先週の国会で「おや?」と思ったのは、共産党の塩川議員の「女系天皇ではなぜだめなのか」という質問に対して木原官房長官が絶句し、50秒ぐらい答えられなかったことだ。
この問題についての従来の政府答弁は「例外なき男系継承が古来の伝統だから」ということだったが、最近はこの言葉を使わなくなった。それはこの法案が出てから(産経を除く)すべての新聞が社説で反対を表明し、男系継承に限定する根拠がないと指摘したことが原因だと思われる。
大宝律令には「女系でもよい」と書かれている
「男系の皇統」という言葉は、日本書紀にも出てこない。それどころか天皇家の祖先はアマテラスという女神である。神武から継体までの天皇の多くは実在が疑われており、したがって男系継承の証拠もない。皇位継承は男系に限るというルールは、明治までまったくなかったのだ。
「例外なし」の根拠は日本書紀の神武天皇以来の系図だが、そのうち継体天皇までの25代の天皇の多くは実在が疑われており、したがって男系継承したはずもない。継体以降に限っても「男系に限る」というルールは存在しない。
およそ天皇の兄弟・皇子は、みな親王とせよ。女帝の子もまた同じ。それ以外は並びに諸王とせよ。
ここでは女帝の子も「親王」(皇位継承権をもつ子)になると明記されている。それ以外の皇位継承権のない子は「王」と呼ばれて区別された。つまりこれは女系継承を容認する規定なのだ。
女帝は「中継ぎ」ではなかった
現実に女系による皇位継承も多かった。持統天皇までは双系(男女にかかわらず直系の子に継承する)で、男女比もほぼ半分ずつだった。その次の文武天皇は持統の孫で「持統天皇が現御神として皇位を授けた」という記録があり、これは女系の皇位だった。

天皇家の系図(赤は女帝)
これに対して「元正天皇は男系だ」という反論があるが、それは男系と女系の定義による。政府の有識者会議の定義では、男系を「父方の血統だけをたどって天皇に到達できる」ことと定義しているが、これは日本書紀の系図が正しいとすれば当然である。
たとえば図のように44代の元正天皇の父は草壁皇子(皇太子)だったが、その父は天武天皇…というように、父方をたどっていけば、少なくとも神武天皇にはたどりつく。この意味で日本書紀の系図を信じるなら、すべての天皇が男系だというのは定義によって明らかだが、それは女系継承ではないことを意味しない。
男系と女系は排他的な概念ではない
女系天皇の公式の定義はないが、これを「男系以外の天皇」と定義すると、女系天皇はいない。天皇の100%が男系だとすれば、それを引くとゼロになることは自明である。しかし男系と対称に「母方の血統だけをたどって天皇に到達できる」ことを女系と定義すれば、元正も文武も元明を母とする女系である。
この他にも側室から生まれた天皇以外は、母方で天皇にたどりつくことが多い。男系と女系は排他的な概念ではないのだ。実際の継承関係としても、文武は母親の元明に譲位し、元明は娘の元正に譲位した。こうした女帝は「中継ぎ」ではなく、持統天皇は大宝律令を制定し、その後3代の天皇を決める権力者だった。
「男系の皇統」は中国の男尊女卑の思想
天皇が世襲になったのは持統以降であり、それまでは群臣(有力な豪族)の合議で適任者を選び、先帝や群臣が天皇を「共立」する選挙王制に近いしくみだった。天皇には実務能力のある男女が選ばれ、世襲ではなかった。
皇位継承を男系男子に限る規定は、明治時代に伊藤博文の起草した皇室典範の原案にはなかった。伊藤は女帝を容認しないと皇位継承が行き詰まると考えたが、井上毅が儒教の男尊女卑の思想にもとづいて男系男子に修正した。このとき彼が、日本書紀ではすべての天皇が(女帝も含めて)男系であることを「発見」したのだ。
現在の「神武天皇以来126代」の皇統譜は1926年に宮内省がつくったもので、そこから遡及してすべてのミカドに「**天皇」という謚(おくりな)をつけた。それは「万世一系」ではなく、男系に限られたわけでもない。
男系の皇統は中国の伝統であり、持統天皇が伝統的な双系の継承に中国の皇帝の原則を折衷したものだが、実態は厳格に適用されたわけではない。宦官が皇帝の血統を守った中国とは違い、日本の御所には男性が自由に入れたので、側室の産んだ子が天皇の子かどうかは確認できなかった。
皇室の伝統には「男系継承に限る」というルールはないのだから、こんなややこしい養子を入れて女系継承を避ける理由はない。皇室典範を改正して女系天皇を容認することが、大宝律令以来の日本の伝統に従うものだ。








コメント
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### はじめに(言葉の説明)
本文に入る前に、用語を整理しておきます。
– **男系**…父親をたどっていくと、最終的に天皇(皇室の祖先)に行き着く血すじ。本人が男でも女でも関係ありません。
– **男系女子**…父をたどると皇室に行き着く「女性」の天皇。過去の女性天皇は全員これにあたります。
– **女系**…父ではなく「母」だけが皇室につながっている血すじ。皇室の女性が一般(非皇族)の男性と結婚して産んだ子が天皇になる場合がこれです。歴史上、この女系の天皇が即位した確認例は一つもありません。
– **双系**…父・母どちらの血でも継承を認める考え方。
この区別がとても大事なので、頭の片すみに置いて読んでください。
### 本文
池田先生の記事の結論には納得できません。小林氏の主張と池田先生の反論が、そもそも**かみ合っていない**からです。
**① 「女帝の子も親王」は、女系の実例にはならない**
池田先生は継嗣令の「女帝の子も親王とせよ」を反例に挙げます。確かにこの条文には、「女帝が臣下(非皇族)と結婚して産んだ子も皇族と認める=制度上、女系の可能性を含んでいた」という有力な解釈があり、ここは重要な論点だと私も認めます。
しかし大事なのは、**制度上の「可能性」と、実際に「起きたこと」は別**だということです。歴史上、父方が皇室につながらない女系の天皇が実際に即位した例は、一つも確認されていません。条文は女系即位の可能性を示す材料にはなっても、女系天皇が実在した証拠にはならないのです。
**② 女性天皇がいた=女系ではない**
「女性天皇が何人もいた」ことと「女系で継承した」ことは、まったく別の話です。女性天皇は10代8人いましたが、全員が男系女子です。
ここで一つ補足します。女性天皇が子や孫に皇位を譲った例自体はあります。たとえば元明天皇は娘の元正天皇に、持統天皇は孫の文武天皇に譲位しました。ですが、その子・孫の父親(草壁皇子など)はいずれも男系の皇族男子です。**子に継いではいても、血すじは男系のまま**なのです。つまり「非皇族の男性との間に生まれた子に皇位を継がせた(=女系継承した)」例は、一度もありません。
要するに、小林氏が言っているのは「**父系(男系)が一度も途切れていない**」ことであり、池田先生が論じているのは「**女性天皇がいたか/中継ぎだったか**」という別の話です。論点がずれています。
**③ 「明治の創作」という説明の弱点**
池田先生は「男系を明文化したのは明治だから、男系という概念は明治の創作だ」と言います。確かに、皇位継承順位が明文で整えられたのは明治の皇室典範が最初です。現在の皇室典範でも「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と明記されています。
しかし「明文化されたのが明治」だからといって、「それ以前に男系を重んじる意識がなかった」とまでは言えません。法律に書かれなくても、慣習として強く守られてきた決まりは世の中にたくさんあります。
そして**結果**を見れば一目瞭然です。継体天皇のあたり(6世紀前半)から現代まで約1500年、ただの一度も女系に流れていません。これは偶然というより、**男系を重視する制度的・慣習的な力が長く働いていた**と見るのが自然でしょう。
ただし、私はすべてを否定するつもりはありません。池田先生の指摘は、**少なくとも古代の律令制の段階については重要な論点**だと思います。問題は、その古代の事情を、そのまま「日本史全体で女系継承があった(男系は虚構だ)」と一般化してしまうと、飛躍になりはしないか、という点です。
**④ 「無知」か「嘘つき」かは言い過ぎでは**
最後に一つ気になりました。記事の結びで、小林氏を「無知」あるいは「嘘をついたなら失格」と断じています。
しかし、ここまで見たように、これは「どちらが正しいか」よりも「**男系という言葉をどの意味で使っているか**」のすれ違いに近い問題です。少なくとも「父系が途切れていない」という意味なら、小林氏の発言は事実に反していません。それを人格まで断定するのは、いささか言い過ぎではないでしょうか。立派な論客である池田先生だからこそ、相手の言葉の定義を確認したうえでフェアに論じていただきたいと感じました。
### まとめ
– 「女性天皇がいた」ことは「女系がいた」ことにはならない。論点がずれている。
– 継嗣令は女系の「制度的可能性」は示すが、女系天皇が実在した証拠ではない。
– 1500年間女系に流れていない事実は、偶然より男系重視の慣習・政治意思の表れと見るのが自然。
– 「無知か嘘か」という断定は行き過ぎだと思う。
**結局のところ、父方が皇統に属さない女系天皇が実際に即位した確認例はありません。その意味で「実例としての男系継承に例外はない」という小林氏の主張は、成立しうると考えます。**
**「五世」と「5親等」は別物です**
「養老令では次の皇位継承者は五世(=5親等)以内とされている。だから36〜38親等の旧宮家は律令違反だ」という説明は誤りです。
「五世」とは、ある天皇を起点として子・孫・曾孫と数える**世代数**です。これに対して親等は、共通祖先まで遡り、そこから相手方まで下る**血縁距離**を数える仕組みです。兄弟姉妹が2親等になることからも分かる通り、世代数と親等はそのまま置き換えられません。「5世=5親等」と等号で結び、38親等という数字と比較すること自体が、性質の異なる二つの尺度を無理に接続した誤った比較です。
**継嗣令は「皇位継承資格」ではなく「身分区分」の規定です**
さらに、継嗣令の五世規定は「五世以内の者だけが皇位を継承できる」と定めたものではありません。国立国会図書館の整理によれば、皇兄弟・皇子を親王、皇孫以下を王とし、五世王は「王」を名乗れても「皇親(皇族としての特権的身分)」の範囲には含めない、という**身分区分の規定**です。論点は皇位継承順位そのものではなく、「どこまでを皇族と呼ぶか」です。これを現代の親等計算と並べて「養老令違反」と結論づけるのは、律令の条文構造と歴史的運用を根底から誤解した論理の飛躍だと言わざるを得ません。
そもそも養老令は現行法ではありません。古代の制度を歴史的な参考材料にすることはできますが、現行憲法と国会が制定する皇室典範による制度改正を「養老令違反」と呼ぶこと自体、法的に成り立ちません。
日本国憲法第2条は皇位を世襲とした上で、具体的な継承方法を国会の議決した皇室典範に委ねています。「律令のルール違反」という形で語るのは史料の読み方として無理があります。
女系天皇を認めるかどうかは、これからの皇室のあり方を左右する重大な問題です。
不正確な歴史の主張には振り回されずに、正確な史料理解の上に組み立てられるべきだと考えます。
持統天皇からの皇位継承について、男系というのも正しいと6/2投稿で書かれています。
それならば、記録上で男系でない天皇はいないのではありませんか?
結果的に、としても、例外なく全て男系継承というのは事実となります。
このようなケース、昔の池田先生であれば、これは間違いであった、とさらっと訂正の上で、持論を展開されていたので、この嘘もしくは無知発言に言及ないのが気になっています。
間違いは間違いとスパッと認めるスタンスのファンでしたので。