
6月中旬。京都にある古墳を観に行かないか、と旅仲間に誘われて、京都にやってきました。京都駅から山陰線(嵯峨野線)に乗ってやってきたのは太秦(うずまさ)。東映の京都撮影所がある映画のまちです。

撮影所の前には嵐電の駅がありますが、その行き先は「帷子ノ辻」。読めますか?「かたびらのつじ」です。平安時代に檀林皇后の遺体が彼女の遺言で辻に遺棄された際、彼女の遺体を覆っていた帷子が風に舞ったことから名づけられたといいます。太秦といい、帷子ノ辻といい、今日とは難読の地名が多くあります。

いらっしゃいまじん。

映画のフィルムを模した道路。
先ほども言った通り太秦は映画のまち。かつてはここを名俳優が歩き、馴染みの店で休憩を取る姿も見られました。街灯には映写機の形を模しており、商店街の幟は地域のアイドル「大魔神」が「いらっしゃいまじん」とお出迎えしてくれています。

だい、ま、じん!!
「大魔神」の像は京都を地盤とするスーパーフレスコの前に建っていました。大魔神、元ベイスターズの佐々木投手のニックネームにもなりましたが、1966年に太秦の撮影所で制作された特撮映画です。「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」の3作品があります。
「大魔神」は戦国時代の物語で、地域の人に崇められていた武神像が、地域を治めていた家老らによって自らの額に鏨(たがね)を打ち込まれたため怒り狂い、町を壊すなどの大暴れをするという物語です。家老らは大魔神に成敗されるんですが、怒り狂った際に魔神を崇めていた市民も傷つけるので正義の味方何だか何だかわからないです。



佐々木蔵之介さんらの傑作祈願の絵馬も!
こちらは三吉稲荷(さんきちいなり)神社。通称「映画神社」と呼ばれています。1930年、竹藪ばかりだったこの土地に映画撮影所ができた際に、竹やぶに埋もれていた祠を神社として祀った者です。玉垣には入江たか子など往年の名優の名が刻まれています。

さて、通りを抜けて住宅地の中に入ると、ごつごつした岩のある小山が現れました。これが今回の旅の目的地「蛇塚古墳」です。古墳ってもっと緑に囲まれた場所にある印象だったので、こんな住宅地のど真ん中にあるとは驚きでした。

7世紀ごろにこの地を支配する朝鮮からの渡来系豪族「秦氏」の首長を葬ったとされています。「太秦」の地名は「秦氏が支配するところ」という意味であり、これを「うずまさ」と読むのは、機織りの技術を持っていた秦氏が大和朝廷に絹布を治めたときにその絹布がうずたかく積まれていたとこから「兎豆満佐(うずまさ)」の姓を与えられたためと言われています。
この蛇塚古墳、普段はカギがかけられているのですが、市にネットで申込するとご近所の方に開けてもらうことができます。ちなみに蛇塚の名は、石室に蛇の住処があったからとその名がつけられたそう。えっ…… おれは蛇は苦手なんだケド…((((;゚Д゚))))
ここからはインディーズのテーマを聞きながらどうぞ。

鍵を開けてもらい、古墳の中に入っていきます。かつては前方後円墳だったそうですが、封土が流出して石室が露わになっています。世界遺産に認定される見込みの石舞台古墳よりかなり大きい。インディジョーンズの舞台となったヨルダンのペトラ遺跡を彷彿とさせます。


石室の上、本体ならここに蓋にあたる岩があったはずですが、今はそれもなく青空が見えています。どうも昔、建築資材が足りなくなった時に持ち出してしまった人がいたらしい。昔の人はこれが貴重な文化遺産だなんてわからないですもんね… 幸いかつてここを住処にしていた蛇はもういませんでした。

散歩を終えたら再び太秦の映画通りに戻り、「キネマキッチン」で昼食を。

大魔神の仮面や、

「大魔神」の映画ポスターや、

ガチョーン!でおなじみ谷啓さんのサイン入り鯛なんかもある、映画にまつわるグッズが数多く置かれたカフェでした。

わたしは唐揚げランチをいただきましたが、こちらは一緒に行ったメンバーが頼んだランチ。ライスが大魔神の顔の形になっています。やはり大魔神は太秦の顔のようです。

今年幕を下ろしたか科捜研の女マリコの絵馬もありました。
秦氏の支配地として発展し、映画のまちとして今を生きる京都・太秦。京都撮影所には行きませんでしたが見どころ満点のまちでした。京都というと寺社巡りが多くなると思いますが、こんな京都散歩も楽しいんじゃないかと思います。
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編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年7月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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