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(前回:感染症有事と安全保障の交差点②:80年変わらない日本的失敗の構造)
9条論争が覆い隠してきたもの
日本の安全保障論議は、この80年、憲法9条の解釈と改正をめぐる論争にほぼ収斂してきた。改憲派は「9条があるから自衛隊が窮屈だ」と主張し、護憲派は「9条こそが平和の礎だ」と反論する。両者の対立は永続し、議論はほとんど前に進まない。
しかしコロナ禍の失敗は、この論争が問題の本丸ではなかったことを露呈させた。感染症のパンデミックに対して、9条は関係ない。それでも日本は失敗した。自衛隊の治安出動権限を拡大しても、集団的自衛権を認めても、柏市で新生児が死ぬ構造は変わらなかったはずだ。
前回・前々回の拙稿で論じた通り、日本のコロナ対応失敗は「医療崩壊」ではなく「戦略なき国家」の問題だった。個別組織の合理性を全体の合理性に変換する制度的な回路がなかった。この問題は憲法9条のどの条文とも関係ない。ところが戦後日本は、安全保障を語ることが9条論争に回収される構造の中で、制度設計そのものについて考えることをやめてしまった。
本稿では、9条論争をいったん括弧に入れて、危機管理国家に必要な制度設計を具体的に提示したい。改憲派にも護憲派にも共有可能な、第三の道である。
戦後日本が失ったもの
まず確認すべきは、戦後日本が何を失ったかだ。
1945年以降、GHQ占領下で日本は多くの国家機能を解体した。陸海軍は当然解体された。しかし解体されたのは戦闘機能だけではない。危機管理国家として必要な知的インフラの多くも、同時に失われた。
陸軍参謀本部の情報部門が解体されたことで、戦略的な対外情報の収集と分析の体系が消えた。戦前の日本には、帝国主義的拡張と結びついた問題を多々抱えていたとはいえ、対外情報を国家として収集・分析する複数の機関が存在した。戦後、これらの機能は制度として再建されていない。現在の内閣情報調査室・公安調査庁・外務省国際情報統括官組織はそれぞれ限定的な機能を持つが、統合された国家情報機関としては機能していない。
陸軍軍医学校が解体されたことで、生物防御に関する国家の中枢機能が消えた。戦前の日本には、倫理的に問題の多い研究も含めて、化学・生物戦への対処を国家レベルで考える機関があった。戦後、これらの機能は大学医学部と厚生労働省に分散され、統合的な生物安全保障の視点を持つ組織はない。
登戸研究所に代表される技術研究機関も解体された。これによりデュアルユース(軍民両用)技術の国家戦略が空白になった。現代のバイオテクノロジーや人工知能といった領域で、日本は国家としての戦略を持てないまま、民間企業と大学の個別努力に委ねている。
解体の妥当性について、歴史的な評価は分かれる。旧軍の関与した研究には倫理的な問題を抱えるものもあった。しかし解体の後で、民主国家として必要な機能を再設計するプロセスが決定的に欠けていた——これは確かだろう。戦後日本は、解体された機能の負の側面を切り離し、独立国家に必要な機能だけを組み直すという作業を、ほとんど怠ってきた。
世界はどうしているか
諸外国はこの問題にどう向き合っているか、簡単に見ておきたい。
米国にはNSC(国家安全保障会議)があり、危機時には大統領の下で国防・国務・財務・司法・国土安全保障・保健福祉の各省長官が統合される。CDCは元々戦時マラリア対策局として設立されたもので、パンデミック対応を安全保障の一環として扱っている。FEMA(連邦緊急事態管理庁)は自然災害から生物テロまで統合的に対処する。
英国にはCOBR(内閣府危機対応委員会)があり、首相官邸の下で各省庁・機関を横断的に統合する。保健安全保障庁(UKHSA)は感染症対応の専門機関だ。フランスには国防・国家安全保障総局(SGDSN)があり、感染症・サイバー・テロを一括で扱う。ドイツは連邦大統領府の下に危機管理の統合機構を持ち、ロベルト・コッホ研究所が感染症対応を担う。
少なくともこれらの国では 、危機管理を「医療問題」や「警察問題」として縦割りに分断していない。感染症、テロ、災害、サイバー攻撃を統合的に処理する横断的な機構を持っている。日本だけがこれを持っていない。
日本に必要な制度設計
では日本は何を作るべきか。以下に並べる提言は、いずれも9条とは無関係に実現できるものばかりだ。
第一に、国家安全保障会議(NSC)の機能を拡張すること。2013年に設置された現在のNSCは、主に軍事的脅威を扱う枠組みに留まっている。これを感染症・バイオテロ・経済安全保障・技術流出・サイバー攻撃を統合的に扱う横断機構へと拡張する。必要なのは新規立法ではなく、既存NSCの所掌範囲の拡大と、事務局である国家安全保障局の人員・権限の強化だ。
第二に、感染症対応を安全保障の枠組みに置き直すこと。厚生労働省の感染症部局を、必要に応じてNSCの指揮下に統合する制度を作る。2023年に発足した内閣感染症危機管理統括庁はその方向の第一歩だが、権限と予算の規模が足りない。米国CDCや英国UKHSAに相当する独立した感染症安全保障機関の設立も検討すべきだ。以前の拙稿で、面会制限についての対応を問うた「日本赤十字社」も感染症安全保障に組み込むべきだ。
第三に、統合情報機能の構築。内閣情報調査室・公安調査庁・外務省・防衛省情報本部・警察庁外事情報部・財務省関税局などに分散する情報機能を、危機時に統合する枠組みを設計する。新しい情報機関を作る必要はなく、既存機関の統合プロトコルを明文化するだけでも相当の効果が見込める。
第四に、デュアルユース研究の国家的な制度化。民生・軍事の両方に応用可能な技術研究を、国家戦略として位置づける枠組みを作る。現在の日本学術会議の「軍事研究忌避」姿勢は、世界標準から見て異様だ。大学の自由を尊重しつつ、国家安全保障に資する研究を支援する体制を整える。
第五に、責任の所在を明確にすること。危機時に「誰が最終決定し、誰が責任を負うか」を法的にはっきりさせる。今の日本では首相、官房長官、担当大臣、事務次官、専門家、有識者会議の間で責任が分散していて、最終的に誰も責任を取らない仕組みになっている。災害対策基本法・感染症法・新型インフルエンザ等対策特別措置法を統合的に見直し、指揮系統を整理する必要がある。
第六に、危機時のデータガバナンスを制度化すること。これはコロナ禍で最も深刻な空白が露呈した領域だ。試算・予測モデルについては、前提条件・不確実性・感度分析を併記する義務、独立した専門家による事前査読、事後検証の制度化が必要である。
リスク指標については、絶対リスクと相対リスクの併記を義務化する(「有効性95%」だけでなく「絶対リスク差1%未満」も併記する、といった形で)。死亡・罹患統計については、計上基準の透明化と定期的な検証を行う。超過死亡のリアルタイム公開と、多因子的な原因分析の制度化も急務だ。
これらは誰かを処罰するためではなく、データと政策を接続する回路を国家として持つための、基本的なインフラである。戦時中に大本営発表が検証されなかった失敗を、80年後にパンデミックの文脈で繰り返してはならない。
9条の議論と切り離せる
大事な点を繰り返しておく。上の6つの提言は、いずれも憲法9条の改正を必要としない。NSCの機能拡張、感染症対応の再定位、統合情報機能、デュアルユース研究、責任明確化、データガバナンス——どれも通常の立法と行政改革で実現できる。
改憲派がこれらを「9条改正の後に考える課題」として先送りし、護憲派が「安全保障の議論はすべて9条への攻撃」として警戒するとき、本当に必要な制度設計だけが空白のまま残される。
戦後80年、日本はこの罠にはまり続けてきた。そしてコロナ禍でその空白の代償を払った。柏市で新生児が亡くなった夜、国家は機能していなかった。改憲の議論をしていても、9条を守る議論をしていても、あの夜の悲劇は止められなかった。
独立国家であるための条件
真の独立国家とは、自前で情勢を判断し、自前で危機を処理し、自前で国民を守れる国家のことだと思う。軍事力の有無だけが独立の条件ではない。危機が来たときに国家として統合的に機能する能力——これが独立国家の実質である。
戦前日本は、広大な情報網と分析装置を持ちながら、それを国家意思へと統合できずに敗れた。戦後日本は、その失敗を反省するのではなく、統合的な危機管理の発想そのものから距離を置いた。コロナ禍で露呈したのは、戦後80年の積み残しの帰結だった。
次の危機が何であれ——新型感染症か、首都直下地震か、台湾有事か、サイバー攻撃か——構造を変えない限り、私たちは同じ失敗を繰り返す。必要なのは9条の改正ではない。9条論争に回収されない形での、危機管理国家としての再設計だ。それは右でも左でもない、独立国家としての当然の責務である。







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