なぜ日本では「まともな野党」が育たないのか

木曜夜の配信は、最多時には1000名くらいがライブで見てくださったようで大いに盛り上がった。2003年のイラク戦争をも上回る暴走をアメリカが見せるさなかに、日本の将来を自ら考えようとする人が多いことは心強い。

ぼくに比べると、浜崎洋介さんも辻田真佐憲さんも、高市早苗首相には相応に期待してきた人である。だがさすがに、この現状で選択肢が自民党=「親米保守」政権の一択なのはマズいと、感じられているのも印象深かった。

本来ならこんなとき、代替案を提示し機能する野党が存在すべきなのだが、先月の選挙が作った「超一強多弱」の構図でそれは崩壊してしまった。ふつうに考えてこれは、政府が対米関係で採れるオプションも少なくする。

番組でも論じた通り、保守政権とは「違う外交」を掲げる革新政党が一定の勢力を得ていたことは、たとえば吉田茂がアメリカに譲歩を迫るカードになった。民意があっちに流れないように、DEALしてくださいというわけだ。

だがそのカードを国民は選挙で捨て、米国と拮抗する中国とDEALするカードは総理大臣が国会答弁で捨てた(涙)。ちょっともうどうしていいのか、選択肢が狭まるばかりの窮状がある。

野党は「穏健」勢力として生き残れ
衆議院選挙の後、SNSを見ると、非常に人心が荒んでいる印象を受ける。自民党を支持した側は、「われわれが勝ち組だ、リベラルよ死滅しろ」といった類の「マウントをとる」行動で悦に入っている。野党勢力を支持した側は、「バカな人々が中身のない扇動に引...

違う道はなかったのだろうか。番組の終わりでは、先月復刊された『保守とはなにか』にも触れて、江藤淳の話題が出た。この本は1996年刊の時評集で、当時の自社さ政権を罵倒しているのだが、忘れられない挿話がある。

自社さ政権の打倒をめざした新進党を率いる小沢一郎氏を、江藤は一貫して支持し続けていたのだが、両者の幕切れはかなり不幸だったらしい。当時「江藤番」をしていた産経の記者さんの、回想にはこう記されている。

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平成9年〔1997年〕夏、……小沢氏とは軽井沢の江藤さんの別荘で対談することになった。

その年の3月、江藤さんは「月に一度」で、「帰りなん、いざ─小沢一郎君に与う」と、慶応大学の後輩である小沢氏を応援する一文を書いた。君は政界で目の敵にされているが、議員を辞めて故郷の水沢に帰ってしまえ、そうすれば政界は君の存在の大きさに気づく。その時に政界に戻ってくればいい─というのだ。その一文もあって、小沢氏が「先輩を呼びつけるわけには行かない」と〝礼をつくす形〟をとったのだ。

これには後日談がある。この夏、小沢氏は江藤さんを新進党研修会の講師に招いた。その後、私が様子を尋ねると、江藤さんは「研修会で話が終わったら、それで終わりですよ」とポツリ。礼遇どころか冷遇されたと言外に語っていた。以来、私は、江藤さんの口から小沢氏を評価する言葉を聞くことはなかった。

小林静雄氏、2012.12
(強調は引用者)

総理の座まで譲って社会党と連立した自民党への対抗上、新進党は「親米タカ派」のスタンスを掲げていた。おそらく江藤は空気を読まずに、GHQへの怨念から持論の対米自立を講じてしまい、煙たがられたのではなかろうか。

エマニュエル・トッドと江藤淳|與那覇潤の論説Bistro
共同通信に依頼されて、昨年11月刊のエマニュエル・トッド『西洋の敗北』を書評しました。1月8日に配信されたので、そろそろ提携する各紙に載り始めるのではと思います。 米国と欧州は自滅した。 日本が強いられる...『西洋の敗北 日本と世界に何が...

なんとも気持ちが煮詰まるばかりだが、ふり返ると湿っぽい過去にも「実現しなかった可能性」を探すことで、同じものは再出発の原点にもなる。本来、歴史の効用はそこにある。

先月の総選挙をぼくなり総括する寄稿として、まず『潮』4月号の連載では丸々1回を当時の再検証にあてた。冒頭部は以下で誰でも、無料の会員登録をすれば全文を読んでもらえる。

「はくぶん」という、創価学会の地元・信濃町の中華でぼくが麺を啜るところから始まるけど…

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30年以上前の1994年9月14日の夜、「はくぶん」で交わされたこんな会話が記事になったことがある。

新・新党の結成は学会次第でしょうが、そう甘くはないですよ。
これからは、各地域に選挙対策協議会というものを作って、独自に判断、支援していく人を決める。もう動き始めてますよ。
それは人物本位ということ。まあ、自民党の人でもOKということにしてあります。もちろん、公明党から出てる人は全部応援しますよ 」(『FOCUS』94年10月5日号)

発言の主は、創価学会名誉会長の池田大作。「絶対にその内容を表に出さない」という条件で開かれた、新聞各社とNHKに囲まれる懇談会の中身を「スッパ抜く」と銘打ち、写真週刊誌が報じた。池田のほか当時の秋谷栄之助会長や、副会長3名が出席し、アルコールも出て和やかに進んだとある。

『潮』2026年4月号、43頁

「新・新党」とは1993年に非自民政権を作った新党らが大合同する、後の新進党のことだが、自社さ政権との対抗上、それが(親米保守という点では)ピュア自民党みたいな立ち位置に偏ったのは、不運だったかもしれない。

平成に①社会党と手を組んだ自民党と、②それ以前の「オリジナル自民党」的な野党の二択なら、③用済みの社会党と手を切った自民党さえ復権すれば、2番目の選択肢のニーズはガタ落ちになる。で、実際にそうなった。

むしろ平成になる前、戦後昭和の後半に、野党が大同団結する形として期待されたのは「社公民」だった。これを先の総選挙に照らしてどう評価すべきかは、『正論』4月号に寄稿している。

戦後政治の "見果てぬ夢" : 令和に「中道結集」は実現するか|與那覇潤の論説Bistro
高市政権が発足した直後の昨年10/21に、政治学者の牧原出氏がインタビューでこう言っていた。 インタビュー:高市新政権、「なんちゃって連立」で変わる政策決定プロセス=東大・牧原教授東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授はロイターとのイ...

公務員や大企業の労働組合では包摂できない、零細業者や個人で働く人は、放っておけば現状を全否定する最左派に流れかねない。それを「中道」に繋ぎとめる役割を果たした公明党と組むことで、自民党とは別の形の「国民政党」を目指し得るという〔のが社公民の〕趣旨だ。
(中 略)
誰もが豊かになったとされがちな60年代の高度成長だが、実は日本にもラストベルトがあった。取り残された農村部と、貧しい上京者が集まる都会の下町だ。

前者は農協を核に結束して自民党を支え、地方に保守王国を築く。後者を地盤に伸びたのは公明・共産の両党だが、大卒者などインテリの多い共産支持層に対し、生粋の「庶民」を組織化する点では創価学会が勝っていた。

『正論』2026年4月号、75頁
(算用数字に改定)

『正論』でも書き、いろんな動画でも話したが、グローバル経済の中で徐々に地盤沈下してゆく今の日本(というか西側はどこでも)は、全体が「ぬるいラストベルト」みたいなものである。

こうなると復古的な反動家や、空疎でも一発逆転の夢を語る断言屋に惹かれるのはしかたないことで、どこまで①複数の選択肢と②現実主義の感覚を残せるかが、その国が「民主主義と権威主義」のどちらに転ぶかを決める。

高市早苗首相は「日本のエルドアン」になるのか(豪華番組2つです!)|與那覇潤の論説Bistro
衝撃の結果だった2/8の総選挙だが、腰を落ち着けた分析が出揃ってきた。来月刊の月刊誌が本命で、自分もふたつ原稿を入れたけど、いまあるべき視座について、ここでもまとめておこう。 前回の2024年衆院選で、自民党(石破茂総裁)が得た比例票は14...

高度成長下で農村に留まった人よりは、上京し根無し草になった人のライフスタイルが、はるかに主流なのが今日の社会だ。そうした「都市型ラストベルト」のニーズを受けとめ、外交でも穏健路線を採る国民政党がなければ、日本までトランプ王国になってしまう。

その前に踏みとどまれるのか、いまこそまさに正念場だ。ぜひ多くの方が別の選択肢を考えるきっかけを、今後も提供していけたら嬉しい。

参考記事:

中国料理 はくぶん (信濃町/中華料理)
★★★☆☆3.37 ■信濃町へ来たなら、 へ ■予算(昼):¥1,000~¥1,999
資料室: 日本の保守をおかしくしたのは「まじめさの搾取」である。|與那覇潤の論説Bistro
宇野常寛さんとの番組の有料版(リンクはこちら)でも話したけど、きわめて大事なので、資料で補足を。日本で「保守派」ほど現状打破への欲求を叫ぶ、奇妙な事態が続いていることの、いちばん深い理由についてだ。 ぼくがよく採り上げる戦後日本のベストセラ...

(ヘッダーは、1月に解散を報じるABCより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年3月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。

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