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(前回:ネット時代に合わせて公職選挙を変えよう)
政治家は公式サイト、メールマガジン、SNSと多様な手段を駆使して、自分の信条を発信している。それらが支持者に届けば、支持者がリポストして多くの人々に拡散していく。
一方、選挙公報に掲載できる情報量は限られている。他の候補者よりも目立つようにと大きな活字を用いれば、一層情報量が減る。ネット時代にも選挙公報は価値があるのだろうか。
選挙公報の発行主体は選挙管理委員会である。候補者が持ち込んだ原版について形式的な審査をしてから印刷に回す。形式審査では、原版のサイズは指定通りか、公職選挙法に反する表現はないか、誹謗中傷や虚偽事項がないかなどがチェックされる。ただし、明白な虚偽は排除できるが、争いのある事実については選管には判断できない。そして、審査後に選挙公報が印刷・配布される。
しかし、2010年の参議院選挙(東京)では、候補者が提出した2種の原版のうち希望しない方が掲載されたと、刷り直しになった。どちらを掲載するか選管が確認ミスしたからというのだが、そもそも原版を二つ出すと候補者に原因がある。「行政は無謬であるべき」といっても限界はあるだろう。
選管サイトに候補者一覧を掲載し、それぞれの候補者のサイトにリンクを張れば、選挙公報は不要になる。そう思って専門家に聞いたところ、こんな回答が戻ってきた。
選管がリンク先に対しても形式審査の責任を負う仕組みにすると、選管は候補者サイトを監視し続けるしかない。たとえば、リンク後に候補者がサイトで他の候補者を誹謗中傷するかもしれないからだ。継続的な監視は選挙活動の自由に悪影響をもたらす。
形式審査を通過した原版を選挙公報という「公文書」にすることに選管は責任を負ってきた。「行政は無謬であるべき」なので、刷り直しは行政の責任だ。こんな解釈の延長線で、選管はリンク先の候補者サイトの内容について継続的に責任を持つべきとなったのだろう。ため息が出る。
選挙広報の点字版が視覚障害者に配布される。今回の総選挙について、朝日新聞には「選挙公報の点字版、間に合わない恐れも 有権者の権利脅かす突発選挙」という批判記事が出た。
候補者サイトなら音声読み上げできる。点字化もできる。聴覚障害者のために動画に字幕を付けるのを容易だ。しかし、専門家はこれにも抵抗する。
候補者サイトがアクセシビリティに対応していないと、音声読み上げなどが動かない。選管は責任を取れないから、リンク型への転換はむずかしい。
障害者による情報へのアクセスを保障するのがアクセシビリティ対応である。それができない候補者は、むしろ障害者から「お断り」されるだろう。サイトのアクセシビリティ対応の有無は候補者の人権意識の指標の一つであり、有権者の判断材料になる。それに対応しない候補者にまで、選管が責任を持つ必要はない。
アナログ選挙にどっぷりつかってきた専門家だからこそ、選挙公報のデジタル化に反対していると痛感した。しかし、こんな理屈でデジタル化が妨げられているのが実情である。
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