井上毅のつくった「男系の皇統」は軍国主義の物語(アーカイブ記事)

いま話題の男系の皇統は古来の伝統ではなく、明治22年の皇室典範で井上毅がつくった新しい言葉である。このような皇国史観もそれほど古い物語ではなく、たかだか19世紀の会沢正志斎や藤田東湖などの後期水戸学から生まれ、尊王攘夷に受け継がれたものだ。

井上毅と明治国家
坂井 雄吉
東京大学出版会
★★★★☆

それを制度化したのが法制局長官だった井上である。彼の思想は尊王攘夷のようなテロリズムではなく、明治国家を建設する合理主義だった。彼は明治憲法を起草し、教育勅語や軍人勅諭や皇室典範や決めた。「万世一系」は岩倉具視の造語だが、「男系の皇統」は井上の造語である。

明治国家の統治構造は、ほとんど井上が決めたといってもよい。その手本は(彼が留学で学んだ)プロイセン憲法だったが、それに儒教を加えて、絶対王制に近い憲法をつくった。それは植民地支配の危機にあった日本が軍国主義で国家を統一するイデオロギーとして、それなりの合理性があった。

おもしろいのは、彼が女系天皇を否定した理由だ。女系天皇を認めると天皇の姓が変わり、易姓革命になってしまうというのだ。中国の皇帝には姓があるが天皇には姓がないので、女系になっても同じだが、井上の「儒教原理主義」ともいうべき思想がここにあらわれている。

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    明治時代に活やくした井上毅(いのうえこわし)という人を「合理的に考える人だった」とする見方には、なるほどと思うところがありました。でも、この記事には「ちがうよ」と言いたくなる間ちがいや、考え方のとびすぎがいくつかあるので、感想を書きます。

    まず一番気になったのは、記事のはじめに書いてある「『男系(だんけい)』というのは昔からの伝統ではなくて、明治時代に井上毅が新しく作った言葉だ」という考えです。これはまちがいです。

    明治時代にやったのは、「天皇の位は父方の血すじでつぐ」というルールを、はっきり法律に書いただけです。ルールそのものを新しく発明したわけではありません。

    歴史を見ると、推古(すいこ)天皇や持統(じとう)天皇など、女性の天皇が8人いました。でもその全員が「お父さん側に天皇がいる人」でした。「お母さん側だけで天皇とつながる人(女系)」は、一人もいなかったのです。これは1200年以上も続いてきた事実です。それを「井上が全部作った」と書くのは大きなまちがいです。

    しかも、もっと昔の「大宝律令(たいほうりつりょう)」という法律にも、すでに「父方の血すじでつぐ」というルールが書かれていました。井上はそれを新しい時代の法律に書き直しただけなので、「明治の発明」とは言えません。

    次に、記事のタイトルの「男系は軍国主義(戦争を大切にする考え)の物語だ」という話です。これも問題があります。

    昔からあった「父方でつぐ」というしくみを、後の戦争の時代のイメージといっしょにするのは、時代がごちゃまぜです。明治のころに憲法を作ったのは、外国に負けないように、ちゃんとした国にするためでした。「戦争のためだった」と決めつけるのはまちがいです。

    「明治憲法は王様が何でも自由に決められる国だった」という書き方もざつです。たしかに王様の力は強めでしたが、国会があり、大臣が助け、裁判所もあり、国民の権利も決められていました。王様一人が好きほうだいする国とは、はっきりちがいます。

    それから、記事の終わりのほうにある井上への批判もおかしいです。記事は「天皇には名字がないから、女系(お母さん側でつなぐ)になっても同じだ」と言っていますが、これはポイントがずれています。

    大事なのは「名字が変わるか」ではなく、「お父さん側の血すじでつながってきたか、お母さん側だけでつながるか」という血のつながり方なのです。

    最後に、はっきりした間ちがいを2つ。

    記事は「井上が軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を決めた」と書いていますが、これを主に書いたのは西周(にしあまね)という別の人です。

    また「井上は儒教(じゅきょう)を強くおし進める人」と書いていますが、これは逆です。井上はむしろ「特定の考えにかたよらないようにしよう」と主張した人でした。

    まとめると、井上を「合理的な人」と見るのはおもしろいけれど、この記事は「男系は明治の作り話」「男系は軍国主義」という2つのとびすぎた考えの上に立っていて、間ちがいも多いので、もう一度よく調べ直したほうがよいと思いました。