オープンレター秘録⑦ 史実は「歴史修正主義」では隠せない(完)

2026年の4月4日は、かの有名なオープンレターの生誕5周年にあたる。そして、このレターは轟々たる非難の中で1年後にネットから削除されたので、同じ日が没後4周年の命日でもある。

オリンピックだって「ひとつ前の大会」について聞かれたら、混乱するのが常だろう。21年4月4日に公開された文章がいまも記憶され、事あるごとに参照されるのは、驚異というほかはない。

2026.3.29

オタクによる反戦デモ」なる、それ自体は自由にやればよい政治活動への批判に、なぜオープンレターが持ち出されるかと言うと、5年前にレターを主導し集まった学者には、むしろオタクを蔑視する人が多かったからだ。

彼らは意にそぐわない描写には「表現の自由はない」と居直り、社会から抹消しようとするキャンセルカルチャーを仕掛けた。オタクからの抗議を「豚の嘶き」とまで罵る学者さえいた史実は、これまでもご紹介している。

Blueskyという「遠吠えメディア」: オープンレターズは ”嘶き” 続ける|與那覇潤の論説Bistro
「オープンレター秘録」はあと3回は続くのだが、新たな回を割くには矮小なネット中傷が行われたので、以下と同じく単発で手短かに。 BlueskyというSNSがある。イーロン・マスクが買収してXに変わって以来、「Twitterの居心地が悪い」と感...

残念ながら、もし「豚の嘶き」と形容されるにふさわしい表現があるなら、それはオープンレターそのものなことを、もう誰もが知っている。なにより出した当事者たちが、内心ではそう気づいて、過去の隠蔽を図っている。

ネットから姿を消したオープンレターの文面が、「記録する」と称して活字になったのは、削除から約半年後の2022年11月だった。呼びかけ人のうち松尾亜紀子氏が発行する雑誌に、小林えみ氏が協力した形となっている。

レターをめぐる民事訴訟が進行中だったため、小林氏のほか隠岐さや香氏と北村紗衣氏の訴訟関連のコメントも附されている。だがすでに、肝心のレター本体の再録の仕方からして瑕疵がある。

エトセトラ VOL.8 | book | エトセトラブックス / フェミニズムにかかわる様々な本を届ける出版社
フェミニズムにかかわる様々な本を届ける出版社です。まだ伝えられていない女性の声は無限にあり、フェミニズムの形も個人の数だけ無限にあります。そんな女性たちの「エトセトラ」を本にするフェミプレスです。

(あいうえお順/2022年11月10日現在の差出人のみ記載/肩書きは2021年4月4日当時)

107頁(強調は引用者)

呼びかけ人の名を列挙した後に、こんな奇妙な補足が附されているのは、公開後に批判を受けて「自分の名前を削った」呼びかけ人が2名いた史実を、再録にあたって隠しているからである。

ひとりは、レターへの批判が高まる2021年の秋に逃げだした礪波亜希氏で、

オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧
できれば避けたいと思ってきたが、連載第2回で予告したとおり、呉座勇一氏の問題に関して発表されたオープンレターについて、その裏面を物語る資料を公開する。第3回で与えた警告に反して、嶋理人氏(日本史学。熊本学園大学講師)が11月23日夜に、私を...

もうひとりは22年1月、おそらくはレター側の対応の無責任さから離れた小木田順子氏だ。

キラキラ・ダイバーシティの終焉:オープンレター「炎上」異聞
昨年末の12月29日に連載を完結させて以来、私からは言及してこなかったオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(2021年4月4日付)が、今年に入って大炎上を起こしている。レターの内容と運用のどこに問題があるのかは、すでに同連載の中...

さらに重大な問題は、1300名超の署名を集めたにもかかわらず、彼らの存在を一顧だにせず、名簿を掲載していないことだ。添えられた隠岐さや香氏の、訴訟にあたっての声明文では、

ネットの言論に関係があるメディアや出版社、そして研究・教育の関係者に呼びかけましたが、宛先の限定された呼びかけであったにもかかわらず、千人以上の方々が署名してくださいました

上記書、108頁

と、その人数の多さが「レターの正当性の証明」のように語られているにもかかわらず、その名を記して感謝するどころか、つるっと全削除して歴史から消してしまうというモラルが、人としてありえるのだろうか?

もちろん、ありえる。呼びかけ人もまた内心で過ちに気づくか、署名者の名前を活字にして残すなどしたら「恥ずかしいし、迷惑だからやめて!」とクレームがつきかねない現状を、正しく把握している場合だ(苦笑)。

しかし、それではレターを信じて署名した人たちが、あまりに哀れだろう。というわけで本連載では、私の(昔の)同業者に限って、その名を翻刻してあげた。いわば、オープンレターをRe: Openする試みである(笑)。

オープンレター秘録③ 一覧・史料批判のできない歴史学者たち|與那覇潤の論説Bistro
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で...

こうした歴史修正主義、ないし歴史否定主義と呼ぶべき面々がオープンレターに集っていることは、その後も幾度かの炎上で周知の事実になった。が、こちらも(元)プロなので、安易に気が抜けないのをよく知っている。

"歴史否定主義者" 玉田敦子氏が行った「noteへの削除要請」について|與那覇潤の論説Bistro
当方の着信時刻で12/17の18:05に、「運営事務局(note)」名義のアドレスからメールが届いた。 前回も触れたとおり、中部大学で歴史学を講じる玉田敦子教授が、私の記事を削除するようnoteに要請してきたので、それを取り次ぐ形である。 ...

たとえば、①ハードコアな歴史否定主義の場合は、文字どおり「死者はゼロ人で、事実そのものがなかった」という趣旨で、南京大虐殺はなかった、と書いたりする。が、そうした極論は、批判に対して維持するのが難しい。

なので途中から、②ソフトな歴史修正主義に移行し「あるはあったけど、そこまで騒いで歴史に残すほどには、筆を割くべき価値を持つような事件ではなかった」という方向へ、持っていく。

同様のやり方が、もしもオープンレターに応用されるなら、

「あぁ、なんかありましたけど、一部の偏った人がヒステリックに叩いていただけで、当時は誰も気に留めなかった話ですよ。キャンセルカルチャーだぁ! みたいな大げさな呼び方自体がパニックで、ほら、戦場ならよく起きる話を虐殺だぁ! みたく騒ぐ人とかいるじゃないですか…」

みたいなことさえ、将来起きえるわけである。

『「キャンセル・カルチャー」パニック』(青土社)刊行記念イベント 「キャンセル」という言葉があぶり出すもの、隠すもの
アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニックーーパニックを生み出す言説空間』(藤崎剛人訳、青土社、2025)刊行を記念して、イベントを開催します。「キャンセル・カルチャー」という言葉はあたかも確実に存在している問題を指すはっきりし...

しかし残念ながら、その手は自ら「史料批判」のできる一流の歴史家には、効かない(苦笑)。

21年の4月に出たオープンレターの中心人物である北村紗衣氏は、9月に新書で『批評の教室』を刊行し、本人のWikipediaによれば年明けまでに5万部を売るヒットになった。批評というジャンルのマイナーさを考えれば、異例といえる快挙だ。

ところが11月3日初回を公開してから、年内で13回に及んだ私の連載をはじめとするレター批判の嵐のなかで、同書はさる書店が発表する2021年のベスト30では、言及すらされなかった。

紀伊國屋じんぶん大賞2022 読者と選ぶ2021年の人文書ベスト30
紀伊國屋じんぶん大賞2022 読者と選ぶ2021年の人文書ベスト30(2020年12月~2021年11月出版の人文書/第12回)

この「賞」は翌年、および翌々年の上位リストが示すとおり、トランスジェンダリズム寄りのLGBT運動やフェミニズムをしばしば推してきた。にもかかわらずの「言及なし」は、レターの炎上を抜きにしては説明がつかない。

なお売り上げを勘案した場合、当該年の「新書大賞」に選ばれるのではと懸念(期待?)する向きも実際にあったが、やはり11位と予想外の低位となった。年末に投票する賞だから、これまた想定される原因は同じだ。

新書大賞|中央公論.jp
中央公論新社が主催する「新書大賞」は、1年間に刊行されたすべての新書から、その年「最高の一冊」を選ぶ賞です。

こうして、本人たちすら恥ずかしくて「黒歴史」にせざるを得ず、しかし検索サイトまで整備されて署名者は逃げられない、DEATH NOTEのような凶器になり果てて、オープンレターは終わった。

いまや誰もが、SNSでの失言を見れば「レター署名者でないか」を確認し、言えば必勝の負のレッテルとして「オープンレターw」との揶揄を浴びせる。最近は「意外に署名者でなかった」ことが話題を呼ぶほどまで定着し、誰も逃れられない。

署名者検索 for オープンレター | #againstc
「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」への署名者を検索できるツール(このツールが名を騙られたかもしれない人,あるいはオープンレター署名者についてもっと知りたい人の手助けとなることを願って已まない)

が、ひとりだけ、そこから外れている人がいる。

誰でも自由にオープンレターを批判できるし、現に今日もレターへの否定的な言及がやまないわけだが、1名のみ、その権利を持たない人がいる。レター側と訴訟で和解し、互いに自由を制約することに合意した人である。

オープンレター訴訟、勝利和解のお知らせ|弁護士神原元
オープンレター~女性差別的な文化を脱するために 本日、呉座勇一氏(歴史学者)がオープンレター差出人らに名誉毀損に基づく損害賠償請求をした訴訟について、呉座氏が、オープンレターが名誉毀損で違法であるとの主張を撤回し和解を申し出ましたので、オー...

反訴原告、反訴被告ら及び補助参加人(以下「本件当事者」という。)は、別紙添付「オープンレター」が、……中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることが大切であると広く呼びかけたものであることを確認する。

神原元氏note、2023.9.27

23年9月にオープンレター側の代理人弁護士が公開した、この和解条項が正確な文言であれば、言外の「キャンセルを呼びかけるものではなかったこと」という含意にも、調印した者はこのとき合意したという趣旨になる。

勝訴すれば自らの主張が通るし、敗訴の場合でも「この判決は不当だ」と批判する自由は残る(もし残らないなら、司法官が独裁を行う社会であって、自由民主主義ではない)。しかし和解した場合は、違背する形での相手の批判はできない。

かくして、キャンセルされた(と、和解に調印せず拘束されない大多数は判断する)本人のみが「あれはキャンセルカルチャーだった」と述べる自由を持たない、不可思議な状況が生まれた。

2025.9.27
言及されている背景はこちら

その和解のちょうど2年後、世界でキャンセルカルチャーの潮流は方向を180度変えた。トランスジェンダリズムの流行を背景にキャンセル「していた」側は、むしろ「される」側になった。

カウンター・オープンレターの時代へ: 米国 "極右暗殺" が問うもの|與那覇潤の論説Bistro
9/10にトランプ支持の活動家であるチャーリー・カーク氏が射殺されて以来、ネットで論争めいた口論がかまびすしい。ただ、あまりに粗雑な物言いばかり目立つので、情報を整理してみる。 まず、カーク氏は単なるネトウヨではない。設立したTurning...

だが、日本で最も著名な類似の事件でキャンセルの被害に遭った、当人が取材されることはない。いちばん肝心な箇所で、

「和解しているので、(オフレコでしか)話せません

としか証言しえないことが、あらかじめ判明している相手に、インタビューを申し込む媒体はないからだ。同じ理由で今後、本人自らが体験を語ったり執筆することも、期待できない。

この連載を始めるにあたり、私が、

オープンレター秘録① それはトランスジェンダー戦争の序曲だった|與那覇潤の論説Bistro
日本文藝家協会に入っているのだが、会報(文藝家協会ニュース)の10月号に、小説家の笙野頼子さんがコラムを寄せていた。タイトルは「続・女性文学は発禁文学なのか?」。 「続」とあるのは、2021年の11月にも、笙野氏は同じテーマで寄稿しているか...

いま、「コイツ、オープンレターじゃん?」とだけ書き捨てて悦に入る人は、そもそもオープンレターがなんであったかを知っているか。ホンモノがどのようにそれを覆し、ネット上の言論空間をまともに戻してきたかを理解し、その試みを受け継ごうとしているか。
(中 略)
彼ら彼女らは、記憶が忘れ去られて「それ、具体的になんですか?」と言い返せるタイミングを待っており、事実を知ろうとしないニセモノな批判者の存在は、むしろ思う壺なのだ。

拙note、2024.11.27
(強調箇所を追加)

と書いたのは、それがわかっていたからである。

そして、同じ回で予告したとおり、本連載の書籍化が決まった。単なる再録ではなく、まだまだ公開していない情報も含めて一から作ってゆくし、先約もありここから3冊目での刊行となるが、来年には出したく思っている。

「そんなに待てない!」という人も、安心してほしい。次の新刊として目下最優先で取り組む『専門家批判』の書籍でも、この事件に言及し、かつ重なる構造を持つSNS上の有識者への依存の問題を、しっかりと掘り下げる。

「専門家」が大凋落した2025年を偲び、祝い、送る。|與那覇潤の論説Bistro
いまや思い返すのも難しいが、今年が始まったとき、アメリカの大統領はバイデンだった。後に副大統領にすら老衰ぶりを貶される彼の下で、「ウクライナを勝たせる」という不可能な試みへの投資が、だらだらと続いていた。 政権がトランプ(第2次)に替わるの...

それはいまも「歴史学者」をやめただけで(失笑)、歴史家である私にとっての過去の実証であると同時に、この間「戦後批評の正嫡」になった者として行う、ホンモノの文藝評論にもなろう。

なぜだろうか。SNSで人文学者が率先して、言葉のやりとりを数の暴力に変えてしまった事件を検証することが、どうして5年経ついまなお、学問や批評にとって最優先の課題であるのか。

昨年も引用した、ホンモノとニセモノ(phony)の弁別を唱える、江藤淳の発言を最後に引く。

なんどでも確認しよう。報われるべきはただホンモノのみであり、その党派や立場を問わず、ニセモノは去らねばならない。

資料室: フォニイ(贋物)な著作はいかにして書かれるか?―小谷野敦氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
前回の記事でご報告したとおり、先週いよいよ『江藤淳と加藤典洋』が発売になった。ありがたいことに、版元違いのデイリー新潮も5/17に、タイアップでぼくの寄稿を載せてくれている。 トランプの爆走を生んだ「歴史の変化」が見えない人びと 「ニセモノ...

最後にもう一度、”フォニイ” という言葉の意味を確認しておきたい。私はどの場合にも、ヴァン・ルーン〔米国の作家・歴史家〕の文例の、

内に燃えさかる真の火を持たぬまま文を書き詩を作る人間は、……つねにフォニイであろう》

という意味において、”フォニイ” といったのである。

江藤淳『リアリズムの源流』291頁
(初出『文學界』1974年6月号)

参考記事:

オープンレター秘録⑥ 橋迫瑞穂氏にみる「切られた署名者」の末路|與那覇潤の論説Bistro
橋迫瑞穂氏をご記憶だろうか。博士号を持つ社会学者で、2021年にはオープンレターに署名し、Twitterアカウントでの発信にも熱心な人物だ。 このnoteを書いている25年4月の時点では、彼女の名前をGoogleで検索すると、トップは本人の...
オープンレターは永遠に: こうして彼らは立憲民主党を滅ぼした。|與那覇潤の論説Bistro
高市自民党が単独で衆院の3分の2を掌握し、参院で否決されても「自民党だけで再可決」して法律にできる状況が生まれた。あくまでも理論上の話だが、歴史から比喩を出すと、これは党が国家を所有したのと同じである。 『ソ連=党が所有した国家 1917ー...

(ヘッダーは、正しいOpen Letterの美術作品。TABより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。

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