新春の中山道・木曽福島宿を歩く

明けましておめでとうございます。

今年の年末年始は1月2日から3日にかけて寒波が押し寄せ、平野部でも積雪が見られました。

そんなさっむーい1月3日に訪ねたのは長野県南部の木曽福島。木曽路の山間にある旧中山道の宿場町です。私は1年に1度のペースで寒い冬に寒い場所に旅行したいと思っているのですが、今年もそれを実行しました。9時過ぎの気温は氷点下。さっむいです。

実は木曽福島には30年以上前に一度だけ下車したことがあります。長野駅から大阪駅まで走っていた夜行急行の「ちくま」に乗って名古屋に帰省したのですが、夜中に目が覚めたのが木曽福島。長時間停車するので改札を出てみたのですが、店は開いておらず人っ子一人いませんでした。当たり前ですよね。そんな思い出のある木曽福島を今回はぶらりと散歩します。

木曽福島は中山道の37番目の宿として栄えました。昭和2年に火災が発生してしまい、多くの宿が焼けてなくなってしまいましたが、焼失を免れた上の段地区はまだその面影を残しています。上の段地区を目指して歩きますが、道中の沿道にも宿場町の面影を残す建物がいくつか残ります。

まったく余談ですが、沿道にあった神稲建設。神稲と書いて「くましろ」。神稲(くましろ)村はかつて長野県南部にあった村なんですが、かなりの難読ですよね。

なぜ神稲で「くましろ」なんだろう、と考えながら歩いているうちに上の段地区に来ました。木曾路の宿場町として風情を残す町としては奈良井がその代表として挙げられますが、福島宿の上の段も、規模は小さいながらも江戸時代の中山道の面影が色濃く残る地区です。奈良井ほど観光客も多くないのでむしろゆっくり歩いて回れるのではないでしょうか。

中山道のころから残る井戸。井戸時代は使われていませんが、今も街角に残されています。

寺へと続く小径もえ江戸情緒に溢れています。

上の段に置かれている丸型ポスト。木曽福島ではポストに名前を付けているらしく、このポストは「せいめいくん」というそうです。木曽福島には陰陽師の安倍晴明の墓があるそうで、それにちなんでの命名のようです。「せいめいくん」はちょっと馴れ馴れしいかもですが。

上の段はその名の通り木曽福島の中でも高台にある場所。そこから木曽川に降りてくる道は昨日の雪が残っていました。滑らないように気をつけながら降りていきます。

日本を代表する大河川である木曽川ですが、上流にあたる木曽福島ではそこまで川幅は広くありません。

その川沿いには特徴的な崖家造りの家が立ち並んでいます。1900年代初頭に道路整備がされた際に道路と川の間の狭い場所に家を作ったため川にせり出す形で家を作ることとなったことでこのような形になったそうです。以後100年以上にわたり今も住み続けられていますが、立て直す際にはこのような建て方は認められておらず、徐々に消えていう運命にあります。

川のほとりにはこんな施設もありました。なんと、足湯。ふたを開けるとあったかいお湯が!この日は寒かったので、湯上り凍えてしまいそうなので入るのはやめましたが、もう少し暖かくなったらこの景色を見ながら足湯を楽しむのもいいかもしれません。

駅から1.2キロほどのところにあるのが福島関所跡。国道からは坂道を登った高台にあります。ここも雪が積もっているので滑らないよう注意が必要。

福島関所は中山道の要衝として、入り鉄砲、出女を取り締まった関所です。今は建物などは残されていませんが、小さな資料館がその歴史を静かに伝えています。

残念ながらこの日は正月休みで閉館でしたが、山村代官屋敷は木曽福島きっての観光名所です。この地域は木曽の木材の重要な産出地であったことから下流の尾張藩が飛び地として統治しており、藩の重臣である山村甚兵衛家がこの地を統治してきました。

代官屋敷の前にも丸型ポストがありました。「お代官さま」という愛称だそうです。まんまじゃんか。

ひととおり木曽福島の街並みを歩いてきたのですが、木曽福島といえば忘れてはいけないものがあります。それが「かねまるの牛乳パン」。新年早々というのに店は開いていました。

長野県は多くの牛乳パンメーカーがある牛乳パン王国ですが、かねまるパンはその元祖ともいえる存在。この昭和チックな絵のビニール袋がいい味を出していますね。実はこの日には食べずに翌日に食べたんですがフワフワ感はしっかりあり、甘すぎないクリームも絶品であっという間に平らげてしまいました。ここに来たら絶対に買いたいパンです。

初めて訪ねた木曽福島は中山道の宿場町としての風情を残すちょっとした散歩におすすめの場所でした。寒い一日でしたが、歩けば意外に寒さは感じずにむしろ温まってきて気持ちいいくらいです。江戸時代の木曽路の雰囲気を残す木曽福島の町を歩きに是非来ていただきたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。