
高市政権が初めてまとめた『骨太方針 2026』は、官民で370兆円を投じ、潜在成長率を引き上げるという壮大な構想を掲げる。だが、巨額債務を抱える日本に、その余力はあるのか。投資の果実を先取りする国家主導の成長戦略は、財政再建の切り札か、それとも危険な賭けなのか。
骨太方針の論理と実現可能性、そしてその背後にある国家主導型の経済思想について、教授とワタナベ君が議論する。
■
ワタナベ君:7月になって、ようやく『骨太方針』(経済財政運営と改革の基本方針2026)が出ました。高市政権になってから初めてです。例年に比べてページ数は少なくなりましたが(2025年の48ページ→38ページ)、相変わらずお役人の文章は読みにくいのですが……。
教授:各府省庁は『骨太』に書き込んでもらわないと予算要求しにくい事情がある。あれを書いて、これを書いてとの注文を受けていると、文章が厚着をすることになり、読みにくいし、ページもかさむ。2026年版はこれまでと文体も違って、形式的には改善されたと思う。
ワタナベ君:中身はどうでしょう。“潜在成長率”から話が始まる。それは潜在といっているように、現実には未達成の、いわば目標のようなものだと理解しています。なぜ、ここから書き起こしたのでしょう?
教授:全体の起点に潜在成長率を置いた。意外なサプライズの結論を導くために、意図的にやったのだと思う。君の言うように、潜在という言葉が示しているのは可能性で、この場合は成長可能性の上限を示している。
工場を例にとれば、そこには機械に代表される生産設備があり、そして働く人、つまり労働者がある程度、用意されている。この2つの要素が効率的に目いっぱい稼働したら、どのくらい生産できるのか? 中身は投入と効率に分けられる。後者の効率を生産性と呼ぶわけだ。式にすれば、Y = K + L + A(Kは資本、Lは労働、Aは効率)。正確には足し算の簡単な式ではないけれどね。
通常は“潜在>現実”だから、資本主義の各現場では“潜在”は努力目標になる。地頭の良い学生に、「君の能力はこんなものじゃない! もっと頑張れ!」と。
ワタナベ君:理想の上限といっても、それは経営側から見たものです。労働者にしてみれば、“潜在”を振り回されたら労働強化になりますから、労働戦線ではこの言葉を使いません。
教授:ついでに言っておくと、資本主義の良いところは遊びがあることだ。アメリカの経営者が信じているような完璧な効率化は机上にしか存在しない。
もう1つ、ついでに。それは生産性のAだ。労働者が10人で100個の生産をする。1人当たり10個、これが20個になったとする。これは労働生産性が2倍になったと表現される。生産物の量を労働者の人数(量)で割り算するのだから、分かりやすい。
でも、実際に貢献したのは労働力だけじゃない。前に示した資本投入量の増加もあるし、何といっても大きいのは技術革新、ほかにもいろいろ。この「いろいろ」が実は問題だ。とにかく、すべての要素をひっくるめた生産性を全要素生産性(Total Factor Productivity、TFP)と呼ぶ。それをどう計算するかはここでは省略するけど、潜在成長率は、資本+労働+TFPで表される。
ワタナベ君:TFPというのは、現実の資本と労働の貢献を引いた差分として事後的に求められると、マクロ経済学の教科書にあります。それが潜在成長率では1項目、それもかなり支配的な項目として初めから登場する。何だか堂々巡りのようですが、それは置いておきましょう。
日本の場合、成長の上限が低い。上限は当面の目標ですから、頭がつかえてしまう。そこで、まずこれを引き上げようというわけですね。
『骨太』のPR資料の最初に図1が出てきますね。これを見ると、日本がOECDの中では断然低い。『骨太』が強調したいのは棒グラフの下部、つまり資本の寄与率です。でも、日本の低さを問題にするならば、棒の上の部分も検討しないと。それは意図的にやらない。というより、難しいのでしょう。ここで労働の質の低下なんかを言い出したら、せっかく仲良しになった労働界の反発も予想されます。

図1 潜在成長率の国際比較(2025年)
出典:経済財政運営と改革の基本方針2026 PR資料~政策ファイル
教授:資本だけを取り出して各国比較すると図2になる。確かに日本は低い。私には、この低さには理由も背景もあるように思われるが。

図2 官民投資(実質固定資本形成)の国際比較
出典:経済財政運営と改革の基本方針2026 PR資料~政策ファイル
『骨太』はこれをターゲットにする。高市総理は「強い経済」を全38ページの中で22回も使っているが、日本が弱いのは資本不足だからだと強調する。
ワタナベ君:でも、政府が自ら投資するというのは、資本主義としてはおかしいですね。公共投資なら分かりますが。そこで民を引き込んで“官民”となるわけですか。経団連をパートナーにして、2040年までに370兆円投資する! すごい額ですが、ここで誰もが疑問に思うことがあります。財政赤字が今年度末に1,145兆円に達すると見込まれている日本でできるのか、と。この点はどうですか?
教授:『骨太』の目玉はそこにある。強い経済のために、巨額の政府投資と財政健全化を両立させる!
この誰も成し得なかった手品のような提案には、従来なかった舞台の設定が必要になる。それは“財政の単年度主義をやめ、複数年度予算(多年度主義)にする”ことだ。したがって、これまで気にしてきたプライマリーバランス(単年度の歳出と歳入のバランス)への配慮もやめる。
投資も支出だから、それを実行した年度から投資が果実をもたらすまでの期間中は、勘定の赤字が続く。プライマリーバランスなんか気にしていたら、投資はできないというわけだ。
ワタナベ君:それは理解しました。では、多年度主義にすると、どうして財政健全化になるのですか?
教授:君が納得するかどうか分からないけど、『骨太』の説明はこうなっている。ここでの投資は一般的な歳出と違って、将来に実を結ぶ。事業収益もあり、何より経済成長という成果を得る。成長しそうな17分野を選定し、そこに重点的に投資する。するとGDPが増大する。当然、企業利潤も労賃も増えるから税収も増える。
つまり、最初のうちは赤字が増えるが、最後には解消する。GDPが大きくなっていれば、GDPと累積債務残高の比率は低下し、さらに稼ぐ力も大きいから、累積赤字もいつか解消する。これでどうですか!
ワタナベ君:何だか始点と終点しか議論していないような気がします。途中はどんどん財政赤字が膨らんでいく。本当に耐えられるのですか?
財政が弱い国は例外なく通貨安になります。現在の円安は物価比較で見たら、明らかに行き過ぎですが、『骨太』のようなことを言っていたら円安は止まらない。政府が自ら円安構造を作っているのですから、財務省の為替介入もむなしいのでは。
最近の円安の進行を海外の為替関係者は“Honebuto Shock”と呼んでいます。海外のエコノミストが「投資財源はどこにある?」と聞いています。
教授:政府の投資は「強く豊かな日本投資」として、一般歳出とは別枠にするそうだ。赤字国債は出さないと言っているから、財投機関債のようなものになるのかな。それを誰が買うの? 現状は借金漬けの日本国が発行するから、外国人は買わない。となると、国内で預金を持て余している金融機関に買わせることになる? それも一案だが、それはそれで金融機関の健全性を損なわないか? いくつかの信用金庫が国債の評価損で苦しみ、信金中金の資本出資を要請している。稚内信用金庫のニュースは象徴的だ。
では、ほかの方法は? まさか大増税なんてないよね。金利を高くすれば国の発行する債券を買う人はいるだろうけど、金利負担は大きくなる。
ワタナベ君:日本経済新聞が学者にアンケートを取っています。日本の債務残高の対GDP比を安定的に引き下げるという『骨太』の目標について、何と70%が“達成できない”と回答しています。これまでの話を聞いていると、教授もネガティブですね。
もっと深刻なことがあります。政府の370兆円投資の後を民間投資がついていくかを聞いていますが、“促進できない”が44%、“できる”はたったの14%です(2026年7月24日、日本経済新聞)。
教授:経営者は投資するかしないかを、見込める収益と生じ得るリスクのバランスを考慮して決定する。日本のように“雇われ経営者”が多いと、判断はリスク回避的になる。消極的だと将来のどこかで会社が危機に陥ると聞いても、「大洪水よ、わが亡き後に来たれ!」だからね。情けないようだけど、それも経営者の判断だ。政府が先導役になって民間を引っ張り込むには、それなりの保証が必要だけど、それをやり過ぎれば、もう資本主義じゃないね。
ワタナベ君:『骨太』は全編に、金子勇教授の言われる「国家先導資本主義」※1)が漂っています。また、あちこちに“先取り”が目立ちます。投資の果実が先取りされて、現時点の投資が合理化される。確かに“先取り”は廣田尚久※2)さんの言うように資本主義の推進力ではありますが、見込みの薄い先取りは駄目ですね。
※1)金子勇『少子化と縮減社会: 新しいワークファミリーバランスをめざして』(東京大学出版会、2026年)
※2)廣田尚久『共存主義論-ポスト資本主義の見取り図』(信山社、2021年)
教授:いくら国家の旗を振り回しても、“信認”がなければ誰もついてこない。この場合の信認は、投資家としての信認だ。政権が主張するように、投資は成功して果実を生むというシナリオどおりになるのか? それを現時点で判定するのは、過去の実績だね。
国は、これまで投資家として行動してきた。現時点で、官民ファンドが実に多いこと! 民の字もついているけど、人的構成を見れば、大方は天下り支配で、ほとんどは官。その実績たるや惨憺たるものだ。それなのに、役員の高報酬、高額な退職金、普段は六本木の高層ビルでの貴族仕事だ。
最近ではクールジャパン機構の例がある。国が3割を出資し、民間23社が共同出資しているから、イニシアチブが国にあるのは明白だけど、2025年の累積損失は540億円に上る。山形県のスタートアップに出資した140億円は戻ってこないらしい。会計検査院によれば、投資の回収率は約6割しかない。農林漁業成長産業化支援機構(A-Five、2026年3月末に解散)のそれも同率だ。驚くのは、巨額の損失の責任を取った人がいないこと、それを追及することもないことだ。
ワタナベ君:現在進行中の官民ファンドの投資案件のうち167件は、設定した投資期間をすでに経過しており、そのうち126件は、投資で得た有価証券の評価額が投資金額(資本コスト)を下回っている。これは会計検査院の報告ですよ。この実績で“私を信用しろ”と言っても無理ですね。高市総理は370兆円などという巨額の投資を誰にやらせるつもりなのでしょう。現存する官民ファンドは総計11兆6,000億円の投資をしていますが、回収したのは現在までのところ3兆3,900億円です。
教授:投資先の17分野も、安全そうなところはないね。宇宙投資なんて、雲をつかむよりもっと先だね。IT・AIなどは世界の競争も激しいし、周回遅れの日本が追いつけるかな。挑戦は高市政権の好きな言葉だけど、使うのは国民のお金だから。ついでに言えば、17分野には中小企業が参加できそうな分野はほとんどない。
ワタナベ君:『骨太方針 2026』はこれまでのものとは違います。潜在成長率から始まる論理の組み立ても独特です。投資拡大→資本形成が軸ですから、昔のサプライサイド論です。
教授:各省庁ではなく、内閣府が書いた。『骨太』に影響を与えたのは、MSSE(モダン・サプライサイド・エコノミクス)というものらしい。これは従来の供給側から見る理論に、先導役としての“強い国家”を加味したものだ。官民投資と言っているけれど、実は官。そして財政支出が中心。近年は、せっかく小さな国家を目指して努力してきたのに、完全に逆流だ。
ワタナベ君:供給サイドだから、あまり物価も気にならないようです。教授の言うように、これは高市流のギャンブルですね。政府の投資が果実を生む。それが国民にうまく配分され、持続的な需要になる。昔の社会主義国のリーダーの御宣託のようです。
8月末に「地域未来戦略」が出たら、地方創生について改めてお話をお聞きしたいと思います。
教授:君の指摘するように、『骨太』には地方創生は1語しかないね。石破さんも嫌われたものだ。地方創生に上から覆いをかぶせるように地域未来戦略が掲げられているけど、中身は産業クラスター※3)らしい。これはいつか来た道で、かつ迷った道だ。「ロケット射場のような民間クラスター拠点の整備」(『骨太』、p.10)なんて! イーロン・マスクとかホリエモンみたいな人は、ざらにはいませんよ。
※3)産業クラスター論は、アメリカの経営学者マイケル・ポーターが提唱した概念であり、日本では2001年度に経済産業省が主導し、地域経済の活性化と新産業の創出を目指す「産業クラスター計画」を立ち上げた過去がある。
財務省は私立大学、特に地方で定員割れを起こしている大学を潰せと言っているけど、『骨太』は「地方大学・産業創生法の施行状況を踏まえ、地域における若者の修学及び就業の促進を支援する」と、真逆のことを主張している。
『骨太』は、各省庁の意向の取り入れをほどほどにして、内閣主導で書かれた。そのことがよく分かります。『骨太』が骨太らしく政策の中心として扱われていくか、注目しましょう。このままでは済まない気がしますが、少し間を置いて、また議論しましょう。







コメント