フェルディナン・ド・ソシュールは長らく構造主義の元祖とされてきた。彼の言語学はラング(言語体系)が個々のパロール(発話)に先立つ静的な構造分析とされ、人類学など多くの分野に影響を与えた。
ジャン・ポール・サルトルが構造主義を「ブルジョワジーがマルクスに対して築いた最後の砦」と批判したのも、そこに歴史や主体を消去する思想を見たからだが、この理解は一面的である。ソシュールにとってラングはパロールに先立つ構造ではなく、むしろパロールの相互作用の中から生まれるものだったのだ。
言葉にならない観念は「星雲」である
ソシュールの主著とされる『一般言語学講義』は、本人が書いた著作ではなく、講義を聞いた学生たちのノートをもとに編集されたものだ。そこには学生の理解や編集者の整理が入り込んでいた。
1955年にソシュール自身の書いた著書の草稿が発見されると、彼の思想は従来の「構造主義」とは違った姿を見せ始めた。その草稿には重要な一節がある。
思想は言葉による表現を無視すると、無定型の不分明なかたまりに過ぎない。 記号の助けがなくては二つの観念を明瞭にいつも同じように区別できない。思想はそれだけ取ってみると星雲のようなものであり、必然的に区切られているものは一つもない。(『一般言語学講義』草稿 強調は引用者)
この星雲(nébuleuse)は言葉になる前のイメージである。ソシュールは言葉に先立つ「純粋観念」を否定した。彼は歴史に対して構造を対置したのではなく、観念から記号が派生すると考えるデカルト的な本質主義に対して、観念が記号によってつくられると考えたのだ。
古典的人工知能は、言葉を実世界の対象に対応させる記号接地問題に苦しんだ。水という言葉を、どうやって現実の水に結びつけるのか。ペンという音をどうやって机の上の物体と対応させるのか。この問題をまじめに解こうとすると、言葉と世界の対応関係を無限に定義する膨大な辞書が必要になる。
ところが大規模言語モデル(LLM)は、言葉を実世界に対応させる代わりに巨大なベクトル空間に配置し、座標として分散表現する。似た文脈で使われる言葉は近い位置に置かれ、異なる文脈で使われる言葉は遠くに置かれる。LLMは記号の意味を解釈しないで記号接地問題を回避したのだ。
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