視力なんて、何歳でも戻る話

AntonioGuillem/iStock

正直に書くと、眼科に行って失望した経験は、私だけではないはずだ。

目がかすむ、夕方になると新聞の文字が滲む。重い腰を上げて駅前の眼科に行った。検査して、待合室で待たされて、診察室に呼ばれて——出てきた言葉は「特に異常はありません。年齢的なものですね。気になるならメガネを作りましょう」。

1週間で勝手に目がよくなる体になるすごい方法』(平賀広貴 著)日本文芸社

それだけ。たった、それだけだった。

医者に文句を言いたいわけではない。彼らは外科医に近い。緑内障や白内障、外傷といった「異常」を見つけて医学的に処置するのが仕事だ。

多忙な臨床現場で、患者一人ひとりの生活習慣に踏み込んで「あなたは寝不足ですね、姿勢も悪い、外に出る時間が少なすぎる」と説教してくれる医者が、果たして何人いるだろう。たぶん、ほぼいない。

それなのに我々は、なぜか眼科に行けば視力が戻ると思っている。違うのだ。眼科は「治す場所」であって「鍛える場所」ではない。鍛えるのは自分でやるしかない。ジムでベンチプレスを上げるのが整形外科医ではないのと同じである。

ここで気になるのは、「子どもの頃に外で遊ばなかったから視力が落ちたのだ、もう手遅れだ」と諦めている大人が多いことだ。確かに、屋外で太陽を浴びて遠くを眺めて育った子どもは、大人になっても目がいい傾向がある。

これは事実。研究もある。だが、だからといって「もう四十、五十、六十で何をやっても無駄」かといえば、それは違う。

遺伝の影響は、よく言われるほど大きくない。ごくわずかだ。親子そろって近視になるのは、遺伝より「同じ家で同じスマホ姿勢で同じ時間ゲームをしていた」結果である。要するに、生活習慣のコピーだ。だから、習慣を変えれば、視力もある程度戻る余地は残っている。

私の知人に、五十代後半から本気で取り組んで、運転用以外のメガネが要らなくなった男がいる。

何をしたか聞いたら「毎朝散歩して、遠くの看板の文字を読んでいるだけだ」と言った。それだけ?と聞き返したら、「それだけ」と笑っていた。眉唾と思うか試してみるかは、読者の判断に委ねたい。

ただ一つだけ言わせてほしい。視力を諦めるのは、早い。早すぎる。眼科で「もうメガネしかない」と言われたとしても、それは「医療の範囲ではメガネしかない」という意味であって、「あなたの視力はもう一生戻らない」という宣告ではない。

そこを混同しないほうがいい。

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

23冊目の本を出版しました。日本初のClaude実用書です。

3時間で身につくClaude活用術』(WAVE出版)

 

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント