中堅企業はどうすれば生まれるのか:経産省が政策から外した退出という大前提

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日本経済の再生において、「中堅企業の強化」が重要だという議論が広がっている。経済産業省もまた、税制優遇・金融支援・補助金を通じてその成長を後押ししている。

中堅企業が売上・投資・賃金のいずれにおいても大企業を上回る伸びを示し、国内経済に大きく貢献しているという認識は正しい。政策の方向性としても、中小企業全体を底上げするよりも成長意欲のある企業に資源を集中させるという発想は、従来の横並び支援より一歩進んでいる。

しかし、この議論には決定的に欠けている前提がある。

中堅企業は支援によって生まれるものではない。

経産省は中堅企業政策の中で「新陳代謝の促進」を掲げている。しかし、新陳代謝とは本来、退出・再配分・成長という三段階の連続である。退出によって人材と資本が解放され、それが成長企業へ再配分されることで、初めて次の成長が生まれる。この三段階は切り離せない。

現在の政策が扱っているのは最後の「成長支援」だけだ。税制優遇も金融支援も投資補助も、いずれも「すでに成長軌道にある企業をさらに伸ばす」ための仕組みである。それ自体は有効だが、成長企業が拡大するために必要な人材・資本・事業機会がどこから来るのかについては、政策は構造的に答えていない。

新陳代謝を謳いながら、その前工程を設計しないとはどういうことか。これは言葉の問題ではなく、制度設計の構造的な欠落である。

ここで誤解してはならないのは、退出は失敗ではなく、市場の正常な機能だという点である。

競争力を失った事業が退出し、その資源がより生産性の高い用途へ移る。このプロセスこそが、経済全体の付加価値を引き上げる。退出を止めることは、単に企業を守るのではなく、資源の再配置を止めることに等しい。

日本の企業退出率はOECD諸国の中で一貫して低水準にある。退出が少ないこと自体は、一見すると安定の証に見えるかもしれない。しかし実態は異なる。生産性の低い企業が退出せずに存続し続けることで、そこに拘束された人材と資本が、より生産性の高い企業へ移動できない状態が固定化されている。

コロナ禍における実質無利子・無担保融資(ゼロゼロ融資)は、その傾向をさらに強めた。資金繰りに窮していた多くの企業が、本来であれば市場から退出するタイミングで政策的に存続を支えられた。緊急時の措置として正当性はあったが、その後遺症として、退出が先送りされた企業群が市場に滞留している。

結果として何が起きるか。成長できる企業が、拡大に必要な人材を採用できない。設備投資に向けるべき資本が、低収益企業の延命に流れ続ける。中堅企業が生まれるための土壌そのものが、政策の外側で静かに損なわれている。

なぜ「退出」は政策文書に書かれないのか。理由は明確である。退出の促進は、雇用喪失・地域経済の空洞化といった現実のコストを伴う。政治的反発も大きく、支援策を積み上げてきた既存政策との整合性も問われる。「淘汰」を明記することが政治的にいかに難しいか、その構造的な制約は理解できる。

しかし、沈黙にも代償がある。

前提条件を欠いたまま後工程の支援策だけが積み上がると、政策全体が「成長できる企業をさらに伸ばす」設計にはなっても、「成長企業に資源が集まる状態をつくる」設計にはならない。この二つは一見似ているが、まったく異なる。前者は現状の分布を所与として介入するものであり、後者は分布そのものを組み替えることを目的とする。日本に必要なのは後者だが、現在の政策が行っているのは前者にとどまっている。

政治的に難しい論点を政策文書から外すことは、短期的には摩擦を避けられる。しかし中長期的には、制度設計の最も重要な部分が空白のまま放置されるという帰結をもたらす。こんな腰の引けた態度では、経産省の存在理由を見いだすことはできない。

経産省の中堅企業政策は、方向として正しい。しかしそれは、前提を欠いた後工程の政策である。

問われるべきは前工程だ。退出をどう扱うか。市場から退出した企業の人材と資本を、どのような制度によって成長企業へ移動させるか。そのための労働市場の流動化、資本市場の整備、地域経済の再設計をどう組み合わせるか。現在の政策は、これらの問いに対して何も答えていない。

中堅企業は育成されるものではなく、再編の中から現れるものである。

退出を政策から外したままでは、「新陳代謝」は実現しない。

そしてその結果として、中堅企業が生まれにくい構造もまた、変わらないままとなる。

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