週刊文春が報じた高市陣営の「デマ動画」問題は、単なる選挙戦術の逸脱ではない。もし報道内容が事実であれば、これは日本政治がSNS時代に突入したことを示す危険な事件である。
問題になっているのは、昨年の自民党総裁選と今年2月の衆院選で、高市早苗陣営が匿名アカウントを使い、対立候補や野党候補を攻撃するショート動画を大量に流していたという疑惑だ。

匿名アカウントが選挙を動かす時代の危うさ
総裁選では、小泉進次郎氏や林芳正氏を標的にした動画が投稿された。「無能」「アウト」「売国計画」「操り人形」といった言葉で相手を揶揄し、一方で高市氏については「ブレない」「実行力がある」と礼賛する。
投稿主は高市陣営の公式アカウントではなく、「真実の政治」を名乗る匿名アカウントだったという。ここに問題がある。政治家や陣営が自らの名前で相手を批判するなら、それは政治的言論の範囲である。だが、匿名アカウントを装い、第三者の自然発生的な世論に見せかけて相手を攻撃したとすれば、それは有権者を欺く情報操作に近い。
しかも、文春報道によれば、動画作戦は総裁選だけで終わらなかった。今年2月の衆院選でも、中道改革連合の候補者らを標的にしたネガティブ動画が作られ、拡散されたという。
総裁選では党内ライバル、衆院選では野党候補。つまり、政治的な敵が変わるたびに、同じ手法が使われた疑いがある。これが事実なら、もはや一時的な「応援投稿」ではない。組織的なネット世論工作である。
公選法違反にはならないが、放置していいのか
公職選挙法上、インターネットを使った選挙運動は認められているが、候補者に関する虚偽事項の公開や悪質な誹謗中傷は禁止されている。自治体の選管向け説明でも、SNSや動画共有サービスを利用した選挙運動は可能である一方、候補者に関する虚偽の事項の公開、候補者や政党への悪質な誹謗中傷は禁止事項として明示されている。(国立市の公式サイト)
もちろん自民党総裁選は公職選挙ではないため、公職選挙法がそのまま適用されるわけではない。しかし、だからといって何をやってもよいわけではない。むしろ、総裁選は事実上、首相を決める選挙である。そこで匿名アカウントによる中傷動画が大量投入されていたなら、公職選挙以上に説明責任が問われる。
高市事務所側は、公式アカウント以外での発信や、他候補に関するネガティブ動画の作成・発信を否定しているという。そこは慎重に扱う必要がある。現時点では、これは文春報道に基づく疑惑であり、最終的な事実認定は今後の調査や説明を待つべきだ。
しかし疑惑の中身は重い。文春は、関係者の証言だけでなく、LINE、シグナル、ショートメッセージの履歴、動画などをもとに報じている。さらに、衆院選後に高市氏側近の秘書が、野党候補を「害獣」と呼ぶメッセージを送ったとされる点は、政治倫理以前に、民主主義の担い手としての資質を疑わせる。
ショート動画は、新聞記事やテレビ討論と違って、理性的な比較検討を促すものではない。短い時間で感情を刺激し、怒りや嫌悪を増幅する。しかも、AI音声やAI画像を使えば、量産コストは限りなく低くなる。1日100本、200本という単位で投稿されれば、普通の有権者には「ネット上の空気」が本物に見えてしまう。
実際、総裁選で高市氏は党員票を広く獲得し、衆院選でも自民党は大勝したとされる。もちろん、選挙結果をSNS動画だけで説明することはできない。しかし、匿名アカウントによるネガティブキャンペーンが、党員や有権者の空気感に影響した可能性は否定できない。
SNSが「裏の選挙運動」になった
これは高市氏個人の問題にとどまらない。小泉陣営でも、いわゆるステマ的なコメント投稿が問題になった。政治家たちは表では「SNSのデマ対策が必要だ」と言いながら、裏では自分たちに都合のよい情報操作に手を染めているのではないか。そう疑われても仕方がない状況になっている。
与野党では、選挙中のSNS対策や法改正をめぐる議論も進んでいる。インターネット選挙運動は2013年の公職選挙法改正で一部解禁され、候補者や政党だけでなく有権者にもSNS利用が認められるようになったが、その後のAI動画、匿名大量投稿、収益目的の政治系アカウントの拡大には制度が追いついていない。(群馬県公式ウェブサイト)
ただし、規制を強めればよいという単純な話でもない。デマ対策の名目で、政権に不都合な批判まで封じ込める危険があるからだ。必要なのは、言論規制ではなく、発信主体の透明化である。
少なくとも政党、候補者、陣営、秘書、外部業者が関与して作成・拡散した政治動画については、その関与を明示させるべきだ。広告であれば広告と表示する。陣営作成なら陣営作成と表示する。第三者を装った匿名工作は認めない。この程度のルールは、民主主義の最低限のインフラである。
高市首相も説明すべきだ
高市首相は、この問題について「知らない」「事務所は関与していない」で済ませるべきではない。疑惑が事実無根なら、関係資料を示して明確に否定すればよい。逆に、一部でも事実なら、誰が指示し、誰が資金を出し、どのアカウントで、何本の動画を、どの媒体に投稿したのかを説明する必要がある。
「真実の政治」を名乗る匿名アカウントが、実は政治陣営の工作だったとすれば、これほど皮肉な話はない。SNS時代の選挙では、候補者の演説よりも、誰が作ったかわからない15秒動画のほうが有権者の感情を動かす。だからこそ、政治家はその力を最も慎重に扱わなければならない。
高市陣営のデマ動画問題は、どこまで広がるのか。答えはまだ見えない。だが、少なくとも一つだけははっきりしている。日本の選挙は、すでに匿名アカウントとAI動画に侵食されている。政治家が自らその闇に手を突っ込んでいるのだとすれば、問われているのは一陣営の不祥事ではなく、民主主義そのものの耐久性である。







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