島根県を旅しています。益田駅から山陰本線に乗ってさらに西へ。島根県を出て、山口県の東萩駅にやってきました。実は私はJR西日本管内はこの区間だけ未乗車でしたが、この日、益田~東萩駅間を乗車し、晴れて完乗を果たしました。

旅程の都合上、萩にいられるのは2時間余りなので効率よく回ります。
萩城に近い武家屋敷のあったエリアには古い土塀が残っているところが多くあります。

中でも見ごたえがあるのがこの長ーーーい土塀。長州藩の永代家老である益田家の分家、門田益田(といだますだ)家の旧宅があった場所に残る土塀は231.7メートルもあります。土塀があるまちは全国他のところにもありますが、こんなに長い土塀は見たことがありません。

武家屋敷は残っておらず、門だけが残る場所もあります。旧福原家萩屋敷は宇部に領地を持っていた福原家の萩の別宅の門が残ります。萩では門番を置くのがほとんどであった中、この門には門番所がなく、萩では極めて珍しい門です。

萩は江戸時代初期に萩城が築城されて以来250年以上にわたり長州藩の藩庁が置かれてきました。幕末には吉田松陰や高杉晋作などを輩出し、討幕派の旗手としての役割を果たした長州藩の中心都市だった萩。彼らもこの武家屋敷通りを駆け抜けていったのかもしれません。

日本の道100選にも選ばれている菊屋横丁。

萩城の外堀より東には、中・下級武士が住んでいたエリアがあります。豪商、菊屋があったことから菊屋横丁とよばれる通りに、高杉晋作の生誕地がありました。

生家のすぐ近くに建つ立志像。
高杉晋作は1839(天保10)年に毛利氏に仕える武家のもとに生まれました。1857(安政4)年に松下村塾に入塾し、2年後、安政の大獄で吉田松陰が投獄されるまでの間、兵学や孟子や中庸、論語などを学びました。
師の死を無駄にしないと誓った晋作は、藩士以外の武士や平民なども取り込んだ「奇兵隊」を結成して戦闘にあたり、幕府による長州征伐を恐れ、一時幕府への恭順になびきかけた藩論を討幕に導くため下関の功山寺で挙兵した際には奇兵隊がその中心的な役割を果たしました。
倒幕に向けて生涯命を懸けて戦い抜いた晋作は若干27歳8か月で結核でこの世を去ります。もし彼が50、60まで生き延びていたなら明治政府の重鎮として活躍していたのではないかと思います。

決して立派過ぎる家屋ではなく、素朴な環境の中で育てられた晋作ですが、日々をこの家で過ごす中で松陰に傾倒し、倒幕への道を突き進むこととなりました。

菊屋横丁には昭和初期に総理大臣となった田中義一氏の生家跡もあります。明治政府樹立に向けた晋作らの活動があったからこそ、同じ通りで生まれ育った田中の総理大臣への就任に結び付いていったのでしょう。長州出身の総理大臣は初代の伊藤博文氏から直近の安倍晋三氏まで令和に至るまで続いています。

先ほどからこの通りの名を「菊屋横町」と呼んでいますが、その菊屋は旧宅は今も通りに残されています。萩藩の御用を務めた豪商で、さきほどの高杉家に比べると何十倍もの敷地面積を誇ります。


年に数回、藩の賓客が来たときにはこの畳の間でもてなしをしていました。いつ来られてもいいように頻繁に庭の手入れを行わなければなりません。ふと見ると庭の手前に大きな石がありました。賓客は駕籠に乗ってこの石の上まで運ばれてきて、そこからわずか数歩を歩いて畳の間に上がってきたということです。どんだけ歩かへんねん。


正面が新座敷。右手にちらっと見えるのが御部屋。
蔵などを抜けるとまた別の庭園もあります。こちらは御部屋、新座敷の前に広がる新庭と呼ばれる庭園。春と秋の期間限定の公開で今回は運よく期間中にあたり中に入ることができました。
御部屋とは伊藤博文の宿泊時のために建てた部屋で、新座敷は東伏見宮妃殿下のために建てられた部屋です。その目の前に500坪の回遊式庭園が広がります。地方の豪商の旧家を訪ねることも多いですが、これほど広く、手の行き届いた庭はほかになく、いかに菊屋が藩との取引で富を得ていたのかをうかがわせます。

菊屋横町から呉服町通りを歩いていたところ、揚げちくわの旗に目を引かれました。時間は11時すぎ。そういえば、この日は朝6時にホテルを出る前に食事をしたのでお腹が空いています。

揚げちくわ目当てで入ったのに、クラフトビールを頼んでしまいました。
「萩城下町ビール MURATA」さんの「城下町エール」。ホップのフルーティーな味わいが口に広がり、歩き疲れた体を癒してくれます。


どれにするか悩むぅ~。
揚げちくわは食べなかったんですが、MURATAさんが萩の新名物と謳う天ぷらをいただきました。10種類あるので悩みましたが「たことオイルサーディン」をチョイス。タコの歯ごたえにオイルサーディンの礒の香りと塩っ気が効いて絶品でした。萩に来たら是非立ち寄ってみてください。

毛利家の祈願所であり、幼少のころ伊藤博文が1年半過ごし、読み書きを習った円政寺を訪ねて今回の萩の旅を終えました。長州藩の名残を色濃く残す町並みを歩きつつ、今の時代に繋がる政治の礎を築いた幕末藩士の風を感じることができるまち萩。みなさんも是非ゆっくり歩いて見てもらいたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。







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