税金で研究し、無償で査読し、金を払って読む:学術出版ビジネスの不都合な真実

(前回:Lancet掲載は印籠ではない:コロナ禍で乱用された医学誌とエビデンスの権威

前回は、コロナ禍で乱用された国際医学誌と「エビデンス」の権威について書いた。

Lancet掲載は印籠ではない:コロナ禍で乱用された医学誌とエビデンスの権威
コロナ禍で、日本人は突然、国際医学誌の名前を耳にするようになった。「Lancetに載った」「NEJMに出た」「BMJが報じた」「JAMAに掲載された」。これらの言葉は、テレビ、新聞、SNSで一種の印籠のように使われた。専門家がそう言い、メデ...

「Lancetに載った」「NEJMに出た」「BMJが報じた」という言葉は、しばしば議論を始めるためではなく、議論を終わらせるために使われた。

では、その国際医学誌は誰が出しているのか。

一般読者にとって、Lancet、NEJM、BMJ、JAMAは、どこか学問の神殿のように見えるかもしれない。しかし現実には、医学誌は出版社、学会、編集部、大学図書館、研究費、購読契約、掲載料が絡み合う巨大な市場の中にある。

LancetはElsevier系の医学誌である。Nature MedicineやBMC Medicine、BMC Public HealthなどはSpringer Natureの出版網の中にある。BMJ、JMEはBMJ Group、JAMAは米国医師会系のJAMA Network、NEJMはMassachusetts Medical Society系のNEJM Groupが出している。

背景はそれぞれ違う。商業出版社系もあれば、学会・医学団体系もある。しかし共通しているのは、医学誌が単なる知の容器ではなく、強力なブランドであり、流通システムであり、ビジネスでもあるという点だ。

学術出版の構造は、よく考えるとかなり奇妙である。

研究の多くは、国の研究費、大学予算、病院、財団、企業資金などで行われる。研究者が論文を書く。査読も、多くの場合、別の研究者が無償または低報酬で行う。編集委員も名誉職に近い形で関与することが多い。

ところが、その成果物は出版社のプラットフォームに載り、大学や研究機関が高額な購読料を払って読む。研究者が公費で研究し、研究者が無償で査読し、研究機関が再び金を払って読む。自分たちが生み出した知識に、もう一度入場料を払ってアクセスするような構造である。

もちろん、出版社にも役割はある。編集管理、査読システム、組版、データベース化、検索性、アーカイブ、研究倫理への対応、撤回処理、国際的な流通にはコストがかかる。出版社は不要だ、という単純な話ではない。

しかし問題は、費用の流れが見えにくいことだ。

大学図書館が支払う購読料は、学生や一般国民の目には見えにくい。国の研究費から支払われる掲載料も、個々の論文では小さく見える。だが全体として見れば、学術出版は巨大な資金の流れを生んでいる。

近年、オープンアクセスという仕組みが広がった。

オープンアクセスとは、本来は素晴らしい理念である。論文を大学や大病院の中に閉じ込めず、誰でも読めるようにする。患者、家族、政策担当者、独立研究者、途上国の研究者もアクセスできる。知識を開くという意味では、望ましい方向である。

だが、読者から金を取らない場合、費用はどこかで回収されなければならない。そこで広がったのがAPC、Article Processing Chargeである。日本語では論文掲載料、論文処理費用などと呼ばれる。読者が払う代わりに、著者側が払う仕組みだ。

ここで注意すべきなのは、APCそのものが悪ではないということだ。正規の医学誌にもAPCはある。BMJ系にも、Lancet系にも、Springer Nature系にも、オープンアクセス費用は存在する。

問題は、著者から金を取る構造が、編集判断に緊張関係を生むことである。

購読型の雑誌では、読者や図書館が主な顧客だった。オープンアクセス型では、投稿者が顧客になる。もちろん、まともな雑誌は査読と編集判断を守る。しかし構造だけを見れば、論文を落とすより、通した方が収益になる。この緊張関係は無視できない。

その周辺に現れるのが、いわゆるハゲタカジャーナルである。

ハゲタカジャーナルの本質は、APCを取ること自体ではない。査読をしているように見せかけ、実際には十分な査読をせず、研究者から掲載料を取ることにある。国際誌風の誌名、もっともらしい編集委員、早すぎる査読、怪しいインパクトファクター風の指標、しつこい投稿勧誘。こうしたものが、業績を急ぐ研究者を狙う。

研究者側にも事情がある。大学や病院では「査読付き英語論文」が業績になる。若手研究者、非英語圏研究者、独立研究者にとって、掲載実績は死活問題である。研究費、昇進、任期、所属先の評価が論文数に結びつけば、「どこでもいいから早く載せたい」という誘惑が生まれる。そこにハゲタカ出版が入り込む。

これは日本にとっても他人事ではない。

国の研究費は、研究そのものだけに使われるわけではない。購読料やAPCとして海外出版社にも流れていく。大学図書館は予算に苦しみ、契約していない雑誌の論文は読めない。独立研究者や一般読者は、一本の論文を読むだけで高額な支払いを求められることもある。

この構造に対する不満は、世界的にも強まっている。

最近、中国科学院(CAS)が、高額APCを取る欧米系オープンアクセス誌への支出をCAS資金で行うことを制限する方針だと報じられた。対象はNature Communications、Science Advances、Cell Reportsなどの高額誌とされる。ただし、これは中国全体の公式政策というより、巨大研究機関であるCASの内規として報じられている段階であり、書き方には注意が必要である。

それでも、この動きは単なる節約ではない。欧米出版社に研究費が流れ続ける構造から抜け出し、自国の学術誌を育てようとする研究主権の問題でもある。

もちろん、中国モデルを手放しで評価すべきではない。国家が学術誌を育てることは、研究主権の強化であると同時に、国家による研究統制、都合の悪い研究の排除、量産主義、倫理問題を生む危険もある。

だが、「公的研究費が巨大出版社に流れ続ける構造はこのままでよいのか」という問い自体は、日本も避けて通れない。

コロナ禍で、日本社会は国際医学誌の権威を急に知った。しかし、その権威を支える費用構造にはほとんど目を向けなかった。

「Lancetに載った」とは言うが、Lancetを誰が発行し、どのような出版網の中にあり、誰が読むために金を払い、誰が掲載するために金を払っているのかは、ほとんど語られなかった。

国際医学誌は、自然に権威をまとうのではない。引用、査読、編集、出版社、購読契約、APC、研究者評価によって権威が作られる。そして作られた権威は、ときに社会を動かす。

有名誌をありがたがる前に、その論文がどの流通経路に乗り、どの費用構造の上にあるのかを見なければならない。

税金で研究し、無償で査読し、掲載にも購読にも金を払う。

この奇妙な循環を知らないまま、「有名医学誌に載った」とだけありがたがる時代は、そろそろ終わりにすべきである。

次回は、国際医学誌のもう一つの側面を取り上げる。医学誌は中立な論文倉庫なのか。それとも、政治性や製薬会社との関係を抱えた制度なのか。

(次回につづく)

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