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日本では、中小企業政策は長らく「善意の政策」として語られてきた。
中小企業は弱者であり、地域を支え、雇用を守る存在であり、保護されるべきだ——この前提は、ほとんど疑われることがなかった。しかし、ここで問うべきは単純な一文である。
「中小企業政策は、いったい誰のために存在しているのか」
企業のためか。雇用のためか。地域のためか。それとも、政策を運用する側のためか。
現行の中小企業政策を冷静に眺めると、その主眼は「価値を生み出すこと」ではなく、「現状を維持すること」に置かれていることがわかる。補助金、税制優遇、低利融資、事業承継支援。その多くは、企業の構造転換や再編を促すものではなく、今ある形を保つための支援として機能してきた。
この結果、何が起きたか。生産性の低い企業が退出せず、価格決定力を持たない事業構造が温存され、賃金は上がらない。人材は固定化され、成長分野へ移動しにくくなる。つまり、政策が企業を守ることで、労働者と経済全体の可能性を奪ってきたのである。
ここで重要なのは、「中小企業=守るべき存在」という発想自体が、すでに時代遅れだという点だ。企業の規模は価値の指標ではない。小さくても高付加価値な企業は守られるべきだが、小さいという理由だけで非効率な構造を温存する正当性はない。
それにもかかわらず、なぜこの政策が続いてきたのか。一因は、政策の受益者が企業経営者だけではないからだ。金融機関は債権の不良化を避けられ、行政は雇用数を維持でき、政治は「守った」という実績を作れる。つまり、中小企業政策は、関係者の多くにとって都合の良い現状維持装置として機能してきた。
しかし、そのコストを支払っているのは誰か。低賃金に甘んじる労働者であり、成長機会を奪われた若者であり、停滞する経済全体である。守られているのは企業そのものではなく、変化しないという選択だ。
本来、中小企業政策が向き合うべき対象は、企業ではない。価値創出のプロセスである。技術、人材、事業が、より良い器へ移動し、再配置され、成長する。その循環を阻害する政策は、たとえ善意であっても、害である。
必要なのは、「守る政策」から「動かす政策」への転換だ。創業や承継だけでなく、再編、統合、分割、清算といった選択肢を、制度として正面から支援する。企業の数ではなく、価値の総量を評価軸に据える。廃業を選んだ経営者を失敗者として扱わない。そうした価値観の更新が不可欠である。
中小企業政策は、誰のために存在するのか。その答えは、企業でも、行政でもない。日本経済の未来のために存在するのだ。その未来を犠牲にしてまで現状を守る政策に、もはや正当性はない。
問われているのは、優しさではない。覚悟である。







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