黒坂岳央です。
現代社会では「孤独でもいいからとにかく自由であること」を重視する価値観が主流だ。会社に縛られ、同調圧力に従い、しがらみの中で生きる。そうした不自由さからとにかく脱したい。そしてスマホとSNSがあれば孤独など怖くない、という楽観論が広がっている。
だが筆者はそう思わない。それが通じるのは20代までだ。自由がないより孤独な方が圧倒的に辛い。そして自由を求めると必ず孤独になるという苦しいパラドックスが待っている。

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感受性バリアは孤独を忘れさせる
若い時期はとにかく楽しい。見るもの、やることすべてが始めてであり、進学、就職などで次々と新しい人との出会いが無限に補充される。
極めつけは「感受性バリア」だ。これが機能する間は寂しさなんて感じない。スマホから全世界の情報を浴びるだけで、楽しいし時間は飛ぶようにすぎていく。そしてこの錯覚が解けた時、人間は初めて本物の孤独と対面する。そう、「年を取ると楽しくなくなる」は間違いであり、「若い頃は感受性バリアで孤独が見えないだけ。孤独との真の戦いは中年から」が正しい解釈だろう。
筆者自身、20代の頃はゲームとニコニコ動画があれば寂しさなど永遠に感じないと本気で思っていた。だからずっと一人行動、一匹狼だった。他者から声をかけられたり、遊びの誘いが「鬱陶しい」と思うことも多かったし、「そっと一人にしてくれ」とずっと思っていた。
感受性バリアは孤独を忘れさせる。20代は人生で唯一の「自由だが孤独感がない時期」なのである。
30代からすべてが変わる
だが30代からは違う。感受性バリアが消える。それはある日を境に突然パッと消えてしまうのではなく、グラデーションで少しずつ薄くなっていく。まるで密閉した部屋の酸素が徐々に二酸化炭素に置き換えられ、少しずつ息苦しくなるようなイメージだ。
見るもの、やることすべてに徐々に「既視感」が生まれる。映画、アニメ、ドラマ、何を見ても「多分、こういう展開なんだろうな」という過去作品の青写真が透けて見える。登場人物の若者に感情移入できなくなる。音楽は35歳を境に新しいものが入らなくなる。自分の世界から「新しいこと」がドンドン消えていく。
さらに環境も激変する。新たな人付き合いの補給が止まる。「世の中にはうんざりするほど人がいる。出会いなんていらないので、むしろ一人にしてくれ」と思っていた人も、休日は一言も発しない日が続くと徐々に苦しくなってくる。あれほど渇望していた自由を持て余し始め、「多少縛られてもいいから孤独を追い払いたい」という気持ちになってくる。
人一倍、自由を愛して「一生、一人でも絶対寂しいと思わない」という自信に溢れていた筆者でさえ今や孤独感に屈服してしまったのだ。
自分の場合、28歳で今の妻と恋人になり、早い段階で同棲を始めたが、たまに妻が実家に帰省して一人になった時は、とてつもない孤独に襲われるようになってしまったのだ。
「究極の自由」とは誰にも必要とされていない状態
社会学者ジークムント・バウマンは、現代社会を「液状化した社会」と表現した。会社や地域、家族といった共同体の結び付きが弱くなり、人はかつてない自由を手に入れた。一方で、その代償として孤独や不安も増えていくという。
考えてみれば当然だ。自由とは、誰にも命令されず、自分で選択できる状態である。しかし裏を返せば、誰にも所属しなくてよく、誰にも必要とされなくても生きられる状態でもある。これが孤独感を生む。
制約が減るほど、人との結び付きも自然と減っていく。会社を辞めれば職場のコミュニティは消え、一人暮らしをすれば家族との接点は減る。経済的に自立すれば、人に頼る機会だけでなく、人から頼られる機会も減っていくわけだ。だから「自由の代償は責任」とよく言われるが、実はもう一つある。「自由の代償とは孤独」なのだ。
束縛は孤独よりマシ
筆者は今、人生で一番自由な立場である。一応、子の親ではあるがもう半分は手を離れた状態であり、妻も仕事で忙しく外出することも多いので、日中は家にずっと一人である。期日のある仕事はゼロではないが、めったになく、基本は好きな時に好きな仕事を好きなだけ出来る。クリエイターとしては最高に贅沢といえるかもしれない。
だが、それが嬉しいと思える日が以前ほど多くなくなってきた。仕事は楽しいし、応援してくれる人もいる。だが、おそらく漠然とした孤独感の毒はミッドライフクライシスの一要素なのだろうと思う。我ながらあまり深く落ち込むことが嫌いで、根っから能天気、「まあなんとかなるでしょ!」というタイプだが、そんな自分でも自由さが孤独に変わりつつある時が以前より増えたかもしれない。
たまに学校や地域のイベントで大掃除など入ると、無性にウキウキする自分がいる。昔はそういうのは大嫌いで、「お金払うから外注して時間を買いたい」と思っていたが、作業後に「お茶どうぞ」というちょっとしたやり取りとか、少し近所の人と会話するのがとても楽しく感じる自分に変わったのだ。
◇
ある程度、自由を謳歌すると「もう二度と不自由には戻れない」と思っていたが、年齢やタイミングによってはそう思わないかもしれないと自分の体験から思うようになってきた。
「もう自由すぎるのは十分堪能した。少し不自由でも心の交流が欲しい」と思うようになったのは、年齢の影響か?それとも個別の心理状態によるものか?おそらく前者だと思っている。
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