認知症は治らない、予防もできない。しからば共に生きよ。(前編)

東 徹

このコラムは、認知症は治らないし、予防もできない、ということをひたすら説明するものである。なぜそれを書かなければならないのか。社会全体が現実から目を背けているからだ。辛くとも現実を受け入れた先にしか希望はない。

後編では「では、どうすれば良いか」を示す。しかし、まず絶望しなければ、叶わぬ幻想に囚われたまま暗闇から抜け出すことはできない。

大袈裟に風呂敷を広げたが、苦しみに耐えて最後まで読んでほしい。

認知症の新薬は効かなかった

2026年4月、医療分野で最も信頼性の高いエビデンスを提供するCochraneが、抗アミロイドβ抗体薬の効果を検証した大規模レビューを公表した。17の臨床試験、計20,342人のデータを統合した結果はこうだ。

認知機能の低下や認知症の重症度に対する効果は、ほとんど存在しないか、あったとしても臨床的に意味のある水準を大きく下回る。

これはアルツハイマー型認知症の原因とされているアミロイドβというタンパク質を脳から除去すれば進行を遅らせられるのではないか、という仮説のもとに作られた薬の話だ。レカネマブ、ドナネマブという二つの薬については統計学的に小さな進行抑制効果が示されたが、患者本人や家族が実感できるほどの差ではない。

統計的有意差と臨床的意義は別物である。治るわけでも、止まるわけでもない。おまけにこれらの薬は、脳浮腫や微小出血のリスクを高めることも示されている。

これ以前から存在するドネペジルなどのコリンエステラーゼ阻害薬はどうか。これらはアセチルコリン系の神経伝達を高め、認知機能を一時的に底上げする対症療法だ。一定の小さな効果はある。しかし認知症そのものの病理を止める薬ではない。やめると効果も消える。

裏を返せば、薬が病気を治していたのではなく、薬理学的に機能を一時的に支えていたに過ぎない。おまけに過剰な神経刺激によってイライラ、不穏などの副作用を起こすことも少なくない。

まとめると、認知症の薬は治せない。進行を止めることもできない。

前提として:「治る認知機能障害」もある

一点補足しておく。正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫、甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏、薬剤性のせん妄、うつ病による仮性認知症など、原因を取り除けば改善する認知機能障害は存在する。

本稿でいう認知症とは、それらの可逆的な認知機能障害を除外したうえで残る、慢性的で不可逆的な神経認知障害のことである。

認知症は老化そのものである

では、なぜ認知症は治らないのか。それは認知症が老化そのものだからだ。

脳には約1000億個の神経細胞が存在し、互いにネットワークを形成して電気信号を送り合う。それが認知機能を生み出している。いわば天然知能だ。昨今話題の人工知能(AI)でもニューラルネットワークという言葉が使われる。ニューラルとは神経のこと。AIと人間の脳はまったく同じではないが、認知機能がネットワークから生まれるという直感をつかむには分かりやすい対比だ。

そしてこの精巧なネットワークは、加齢とともに必ず劣化する。脳は萎縮し、神経ネットワークの効率は落ち、血管や代謝の問題も重なる。その結果として処理速度、記銘力、新しい情報への適応力は長期的には必ず低下する。

プロ棋士でも50代を超えてさらに強くなる棋士はいない。80代で現役を続けられる者もいない。認知機能は不可逆に衰える。一方通行だ。

そしていつか、その低下は生活に支障をきたすレベルに達する。それが認知症の診断である。

発症には多数の要因が絡んでいるため、脳が萎縮するから認知症になる、というのは単純化した話だ。しかし確実なことは、年齢とともに、特に70代以降は、脳の容積は必ず小さくなり、認知機能は必ず衰える、ということだ。

100歳でも認知機能が保たれている人もいる、というかもしれない。しかしそれは極めて稀であり、その人ですら認知症を免れたのではなく、認知症の診断閾値に達する前に別の病気か老衰で人生が終わっただけである。

認知症になるか、先に死ぬか

もっと単純な言い方をしよう。

人間はいつか必ず死ぬ。そして必ず老いる。筋力も肌つやも衰える。若返ることはできない。認知機能も同じだ。認知症が治るとしたら、それは不老不死を手に入れたに等しい。少なくとも現代の医学でそれは不可能だ。

長く生きれば誰でも認知症になる。治らない。予防もできない。進行を止めることもできない。考えてみれば、当たり前のことである。

「45%予防可能」の誤解

いや、認知症は予防可能だ、という声がある。

低教育、難聴、高LDL、高血圧、肥満、糖尿病、喫煙、過量飲酒、頭部外傷、うつ、運動不足、社会的孤立、大気汚染、視力低下、これら14のリスク因子に対処すれば認知症症例の約45%が「予防または遅延可能」というデータがある(Lancet, 2024)。

たしかに、この論文自体は正しい。

しかしこれは、個人が努力すれば自分の認知症を45%防げるという意味ではない。これら全てのリスク因子を集団全体で理想的に除去できたとしたら、という現実にはありえない仮定のもとで、理論上どれだけ認知症症例数を減らせるか、あるいは発症を遅らせられるか、を推計した人口寄与割合である。

そして「予防または遅延可能」という論文自身の表現に注目してほしい。予防と遅延は違う。遅延とは、認知症になる時期を少し後ろにずらすことだ。この45%の相当部分は、ならないことではなく、なる時期をずらすことを意味している。

さらに根本的な問題がある。45%減るとは、ある時点での認知症患者数が減るというスナップショットに過ぎない。その45%が将来も認知症にならないという話ではない。発症が遅れた分、その間に別の病気で死ななければ、結局は認知症になる。

認知症になるか、認知症になる前に別の病気で死ぬか。それだけの違いだ。

なぜ社会はこの現実から目を背けるのか

私は日常的に認知症の診療をしている。物忘れ外来でも診察をする。そこで認知症の診断を告げるたびに、本人や家族からこう言われる。

「早く来て認知症を予防しようと思って」
「認知症を止める薬をください」
「体操したら予防できるんじゃないんですか」

その都度、こう説明する。

「認知症は治らないし、予防もできません。加齢現象だからです。今の医学では若返ることはできないんです」

するとひどく驚かれる。なかには涙する人もいる。

正直、私はこの状況に辟易している。何度も何度も同じ説明をしなければならない。患者も家族も医師ではないから、知らなくて当然だ。しかし問題は「知らない」のではなく「逆のことを信じている」ことだ。進行を止められる、予防できる、人によっては治る、とすら思っている。

なぜか。 巷に溢れているからだ。

認知症予防に効く食べ物、習慣、運動。ああすれば良い、こうすれば良い。雑誌もテレビもYouTubeも。一般人も専門家も。あたかも認知症は避けられるかのように語る。

もちろん、多少の遅延効果はあるかもしれない。しかしそれは認知症が加齢現象であり、誰でもいつかはなる、という根本的な事実を踏まえた上での話だ。その前提が完全に抜け落ちている。

私はNHKで毎日「認知症は治らない」と伝えるべきだと思っている。

「7時のニュースです。認知症は治りません。トランプ大統領はイランとの停戦合意を……」

冗談に聞こえるかもしれないが、半分以上本気だ。それほど社会は認知症から、老化から、そして死そのものから目を背けすぎている。

だから認知症になった後の備えができない。なってから慌てる。人生の終末期を適切に過ごせない。それは必然的に巨大な非効率となって社会全体を停滞させる。

超高齢化社会でそんな悠長なことをしている余裕は、今の日本にはない。

まず現実を受け止めることだ。

では、認知症にはどう向き合えば良いのか。そこには絶望しかないのか。

そんなことはない。認知症を正しく理解すれば、最も効率的な付き合い方が見えてくる。後編ではそれを論じる。

(後編につづく)


編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。

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