リベラルは2度死ぬ:戦後の終わり、そして再び弱肉強食の不安の海を漂う日本国

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今回の総選挙の結果について少し感想を述べておきたい。

僕が『昭和16年夏の敗戦』を刊行したのは30代半ば、1983年である。進歩的文化人の時代だった。いまで言うリベラルが論壇の主流で、『昭和16年夏の敗戦』を読んだある年配の大江健三郎(後に日本人2人目のノーベル文学賞)担当の編集者が僕に「君は東條英機の味方なのか」と咎めるような険しい表情で言った。

僕は東條英機に味方したわけではなく、ヒトラーのようなカリスマでないただの生真面目なスケールの小さい官僚に過ぎない、と描写しただけである。

戦後の論壇は、戦前的なものはすべて勧善懲悪の「悪」に塗り固められ、憲法9条がすべてのような世界観が支配していた。

しかし現実は日米安保条約が、憲法と2本立てになっており、言論空間はいわばディズニーランドのような架空の世界にあり、リアルとはほど遠かった。ディズニーランドでは銃を撃ってもコルクの弾だから人は死なない。これが憲法9条の世界であり、実際にはディズニーランドの門外に武装した米軍がいた、それが日米安保条約である。

リベラルな言説空間はリアルなビジネス現場とかけ離れた世界にしぶとく生き残っていた,。90年の湾岸戦争では「自衛隊の海外派兵反対」の声明文に名だたる文化人が名を連ねた。結局、日本国は1兆数千億円を出して貢献したはずが感謝されなかったのだ。冷戦体制と社会主義への幻想の崩壊と相俟ってこれ以降、進歩的文化人の影響力は力を失っていった。

今回の総選挙で、立憲民主党と公明党(創価学会)が合併した中道改革は壊滅した。右と左の真ん中が中道だといっても、イデオロギーの時代ではないから、もはや真ん中はどこなのかを探してもわからないのだ。中道という概念そのものがすでに崩壊している。

冷戦崩壊後、リベラル派の文化人たちは1度死んでいる。その後、安倍内閣の安保法制に反対していた影響力のある瀬戸内寂聴、大江健三郎、坂本龍一らも亡くなりメディア空間から消えた。戦後80年、「戦後」そのものの終わりとともに、いわゆるリベラルは2度死んだのである。

フランシス・フクヤマが冷戦崩壊に『歴史の終わり』という論文を発表した。日本国においては「戦後」の呪縛から解き放たれたいまが戦後という歴史の終わりなのかもしれない。

僕は1993年に未来戦記をテーマにした『黒船の世紀』を刊行した。黒船来航によって一国平和主義の鎖国から国際社会へと引き摺り出された日本国民は、そこがアフリカのサバンナのような弱肉強食の世界と初めて知った。

ライオンもハイエナもいる。国際法など名ばかりでぼやぼやしていると喰われてしまう。そして徴兵制により武装した。それでもいつ襲われるかわからない。とりあえず日清・日露戦争は乗り切った。しかし不安で不安でたまらない。次にアメリカに襲われるかかもしれない。

無数の日米未来戦記が生まれた。日本の文学史から無視されているメディアのジャンルがあり、実際に日米戦争への機運を醸成したのだ。『黒船の世紀』をリニューアルし、戦後の言論空間までを俯瞰して学術論文として、このほど『戦争シミュレーションー未来戦記の精神史』としてまとめた。

今回の高市解散で、政権与党は350超の議席を得た。トランプ・プーチン・習近平により具現化した弱肉強食の世界に、再び日本国は直面している。不安で不安でたまらない、本来そういう精神史のなかで日本人は国際社会を生きてきたのだ。冷戦時代は未来が安定していた。しかしいま未来は見えない。

圧勝した高市政権は必ずしも安心を与えるものではない。不安を具現化したもの、不安の幻想の着地点なのだ。SNSが作り上げた雪崩のような流動性はすでに都知事選の石丸現象、兵庫県のパワハラ斎藤知事の復帰現象に予兆はあった。

戦前の80年、戦後の80年、合わせた150年の近代日本を一つの世界として認識して、あの戦争を振り返り、未来を見つめる。そのような歴史認識のうえで、弱肉強食の世界を乗り切る冷静な視座が求められている。まず、よって立つ現在地を見つめよう。


編集部より:この記事は参議院議員(日本維新の会)・猪瀬直樹氏のnote 2026年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は猪瀬直樹氏のnoteをご覧ください。

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