「スパルタ化」するイスラエル:孤立を厭わぬ行動原理 --- 田尻 潤子

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国民への厳しい軍事教育を義務化し「スパルタ教育」の語源となった国、古代スパルタ。イスラエルは、それを超える「スーパー・スパルタ」を目指すのだと、ネタニヤフ首相は2025年9月のイスラエル財務省・会計局長会議での演説で明言している(英文下の日本語は拙訳):

We’re going to be Athens and super-Sparta. We have no other choice. In the coming years, at least, we will have to deal with these attempts to isolate us.

我々は「アテネ」でありながら「超スパルタ」を目指す。他に選択肢はない。少なくとも今後数年間は、我々を孤立させようとする(国際社会の)動きに立ち向かっていかねばならない。

これは、イスラエルが進むべき新たな国家モデルを首相みずから語る場面で発せられたものだ(英語圏では”Sparta Speech”とも称される)。

スパルタの前に古代都市国家アテネにふれたのは、経済や文化を軽視するわけではない旨を示唆しているものの、これは軍事国家化を目指す「宣言」に他ならない。ここで念のため付け加えさせていただくが、本稿は一方的なイスラエル批判を目的とするものではなく、その「行動原理」を(感情はいったん脇に置いて)探ってみようというものだ。

イスラエルはこれまで、どれだけ世界中から非難されようとも、アメリカの後ろ盾を「活用」してきた。しかし、この演説からは、アメリカにさえも——今回の対イラン攻撃に見られるように、利用できるうちは利用するが——将来もし頼れなくなったら頼らず、孤立も厭わず自分たちだけでも戦い抜く、そしてその覚悟を国民一人ひとりにも持ってもらう、というメッセージが読み取れる。

そうした行動原理の背後には、やはり聖書の存在がある。2023年10月のガザ攻撃開始時、彼はヘブライ語聖書(これをキリスト教徒は「旧約聖書」と呼ぶ)にある「アマレクとの戦い」を引用した。

アマレク(民族の名称)とは、イスラエルにとって殲滅すべき対象として描かれる存在だ(かつてイスラエルの民がエジプトを逃れて弱っているときにアマレク人に襲撃・略奪された)。このときネタニヤフはパレスチナ人をアマレク人に喩え、「卑劣な攻撃を決して忘れるな」という「教訓」として申命記25章17節を引用したのだという:

あなたがたがエジプトを出て来たとき、その途上で、アマレクが行ったことを、あなたは思い起こしなさい。

聖書協会共同訳

アマレクについてはサムエル記第一15章3節でも言及されているが、ここには次のように書かれている:

さあ、行って、アマレクを討ち、アマレクに属するものはすべて滅ぼし尽くしなさい。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺しなさい。

聖書協会共同訳

この「アマレクとの戦い」の論理は、今やガザという枠組みを超え、宿敵イランとの直接対決へとその矛先を変えつつあるように見える。

イスラエルはもはや「アメリカの承認を待つ」のではなく、「たとえ孤立しても、自国のみの判断で生存を勝ち取る」という、スパルタ的な軍事的自立への道を踏み出したからだ。

この地域において、戦火が鎮まる日は、果たして来るのだろうか。

「スーパー・スパルタ」へと突き進む軍靴の足音が聞こえてくるかのような状況のなか、私はそう思わずにいられない。

ありきたりな言い方になってしまうが、エネルギーを中東に依存する日本は——ミサイルやドローンが飛んでくるようなことはないにしても——経済や生活への影響という面で無関係ではいられない。それを私たちは強く認識しておかねばならないと思う。

田尻 潤子
翻訳家。訳書に「どうすれば赦せるようになるのか 52週の旅路」「敵に居場所を与えるな」(いずれもヨベル刊)がある。プロテスタントのクリスチャン。

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