勝田貴元選手が、今年3月のサファリ・ラリー・ケニアでWRC初優勝を果たした。
日本人ドライバーのWRC優勝は、1992年の篠塚建次郎氏以来、約34年ぶりの快挙である。しかも勝田選手は、単に勝ったのではない。過酷なサファリを走り切り、世界最高峰のラリーで表彰台の中央に立った。日本のモータースポーツ史に残る勝利と言ってよい。

さらに5月のラリージャパンでは、勝田選手は総合4位でフィニッシュした。トヨタ勢は1-2-3-4フィニッシュ。エルフィン・エバンス、セバスチャン・オジエ、サミ・パヤリに続く4位である。
素晴らしい結果である一方、地元の日本人ファンとしては「惜しい!」と叫びたくなる結果でもあった。SS16三河湖ではトップタイムも記録した。初日のパンクがなければ、表彰台は十分に見えたのではないか。

だが、ここで「勝田すごい」「トヨタすごい」で終わらせてよいのだろうか。
むしろ問うべきは、なぜ日本人がWRCで勝つために、フィンランドへ行かなければならなかったのか、である。
勝田選手は突然現れた天才ではない。11歳でカートを始め、フォーミュラを経て、2015年からTGRラリーチャレンジプログラム、現在のWRCチャレンジプログラムの育成ドライバーとしてラリーに専念した。そこから海外に進出し、WRC2、フィンランド選手権、欧州の実戦を積み上げてきた。
トヨタの育成プログラムは、2015年に世界で活躍できる日本人若手ラリードライバーの育成を目的として始まった。トミ・マキネン氏の協力のもと、欧州でトレーニングを積み、フィンランドの雪道で走行訓練を重ね、フィンランド選手権にも出場した。
ここに、ラリーという競技の本質がある。
ラリーは、単に車を速く走らせる競技ではない。道を読む競技である。
雪、泥、砂利、岩、雨、轍、ジャンプ、森、見えないコーナー。路面は刻々と変わる。サーキットのように同じコーナーを何周も走るのではない。ペースノートを聞き、見えない先を想像し、危険と速度の境界を探りながら踏んでいく。
日本にも道はある。山もある。林道もある。だが、WRCで勝つための道は、日本国内だけにはない。
だから勝田選手は、フィンランドへ行った。フィンランドはラリー大国である。世界基準の路面があり、世界基準の競争相手がいる。日本の舗装路や国内ラリーだけでは得られない速度感、恐怖、判断、路面への信頼がある。WRCで勝つには、世界の道を日常にしなければならない。
ここで寂しくなるのは、かつての日本メーカーの存在感である。
WRCは、かつて日本メーカーの舞台でもあった。三菱ランサーエボリューション、スバル・インプレッサ、トヨタ・セリカ。さらに日産、マツダ、スズキも、それぞれの時代に世界ラリーへ挑戦した。
特に三菱とスバルの不在は痛い。
ランエボとインプレッサは、単なるスポーツセダンではなかった。WRCの記憶を背負った車だった。青いインプレッサ、赤いランエボ。ラリーを知らない人でも、その名前には特別な響きがあった。1990年代後半、WRCの主役の一角には確かにスバルと三菱がいた。

あの時代、日本車はラリーで鍛えられた車だった。
もちろん現在のWRCにトヨタしかいないわけではない。トップカテゴリーにはトヨタ、ヒョンデ、Mスポーツ・フォードがいる。しかし、日本メーカーとして見れば、世界最高峰のラリーに本格的に残っているのはトヨタだけである。
これは、自動車大国としてあまりに寂しい。
三菱はランエボの物語を失い、スバルはインプレッサWRXのラリー神話から遠ざかった。日産、マツダ、スズキも、かつて世界ラリーに挑んだ歴史を持ちながら、いまWRCトップカテゴリーの主役ではない。スズキは2008年にSX4 WRCで参戦していたが、同年末に世界的な自動車市場の悪化を理由としてWRC活動の休止を発表している。
勝田選手の勝利は希望である。日本人にもWRCで勝てることを示した。だが同時に、その道がいかに細いかも示している。
ラリー一家に生まれ、カートやフォーミュラを経験し、トヨタの育成プログラムに入り、フィンランドで鍛えられて、ようやく世界の頂点に届く。これは本人の努力を否定する話ではない。むしろ逆である。本人の才能と努力が世界に届くまでに、どれほど厚い環境が必要かを示している。
勝田貴元選手のサファリ優勝は、日本ラリー界の希望である。
ラリージャパン4位は、地元ファンにとって誇らしくも悔しい結果である。
そして、トヨタだけが日本メーカーとしてWRCの最前線に残っている現状は、日本の自動車文化の細りを映している。

日本は車を作る国である。
かつては、世界の道で日本車が競い合う国でもあった。
ではいま、日本は車で世界の道を走る人間を育てる国になれているのか。
勝田貴元のWRC初優勝は、その問いを日本に突きつけている。







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