赤ん坊の食事を迷惑がる国で、少子化対策などできるのか

カフェで授乳ケープを使って赤ちゃんに授乳していた母親が、店側から「たくさんの人がいますので」と注意されたという投稿が拡散した。

投稿だけで事実関係の細部は断定できない。しかし、多くの人が反応した理由は明らかだ。日本社会には、赤ん坊の泣き声、授乳、ベビーカーを「公共空間の迷惑」として処理しようとする空気がある。

これは授乳マナーの話ではない。少子化を嘆く社会が、赤ん坊の存在そのものに耐えられなくなっているという問題である。

授乳は赤ん坊の食事である

まず確認したい。授乳は母親の趣味でも、自己表現でも、周囲への挑発でもない。赤ん坊の食事である。

大人はカフェでコーヒーを飲み、食事をする。その横で、赤ん坊が母乳を飲む。なぜ大人の食事は当然で、赤ん坊の食事だけが「確認すべきこと」になるのか。

今回の投稿では、授乳ケープを使っていたとされる。つまり母親側は、すでに周囲への配慮をしている。そのうえで「人が多いので」と注意されるなら、配慮している側にさらに負担を押し返しているだけだ。

社会や施設が引き受けるべき調整コストを、最も弱い側へ転嫁する。店はクレームを避けたい。周囲の客は見慣れないものを見たくない。すると最終的に、赤ん坊と母親が「見えない場所へ行け」と言われる。

これが少子化社会の現実である。

乳房は昔から「猥褻物」だったのか

「乳房は性的な部位だから公共空間で授乳するな」という反応もある。しかし、日本社会の歴史を見ると、そう単純ではない。

江戸時代の浮世絵や農業図絵には、乳房を出して赤子に乳を与える授乳の絵が数多くある。沢山美果子氏は、江戸時代の授乳が母と子の閉ざされた空間でなされるものではなく、乳房を人前にさらすことも忌避されていなかったと説明している。

江戸時代の乳をめぐるネットワーク/沢山 美果子(岡山大学) - 医学史と社会の対話
江戸時代は、出産で死ぬ母親、幼くして死ぬ子どもが多く、いのちを繋ぐことが厳しい時代でした。そんな時代に、人々

もちろん江戸時代を理想化する必要はない。乳児死亡率は高く、現代的な女性の権利意識もなかった。しかし少なくとも、授乳は生活世界の中にあった。赤ん坊が乳を飲むことは、世間から切り離された密室行為ではなかった。

明治以降、西洋列強の視線を意識した国家は、裸や混浴などの身体文化を「文明国として恥ずかしい風俗」として再編していく。国土交通省の資料でも、来日外国人が混浴を性的奔放さと同一視し、明治政府が1869年に都市部で混浴を禁止した経緯が説明されている。

混浴の歴史 混浴に対する複雑な気持ち|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース

だが、それで庶民の身体感覚が一気に消えたわけではない。昭和後期でも、家庭、親戚付き合い、近所、病院、商店街などで、母親がさっと乳房を出して授乳する光景はまだ珍しくなかったはずだ。少なくとも今ほど「事件」ではなかった。

少子化は赤ん坊への耐性を失わせる

何が変わったのか。大きいのは、子どもの数そのものが減ったことだ。

厚生労働省によれば、2024年の出生数は68万6061人、合計特殊出生率は1.15で、いずれも過去最低だった。第2次ベビーブーム期の1973年には出生数が約209万人あった。50年で、おおむね3分の1になったのである。

少子化とは、単に将来の労働力が減る話ではない。社会の中から、赤ん坊の泣き声、授乳、おむつ替え、ベビーカー、親の慌ただしさが消えていくことでもある。

昔は、きょうだい、いとこ、近所の子、親戚の集まり、商店街、電車、病院の待合室など、生活のあちこちに赤ん坊がいた。赤ん坊とは泣くものだし、腹が減れば乳を飲むものだし、親は予定通りに動けないものだという感覚が、社会の側に残っていた。

いまは違う。大人中心、単身者中心、消費者中心の公共空間で、赤ん坊は「ノイズ」として現れる。泣き声は騒音、ベビーカーは障害物、授乳は目のやり場に困るものになる。

私はこれを「赤ん坊不耐症」と呼びたい。

授乳室は支援設備であって隔離室ではない

誤解してはいけない。授乳室やおむつ替えスペースの整備は必要である。

東京都には「赤ちゃん・ふらっと」という事業があり、授乳やおむつ替えができるスペースを周知している。

赤ちゃん・ふらっと事業(東京都内の授乳室・おむつ替えスペース)|子育て支援|東京都福祉局
東京都福祉局の赤ちゃん・ふらっと事業(東京都内の授乳室・おむつ替えスペース)(子育て支援)のページです。

問題は、そうした設備が「選択肢」ではなく「義務」になることだ。

授乳室が近くにあるとは限らない。空いているとも限らない。清潔とも限らない。赤ん坊がそこまで待てるとも限らない。母親が荷物を持ち、上の子を連れ、ベビーカーを押して、遠くの授乳室まで移動できるとも限らない。

それなのに「授乳室へ行け」と言うなら、授乳室は支援設備ではなく、育児を公共空間から消すための隔離室になる。

必要なのは、母親へのさらなる配慮要求ではない。社会側の受忍である。

赤ん坊の食事を迷惑がる国に未来はない

少子化対策は、児童手当や保育園だけで成立しない。子どもを産み育てるとは、日々の外出、移動、買い物、通院、休憩の中で、親子が社会からどう扱われるかに左右される。

赤ん坊の食事は、特別な権利要求ではない。人間が生きるための最小限の行為である。それすら「人が多いので」と遠慮させるなら、日本社会は子どもを歓迎しているのではない。子どもを、見えない場所に隔離しているだけだ。

少子化とは、出生数の減少だけではない。赤ん坊に社会が耐えられなくなることでもある。そして赤ん坊に耐えられない社会は、やがて高齢者にも、病人にも、障害者にも、そして自分自身にも耐えられなくなる。

制度の不合理が生活者にコストを押し付けている。今回はその生活者が、母親と赤ん坊だったというだけである。

【参考リンク】

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    この記事に強く賛同します。

    ここで参考になるのが、イギリスとカナダです。

    イギリスでは、平等法(Equality Act 2010)の政府解説で、女性が授乳していることを理由に差別するのは違法とされています。NHS(国の医療サービス)も、カフェ、店、図書館、公共交通機関など一般向けのサービスを提供する場所で授乳できると説明していて、授乳中の女性を不利に扱うのは性差別にあたるとまで言っています。つまりイギリスなら、今回のように「人が多いので」と母親に移動や中止を求める対応は、かなり問題になりやすいということです。イギリスの考え方は「授乳室はあくまで選択肢であって、公共の場で授乳する権利を消すものではない」というもので、記事が言う「隔離室にするな」とまさに同じ発想だと思いました。

    カナダはもっとはっきりしています。カナダ公衆衛生庁のガイドラインでは、女性には子どもに授乳する権利があり、公共の場や職場・学校でも授乳を続けるための配慮を受ける権利があると書かれています。特にオンタリオ州の人権委員会は、母親には公共の場で授乳する権利があって、ただ公共の場にいるからという理由で妨げられてはならない、しかも「覆ってください」「もっと目立たない場所へ移ってください」と求めるべきではないと、はっきり説明しています。

    ここがいちばん大事だと思うのですが、カナダ的に言うと、母親に「もっと隠れて」と言うこと自体が、母親と赤ちゃんにだけ負担を押し付ける差別的な対応になり得る、ということです。日本ではすぐ「周囲への配慮を」と言われますが、カナダ型の考え方では、配慮すべきなのは母親だけではありません。店も、施設も、周りのお客さんも、社会全体も、赤ちゃんの食事を受け入れる側として配慮を求められます。配慮の方向が、日本とは逆なのです。

    だから私は、日本でも「公共の場での授乳を理由に、退店・移動・中止・覆うことを求めるなどの不利益な扱いをした場合は、それは人権侵害である」という法律を作るべきだと思います。それが差別であり人権侵害だと明確にする法律です。「マナーの問題」「お店の判断」とフワッとさせているから、結局いちばん弱い母親と赤ちゃんにしわ寄せがいくのです。法律で「これは差別で人権侵害です」とはっきり決めれば、お店側も自信を持って母親を守れるようになります。