安定的な皇位継承をめぐる国会協議で、衆参両院の正副議長が、旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える場合、対象を「15歳以上の男子」とする方向で調整しているという。

民間人を「皇族に戻す」という異常な制度
一見すると、これは本人の自由意思を尊重するための配慮に見える。民法では、15歳未満の普通養子縁組については法定代理人の同意が必要とされるため、本人の意思確認を重視するなら15歳以上に限るべきだ、という理屈である。
しかし、ここには大きな違和感がある。問題は15歳以上か未満かではない。民間人として生まれ育った旧宮家の子孫を、皇位継承制度を維持するために皇族に戻すというのは、憲法14条に定める「法の下の平等」に反するのではないか。
現在、国会で議論されているのは、政府有識者会議が示した2案である。第1は、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案。第2は、旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える案で、自民党や日本維新の会などは旧宮家養子案を「第1優先」と位置付けている。(Nippon.com)
しかし旧宮家は1947年に皇籍を離脱して以来、すでに80年近く民間人として暮らしてきた。その子孫の中から「男系男子」であることを理由に皇族へ迎えるというのは、現代の国民感覚から見て自然な制度とは言いがたい。
子供が好んで「皇族の養子」になるのか
さらに奇妙なのは、15歳という年齢である。15歳の少年が、将来の人生を根底から変える決断を、本当に自由意思でできるのだろうか。皇族になるということは、単に戸籍上の養子になることではない。職業選択、結婚、居住、発言、財産、プライバシーなど、人生の多くの自由が制約される。
その決断は本人だけでなく、家族や将来の配偶者、子にも大きな影響を及ぼす。それを15歳の子供に選ばせるというのは、形式的には本人の意思を尊重しているように見えて、実質的には大人たちの制度設計に子供を組み込む話である。
しかも、皇族の養子縁組は現在の皇室典範では認められていない。皇室典範第9条は、天皇および皇族は養子をすることができないと定めている。つまり、旧宮家養子案を実現するには、皇室典範の改正が必要になる。
この点について衆議院の資料でも、旧11宮家の男系男子を養子にする案には「皇族数確保、安定的皇位継承のため必要」とする意見がある一方、「国民の理解がほとんどない」「憲法14条の問題」「対象者の有無や意思確認」などの論点が示されている。
愛子様を排除して「男系」を守る倒錯した案
立憲民主党側も、養子案について、対象となる人物の存在や本人の意思が確認されていないまま制度設計を進めることに疑問を呈している。また、皇籍離脱後に天皇や皇族と養子縁組して皇籍に戻った先例はないとの指摘もある。(立憲民主党)
ここで見落としてはならないのは、この議論が「皇族数の確保」という名目で行われていることだ。つまり、皇位継承そのものの安定化というより、まず皇族の人数を維持する制度として提案されている。しかし、旧宮家の男系男子を養子に迎えた場合、その人に皇位継承資格を与えるのか、配偶者や子を皇族とするのか、縁組前に生まれた子はどう扱うのかという問題が次々に出てくる。
議論は結局、「男系男子」という形式を守るために、制度を後からつぎはぎしているように見える。本来、安定的な皇位継承を考えるなら、まず現に皇室に生まれ育った皇族をどう位置付けるかを考えるべきである。
ところが直系の愛子様を排除し、民間人である旧宮家の少年を養子として迎える案が優先される。これは国民の素朴な感覚からすれば、かなり倒錯した議論である。
憲法の想定する象徴天皇制にそぐわない
そもそも旧宮家の子孫を政府が探し、皇族に迎える制度をつくること自体が異常である。本人が希望するかどうか以前に、国家の都合で特定の血筋の人間に特別な役割をもたせることが、憲法の想定した象徴天皇制に合うのか。
天皇の地位は、憲法第1条にある通り、主権の存する日本国民の総意に基づく。ならば皇位継承制度も、神話や家系図の論理だけでなく、国民が納得できる制度でなければならない。
旧宮家の15歳以上の男子を養子にするという議長案は、女性天皇・女系天皇の議論を避けるために、民間人の少年を皇室制度に組み込もうとする苦肉の策である。安定的な皇位継承のために必要なのは、現実の皇室の姿と国民の意識に即して、女性皇族を含めた継承のあり方を正面から議論することである。







コメント
記事の指摘は鋭い。しかしながらこの記事の論証の根幹において看過できない事実誤認があるため、まずその点を強く指摘させていただきたいと思います。
本記事の中核をなす論拠の一つには、明確な事実誤認があります。記事は立憲民主党の見解として「皇籍離脱後に天皇や皇族と養子縁組して皇籍に戻った先例はない」という指摘を肯定的に引用し、これを養子案が「異常」であることの根拠としています。確かに「養子縁組という形式による復帰」に限ればその通りかもしれません。しかし、これを「皇籍離脱後の復帰そのものが前例のない異常事」であるかのように印象づけるのは、日本の皇室史に対する明白なミスリードです。
歴史的事実として、一度臣籍降下(民間人化)して源氏の姓などを与えられた後に、皇族へ復帰し天皇に即位した例は現に存在します。たとえば宇多天皇は源定省として一度臣籍降下しましたが、後に皇族へ復帰して即位しています。醍醐天皇も、父が源定省であった時期に源維城として臣籍で生まれた後、宇多天皇の即位に伴って皇族に列し、後に即位しました。つまり「臣籍・一般身分を経た人物が皇統に戻り、皇位継承に関わった例」は、歴史上れっきとして存在するのです。
さらに、後花園天皇の例も見落とせません。後花園天皇は当時の世襲親王家である伏見宮家の彦仁王で、本家の後小松上皇の猶子(養子の一種)とされ、称光天皇崩御後に践祚・即位しました。これは現在の旧宮家に非常によく似た立場からの継承であり、まさに本件の議論と構造的に近い先例です。もちろん、これは現代民法上の普通養子とは違いますし、1947年に皇籍離脱した旧宮家の子孫を現代の皇室典範改正で迎える話と完全に同一視はできません。しかし「本流の皇子がいない場合に、宮家の男系皇族を皇嗣として迎えた」という意味では、皇室史上まったく異常な発想とは言えないのです。
要するに、安定的な皇位継承という重大な問題を考えるにあたって最も必要なのは、神話や情緒でも、逆に「異常」というレッテル貼りでもなく、正確な歴史的事実に立脚した冷静な議論です。先例の有無を不正確に語ることは有害です。事実に基づいた誠実な議論こそが、この国の将来にとって不可欠だと改めて申し上げたいと思います。
該当コメントは、
史実の一部を正確に述べているが、
その事実から引き出す結論に、
埋まっていない飛躍が複数存在する。
まず宇多・醍醐天皇の例については、
2005年の政府有識者会議報告書にて検討対象とされた上で、
現代の皇族数確保策の先例としては採用されておらず、
選定基準の一貫性に疑問が見受けられる。
本事例において決定的に重要なのは、
状況の非対称性である。
宇多天皇の臣籍降下は、
父・光孝天皇の即位と同時に解除されており、
一世代内・即時の復帰にあたる。
醍醐天皇の「臣籍期間」も、
父が宇多天皇として即位した直後に終わっている。
これらは、
「何世代も経った後に、別の法体系のもとで、議会立法によって選び直す」
現代の養子案と、
規模・時間・法的構造のすべてで異なるものである。
史実として「臣籍降下後に皇族に戻った例がある」と
「現在の旧宮家案が先例に照らして問題ない」の間には、
埋まっていない大きな飛躍がある。
そして後花園天皇の事例を、
「現在の旧宮家に非常によく似た立場」と位置づける発信は、
明確な事実誤認である。
後花園天皇は即位に至るまで、
皇族の地位を一日も離れていない。
後小松上皇の猶子となったのは、
継承を正統化するための儀礼的な手続きであり、
民間人から皇族に引き上げる「復帰」ではない。
彼はずっと「王」であった。
対して現在の旧宮家子孫は、
1947年の皇籍離脱から78年以上、
複数世代にわたり皇族ではなく、
完全な一般国民として生活してきた人々である。
「連続して皇族である世襲親王家の王子」と、
「何世代も前に皇籍を離脱した民間人」という、
構造として根本から異なる二者を同一視するのは、
明確なミスリードである。
さらに核心として、
仮に宇多・醍醐天皇の例を、
先例として全面的に認めたとしても、
それは「平安時代に先例がある」という、
歴史論に答えたに過ぎず、
本記事でも挙げられている、
>民間人として生まれ育った旧宮家の子孫を、皇位継承制度を維持するために皇族に戻すというのは、憲法14条に定める「法の下の平等」に反するのではないか
という最も重要な現代憲法論には、
一切答えていない。
現行憲法は1947年施行であり、
平安時代の慣行はその解釈に直接の効力を持たない。
これは該当コメントにおける最大の論点回避である。