ドイツ観念論と呼ばれる一連の哲学は、フランス革命の時代に生まれた啓蒙思想の産物だった。神の代わりに人間を世界の中心にすえる啓蒙思想は、ヴォルテールやロックに始まってルソーのフランス革命の思想となったが、これは哲学的には幼稚なものだった。
その影響を受けてイマヌエル・カントは、フランス革命前夜に『純粋理性批判』を出した。そこで彼は神ではなく人間の認識が世界を作り出す「コペルニクス的転回」を哲学的に実現した。それは後進国ドイツで英仏のような市民社会を観念的につくるものだった。

ヒュームが「独断のまどろみ」を覚ました
カントは「最後のスコラ哲学者」ともいわれる。その観念的な語り口は伝統的な神学者と同じで、扱うテーマも「普遍論争」のような観念的な論争のスタイルだったが、彼の問題意識は神ではなく科学の普遍性だった。
かつて神によって説明された世界は、ニュートン力学に代表される科学で説明できるようになった。では科学を説明するのは何か――それがカントのテーマだった。今でいう科学哲学である。
万有引力の法則は聖書にもアリストテレスの自然学にも書かれていないが、なぜ全世界で厳密に同じなのか。実在から現象を説明する形而上学では問題は解けない。それを解くヒントをカントはヒュームに求めた。
私は告白する。デイヴィッド・ヒュームの警告こそが、数年前にはじめて私の独断のまどろみを破り、思弁的哲学の領野における私の探究にまったく別の方向を与えたものであった。(『プロレゴーメナ』)
認識に与えられているのは現象であって本質ではない。たとえばコップを落としたら床に落ちて割れるという現象は、落とすのが原因で割れるのが結果だと思われているが、それは自明ではない。宇宙空間では、コップは落ちないからだ。
われわれが因果関係として認識しているのは本質ではなく、経験の集積にすぎない。本質はそこから推測されるだけだ。このヒュームの洞察が、カントのコペルニクス的転回のきっかけとなった。
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