」と評決する。ここ数年、 #トランス女性は女性です とSNSで喚き続けたトランスジェンダー問題のセンモンカの主張は、公的に否定された(笑)。

旧統一教会化するオープンレターズ?:「現代フェミニズム研究会」を読み解く|與那覇潤の論説Bistro
5/10(土)に、専修大学で第1回の「現代フェミニズム研究会」が開催される。参加費や事前の申し込みは不要で、誰でも聞きに行けるそうだ。 第1回とあるとおり、立ち上がったばかりのサークルのようなもので、正式な学会等ではないから、ふつうの人は存在も知らないだろう。しかし、ネット上のトランスジェンダー問題ウォッチャーにとっ...
トランスジェンダー "ブーム" の終焉: 「言い逃げ学者」の責任を問う|與那覇潤の論説Bistro
昨年の米大統領選でトランプに敗れた、カマラ・ハリスが回顧録を刊行して話題だ。もっとも大手のメディアでは、「バイデンを老害としてdisった」みたいなゴシップばかりが採り上げられる。 ハリス前副大統領、新著で「身内」酷評 米民主党に困惑広がる | 毎日新聞  昨年の米大統領選で敗れたハリス前副大統領(60)の回...

5/26には、1980年に南海トラフ地震の予測モデルを提唱した専門家が、初めて公の場で誤りの可能性を認めた。客観的とされる自然科学の、半世紀近くメディアで定説だった知見ですら、そうしたことは常に起きうる。

最初に "専門禍" を起こした地震学で、ようやく反省が始まっている|與那覇潤の論説Bistro
昨年8月8日の日向灘地震を覚えているだろうか。宮崎県で震度6弱を記録し、久々の緊急地震速報が響き渡った。長崎の原爆忌の前日のことだ。 それ以上に社会を緊張させたのは、2019年に運用を開始した「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出されたことだ。お盆前のシーズンだったのに、旅行のキャンセルや海水浴場の閉鎖が相次いだ。"自...

6/25に、2020年春のコロナ禍初期に採られた「接触8割削減」の無根拠さを立証する学術書が出る。当事者も8/26有料記事で、実質的に指摘を認め、むしろ「あの対策は自分のせいじゃなかった」と言い始めた(苦笑)。

学問の信用を崩壊させるのは「言い逃げおじさん」である: 西浦博氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
ちょうど4年ほど前に、初めて「言い逃げ」をタイトルに冠した記事を出した。ある歴史学者が炎上した際、叩けば叩くほどウケるときには散々罵りながら、形勢が変わるやダンマリを決め込む姿勢を批判してのことである。 この事件は、日本の学界におけるキャンセルカルチャーの走りだったが、私はそんな人文学者の矮小な争いだけを視野に入れて...

遡って6/11には、専門家の立場から「政府に物申す」と自称してきた、日本学術会議の法人化が決まる。20年の秋には英雄のように扱われた学者が国会前で座り込むも、足を止める人は乏しく冷ややかにスルーされた(失笑)。

日本学術会議を敗北させた「A級戦犯」は誰か?|與那覇潤の論説Bistro
今月11日に、日本学術会議を法人化する法案が成立した。いわゆる「6名の任命拒否」問題が浮上したのは2020年10月だから、4年半超をかけての決着で、太平洋戦争より1年長い。 法人化に伴い、日本学術会議の会員は、①総理大臣による任命ではなく、会議が自ら選ぶ形となる。一方で、②運営の評価や監査を行う役職は、会員以外から総...

どのくらいシカトされたかというと、7/20の参院選に向けて “極右台頭” への不安が高まった際、メディアが報じた「守るべき憲法上の自由」に、学問の自由は入れてもらえなかった(涙笑)。もはやサヨウナラ状態である。

メディアも見捨てた「学問の自由」を、この際、削除する改憲ってどうだろう?|與那覇潤の論説Bistro
「参政党の当否」をめぐる論争が、収まらない。おかげで支持される理由の取材が、関係者でないぼくにまで来て、まずJBpressで記事になっている。全2回で、どちらから読んでもOKだ。 【與那覇潤が斬る参政党現象】「専門家は間違えない」という神話はすでに崩壊…戦後と震災後の反省を思い出せ 評論家・與那覇潤氏に聞く② ...

ダメを押したのは、9/29に出た著名な虚偽告発事件での有罪判決だ。学術会議問題で知性の代表を気どった科学史の専門家は、判決で反証されてもなお自説の誤りを修正せず、クズ人間の典型として広く罵声を浴びた(怒笑)。

なぜ日本の学者は「まちがえても撤回できない」のか|與那覇潤の論説Bistro
学者とは人柄を知らない時には、まったく素晴らしく偉い人に思われるのだが、近づけば近づくだけ嫌になるような人柄の人が多い。 学問が国民とまったく遊離しているという時の学者の典型は専門家である。 まったくの利己主義、独善主義、そして傲慢、しかも出世に対する極端な希求。早く、こんな型の学者の消え去る日が来ますように。 上...

社会の「役に立つ」と称する分野がどれもダメになっていた11/27からは、むしろ「役に立たない」分野でビジネスできるのがイイんすよと誇る、”令和人文主義” の識者が大炎上を起こした。自称だったはずの呼び名が、いまや蔑称である。

「令和人文主義」はなぜ炎上したのか: 日本でも反転した "キャンセル" の潮流|與那覇潤の論説Bistro
アツい! いま、令和人文主義がアツい。 …といっても、まともに働く会社員の人はわからないと思うが、先月末から令和人文主義なる概念が、「そんなの要らねぇ!」という悪い意味で大バズりしてるのだ。いわゆる炎上で、その熱気が地獄の業火のようにアツい。 たとえばYahoo!の機能でXを解析してもらうと、「令和人文主義」の印象...

私自身も12/19に、自分に不利な資料を削除させて「自身の不祥事の隠蔽」を謀る歴史学者たちの背信ぶりを公表し、人文学のあり方に問題を提起した。想像以上の反響と共感をいただき、驚くとともに感謝している。

自分の不祥事は "歴史否定主義" する歴史学者たち: 令和人文主義を添えて|與那覇潤の論説Bistro
1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して以来、平成を通じて "歴史修正主義" といえば絶対悪の代名詞だった。とりわけ学者の世界がそうで、ほとんど "人種差別主義" と同じくらい、存在自体が許されないものという感じだった。 とはいえ、まじめな研究の結果として歴史像が "修正" されることは常にある。それに...
"歴史否定主義者" 玉田敦子氏が行った「noteへの削除要請」について|與那覇潤の論説Bistro
当方の着信時刻で12/17の18:05に、「運営事務局(note)」名義のアドレスからメールが届いた。 前回も触れたとおり、中部大学で歴史学を講じる玉田敦子教授が、私の記事を削除するようnoteに要請してきたので、それを取り次ぐ形である。 noteはマメなサービスで、書いた記事に1つ「いいね」(スキ)が付くごとに...

返す返すも、輝かしい1年だった。実は、起きたことは他にもある。

もう「被害者ぶりっ子」は通じない

このnoteの読者はご存じのとおり、犯したまちがいが批判を集めるようになっても、言葉が過ぎた相手に名誉毀損の訴訟をしかけ、「誹謗中傷の専門家」に転職してメディアにしがみつく人は多い。

ReHacQは「一流のメディア」になるために何をすべきか|與那覇潤の論説Bistro
ReHacQ(リハック)というネット世代に人気があるらしいYouTubeのチャンネルに、国際政治学者の東野篤子氏が出演し、話題になっている。 ヘッダーは、彼女が「自分はネットで叩かれる」旨を繰り返す箇所の一部だが、カタカナでセンモンカと書く人は私の知るかぎり私しかいないので、ウクライナ論壇に批判的な拙noteもお読...

要は「私は被害者!」と叫んでアテンションさえ集めれば、自分のあら探しはやめてもらえるだろうと当て込むわけだが、その終わりがはっきりしたのも、2025年だった。2月の時点で私は、それを予測し警鐘を鳴らしている。

反共主義から「ネットの中傷」を考える: ファンだからこそアンチになるとき|與那覇潤の論説Bistro
2021年春のオープンレター騒動の頃からSNSを騒がせてきた、「誹謗中傷の季節」が終わりを迎えつつある。とはいえ、ネットの誹謗中傷がなくなったり、減ったりしたわけではない。 まともな批判に「中傷だ!」と言い張って責任逃れをする人や、自分の加害行為には頬かむりして、被害を受けた時だけ「中傷された!」と喧伝する人が増えす...

2021年春のオープンレター騒動の頃からSNSを騒がせてきた、「誹謗中傷の季節」が終わりを迎えつつある。とはいえ、ネットの誹謗中傷がなくなったり、減ったりしたわけではない。

まともな批判に「中傷だ!」と言い張って責任逃れをする人や、自分の加害行為には頬かむりして、被害を受けた時だけ「中傷された!」と喧伝する人が増えすぎて、「誹謗中傷!」と叫んでも以前のような共感を集めなくなった。よいか悪いかはともかく、そんな事態が進んでいる。

拙note、2025.2.17
(強調を追加)

フェアに言って事態は、私の予想をも超えて進んだ。すでに同月、かつては批判することなど “あってはならない” レベルの扱いだった、あまりに著名な性被害者の信用が失われ始める。

#MeToo な季節の終わり|與那覇潤の論説Bistro
3/3(現地時間では前日)に発表される米国のアカデミー賞では、伊藤詩織監督の作品が長編ドキュメンタリー部門の候補になった。ところがご存じのとおり、日本での評判はいま、きわめて悪い。 性暴力の被害を訴えてきた彼女が、裁判以外では使用しないとの約束で入手したホテルの監視カメラの映像を、無許可で映画に流用していることが判...

加速のギアを入れたのは、8月の甲子園の際に露呈した強豪野球部の暴力問題だった。十分な対応を取ってこなかった高野連が、あたかも問題への批判自体が「誹謗中傷」だと言わんばかりの公式声明を出し、逆に炎上する。

2025.8.6
(赤線は引用者)

さらなるスイッチは、9月に始まった自民党総裁選だ。他の候補への中傷を含む「ステマ」が判明して辞任した広報担当が、自分への批判こそが中傷であり “耐えかねて辞める” かのような姿勢を示して、炎上に輪をかける。

2025.9.27

問題を大きくしたのは、当の広報がデジタル大臣の経験者でもあったことだ。で、中傷と呼び換えて批判を封じる相手には、むしろ “もっと” 批判を浴びせる空気がネットに定着する。

2025.9.28
「消し込み」の意味はこちら

そして11月には、かつて “神聖不可侵” の扱いだった性被害者が、ついに「カルト」の語を使って報じられ始める。

「残念ながら法的な問題は解決されていません」 伊藤詩織さん元代理人がコメント 映画は12日から公開(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
 伊藤詩織さんが監督を務めたドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』が明日12月12日から東京・品川の映画館で公開される。 映画を巡っては、民事訴訟で伊藤さんの代理人を務めた弁護士ら

東京新聞は11月26日付夕刊のコラム「大波小波」の中で、「伊藤〔詩織〕氏を特別な性被害者として神聖化し、告発のためなら多少の人権侵害には目を瞑ってもいいとして擁護する人々も存在する」と指摘。

「自分が応援する人や仲間をやみくもに庇い、間違いがあっても見過ごし批判する人たちを攻撃する仕草は、このところさまざまな場所で見られる危うい現象だ」「カルト的な権威者を作り出すべきではない」と厳しく批判している。

小川たまか氏、2025.12.11
(強調は引用者)

まさに私自身が、類似のそうした「カルトとの戦いの先駆者である。その意味でも実に、報われる1年だった。

東野篤子氏と「ウクライナ応援ブーム」は何に敗れ去るのか|與那覇潤の論説Bistro
東野篤子氏とその周囲によるネットリンチの被害者だった羽藤由美氏が、経緯を克明にブログで公表された。1回目から通読してほしいが、東野氏の出た番組に批判的な感想を呟いただけで、同氏に煽られた無数の面々から事実をねじ曲げて誹謗される様子(3回目)は、私自身も同じ動画を批判したことがあるだけに、血の凍る思いがする。 東...
あのオープンレターズは、いま。4年前に "キャンセル" を誇った学者たちの末路|與那覇潤の論説Bistro
6回分連載した「オープンレター秘録」を、あと1回で完結させたいのだが、時間がとれない。この春に戦後批評の正嫡を継いでしまい、歴史の他に批評の仕事もしなければならず、忙しいのだ。 そんな間に、キャンセルカルチャーの潮目じたいが大きく変わった。未来に目覚めて(woke)現状変革を唱える急進派が、"時代遅れ" と見なす保...

26年、いよいよ「人民裁判」開廷か

私がカルト化する「専門家」の問題を採り上げたのは、まだコロナ禍が現在進行形だった時期である。2021年7月の対談で、すでに

第2回 「いのちの現場」はどこにあるのか | 磯野真穂×與那覇潤「コロナ禍に人文学は役に立つのか?」 | 磯野真穂 , 與那覇潤 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、1回目の緊急事態宣言が出されてから1年4か月あまり。理系の専門家が主導するコロナ対策の裏で、見過ごされている問題はないのか。人文学の視点から何か提言できることはないのか。人類学者の磯野真穂さんと、(元)歴史学者の與那覇潤さんが話し合いました。※この記事は、2021年7月16日にジ...

本当の意味での科学的な精神は消え去り、むしろ「科学教」という看板を掲げた事実上の宗教が生まれているような気さえします。

と、明快に述べている。

そこから4年経って、嬉しいことに “本当に” 進んだメディアは、まったく同じ言葉遣いをするようになった。以下のnoteに教えてもらったのだが、今年の7/28に英紙Financial Timesは、

自称リベラルの「反省」が見られない件|輝くような黄色
1 高木俊介先生が、下記の記事を紹介されていました。 ようやく出てきたリベラルからの反省。 「新型コロナ禍の経験を無視して、これほど多くの若い有権者がなぜ右傾化しているのか理由を調べるのは時間の無駄だ」 「リベラル派は「科学に従え」と主張したが、科学への信仰と混同していた」 — しゅん(高木俊介) (@ragsh...

米国のリベラル派の不寛容さは新型コロナ禍で際立った。ワクチン接種に反対する保守派がリベラル派以上におかしかったことは言い訳にならない
(中 略)
リベラル派は「科学に従え」と主張したが、科学への信仰と混同していた。科学とは試行錯誤の過程であり、異論に耳を傾ける余地があってこそ成り立つ。

日本経済新聞(転載・有料)、2025.8.1

と、書いている。センモンカどうしの「庇いあいカルト」は解体され、罪を裁かれなければならない。そのことはこのnoteでも、2024年3月の記事以来、繰り返し述べてきた。

しかし、当時から現在までの20か月強のあいだにも、正しくない判断を下した者がいる。理由が無知か、怯懦か、はたまた強欲や悪徳なのかは知らないが、なんせ2024年7月の時点でも

① 専門家が予想を外して権威を失い、メディアの信頼を損なうなどという現象は、與那覇が言っているだけで、世間では起きていない

② コロナもウクライナも、もう「今はホットイシューではないので」、そんな検証は載せてもバズらない

との旨をぬけぬけと記し、「お前なんてもう売れてないから、批判を書かせてほしいなら、バズったチャラいライターのマネでもすればぁ?」と、侮辱を重ねる業界人さえいたのだ。

ある編集者への手紙|與那覇潤の論説Bistro
以下は2024年12月23日に、ある編集者に送ったメールの全文である。とくに返信のないまま1週間が経ったため、目次と強調を附して公開する。 1. 今年を閉じるにあたって 爾来ご無沙汰しています。世界が大きく動いた2024年も終わりつつありますが、どうお過ごしでしょうか。 ご存じかどうか、米国では今年、議会が20...

一昨日、つまり2025年のクリスマスに、かねて予告している次回作『専門家から遠く離れて(仮)』の聞き書きを終えてきた。完成稿になるのはまだ先だが、なにせ日取りが日取りだけに、気分が変わったところもある。

上記の人物を典型として、この問題でこちらから “出禁” にした人や媒体は、いくつもある。聞き書きの仕上がりを待つ2026年1月の月内を、寛容さにチャンスを与える、最後の期間にしたい。

その間に連絡があった場合のみ、”和平交渉” を行うことは可能だ。むろん興味がないなら、無視すればいい。来るべき人民裁判で「被告席と証人席」のどちらに座るか、選ぶのは本人である。

「彼らはクリスマスだと知っているのだろうか?」|與那覇潤の論説Bistro
バンド・エイドをご記憶だろうか。救急用品の名前にかけてあるけど、「バンドが助ける」の意味でBand Aid。1984年の12月、エチオピア食糧危機の救済のために、当時の英国ポップス界の人気者が集まり、”Do They Know It's Christmas ?” というチャリティ・シングルを出した。 アフリカを応...

参考までに、今月届いた『群像』1月号で始まった高木徹氏の連載から、一節を引いておこう。

著者は元NHKプロデューサーで、1990年代のユーゴスラビア内戦がいかに、国際報道の過程で “演出” されたかを描くルポ『戦争広告代理店』で広く知られる。センモンカならぬ、そんなプロ中のプロが、いま、こう書く。

202601
「群像」最新号(群像2026年1月号)のページです。文×論。ジャンルを横断して「現在」にアクセスする月刊文芸誌。

いま「認知戦」や「ナラティブ」といった用語が日本で脚光を浴びている。たいていは「中露の情報戦に気をつけろ」という文脈で語られる。それはたしかにあるだろう。

だが、例えばゼレンスキー大統領の発信は「ナラティブ」ではないのか? 欧米の首脳やメディアに現れる言説は「認知戦」ではないのか? そもそも「認知戦に気をつけろ」と言うこと自体が認知戦ではないのか?

『群像』2026年1月号、95頁

久しぶりに、続きが楽しみな連載ができた。なにせ私自身が2024年11月に、こう書いている。

『ウクライナ戦争は起こらなかった』|與那覇潤の論説Bistro
フランスの現代思想家だったボードリヤールに、『湾岸戦争は起こらなかった』という有名な本がある。原著も訳書も1991年に出ているが、お得意のシミュラークル(いま風に言えばバーチャル・リアリティ)の概念を使って、同年に起きたばかりの戦争を論じたものだ。 ボードリヤールは当初、「戦争になるかもよ?」というブラフの応酬に留ま...

センモンカが解説するウクライナ戦争は、「ほんとうの戦争」とは別に関係がない

本人にも、また視聴者やフォロワーにも区別不能になった「戦争の幻想」と戯れ、「堕落したシミュレーション」の中でごっこ遊びをしているだけだから、ちょこっとミスプレイをしたくらいでは、訂正も反省もする気はない。

拙note、2024.11.5

訂正し反省する人が出るのかを、年明け後の最初のひと月は待ってみたい(候補となる人には、このnoteもメールで送る)。願わくばそこから、ほんとうの意味での知性や、学問や、専門性が甦えるさまを見たいものだ。

いまや「ウクライナ応援団」として揶揄されるセンモンカたちの世界では、毎年末にお決まりのあいさつがあるらしい。もちろん私も、ウクライナを応援するひとりとして、ぜひ唱和に加わろう。

Say it again,

Happy, and Victorious New Year!

Happy, and Victorious New Year!|東野篤子
2022年2月にロシアによる全面侵攻が始まってから、心から幸せで希望に満ちたお正月を迎えることはありませんでした。 この時期になると思い出すこと、そして、取り出して眺めるものがあります。 「思い出すこと」とは。 2022年の暮、ゼレンスキー大統領は米国に飛び、議会で支援の継続を求める演説を行います。 ...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。