映画・開戦前夜は戦闘場面のない戦争映画だ。法廷ドラマのように対話で進行する、対話は深まりながらサスペンスフルに1つの重要なエビデンスへとたどり着く。南方の石油を確保した後にそのタンカーが日本へ戻れるかだ。
総力戦研究所で企画院次長役は日本郵船のロンドン駐在員で、保険会社ロイズの船舶レジスター統計のデータ(英国の商船隊のナチスドイツの潜水艦による撃沈率)を用いた。その結果、石油はほとんど届かないとわかった。『昭和16年夏の敗戦』をお読みいただければ明らかだが、実際の東條英機内閣の鈴木貞一企画院総裁の戦争を可能とする石油備蓄量の数字は粉飾されていた。93歳の鈴木本人が死ぬ前にそう僕に告白している。この1点だけで決定的な勝負の分かれ目になる。
確かに『昭和16年夏の敗戦』は「空気」がテーマである。だが「空気」の一般論ではない。ファクトとロジックと「空気」との戦いなのだ。そこを教訓としなければ意味がない。
この1点をめぐるその戦いを、僕はその後、どう続けたか。AIに客観的に語らせよう。
「それでは、猪瀬氏の政治キャリアにおける2つの大きなハイライトについて、それぞれ具体的に解説します。
1. 道路公団民営化での官僚との闘い
小泉純一郎首相(当時)の「聖域なき構造改革」の目玉として、2002年に猪瀬氏は「道路関係四公団民営化推進委員会」の委員に任命されました。当時、日本道路公団などは約40兆円もの巨額の借金を抱えながら、族議員(建設族)や官僚(旧建設省)と結託し、採算の取れない高速道路を全国に建設し続ける「利権の温床」となっていました。ここに作家である猪瀬氏が文字通り「斬り込み隊長」として送り込まれました。情報のブラックボックスをこじ開ける官僚側は都合の悪い財務データや建設コストの隠蔽を図りましたが、猪瀬氏は持ち前の徹底した取材・調査力でこれらを追及。「借金返済、コスト削減、料金値下げ」が最優先であるとメディアを通じて世論に直接訴えかけ、密室で行われがちだった議論を可視化しました。
「民営化を骨抜きにしたい官僚」との決裂
委員会内部でも、官僚の息がかかった委員(官僚の天下り組織や建設利権を守りたい勢力)との間で激しい対立が勃発しました。組織形態や借金返済スキームを巡って妥協を許さない猪瀬氏の姿勢により、最終的に委員会が空中分解・分裂する事態にまで発展しました。
闘いの決着
数々の妨害や、当時の自民党実力者たちからの「猪瀬を外せ」という大合唱を跳ね返し、2005年10月に道路四公団の民営化(NEXCO3社などへの分割・発足)を達成しました。この結果、民間ノウハウによるサービスエリア(SA・PA)の充実や、国営時代にはなかった柔軟な「ETC割引制度」などが実現することになりました。
2. 維新の会における具体的な社会保障改革
2022年に国政へ復帰した猪瀬氏は、日本維新の会の参議院幹事長および改革の急先鋒として、「社会保険料を下げる改革」を強力に主導しています。毎年1兆円規模で膨れ上がり、現役世代の手取りを圧迫し続ける社会保障費(特に国民医療費)にメスを入れるため、以下の「年間最低4兆円の削減、現役世代1人あたり年6万円の負担軽減」を掲げた超具体的な構造改革案(たたき台)を政府に突きつけています。
医療の「フリーアクセス」と無駄の抑制
(OTC類似薬の適用除外)花粉症の薬や湿布、ビタミン剤など、市販薬(OTC医薬品)で代替できる軽症の処方薬について、公的医療保険の対象から除外(または自己負担増)することを提案しています。これにより、医療費の無駄遣いとコンビニ感覚の通院を抑制します。
高齢者の「応能負担」の深化(金融所得の反映)
現在の高齢者の医療費窓口負担は「経常収入(年金など)」だけで判定されています。これに対し、多額の株配当や資産を持つ高齢者については、金融所得も窓口負担の判定に反映させ、支払い能力に応じた負担(応能負担)を求めるべきだと主張しています。
DXの強制推進と病床の適正化
業務効率化と重複投薬を防ぐため、医療機関への「電子カルテ」の普及促進や、形骸化した病床の削減・適正化による生産性革命を提言しています。
猪瀬氏は「ファクト(事実)とロジック(論理)を積み上げれば、医療の質を落とさずに4兆円は削減できる」として、自民・公明との社会保障実務者協議でも妥協なき議論を展開しています」
無駄な医療費の削減に取り組む前に介護施設の改革を実現させていた。
どの1点に注目したか。以下。
「当時「絶対に解決不可能」と言われていた都市部の特養(特別養護老人ホーム)不足と待機者問題のブレイクスルーとなったのが、猪瀬副知事(当時)の発案による民間活力を生かした高齢者住宅の仕組みでした。この政策の背景と、それが国の制度(サービス付き高齢者向け住宅)へと昇華した流れは以下の通りです。
1. 「特養頼み」の限界と猪瀬氏の着眼点
当時、東京などの大都市圏では地価が高く、従来の「土地を国や自治体が用意し、社会福祉法人が重厚な施設(特養)を建てる」という方式では、急増する高齢者人口に到底追いつきませんでした。そこで作家としての構想力を持っていた猪瀬氏は、「福祉(特養)という枠組みだけで解決しようとするから進まない。住宅政策(民間賃貸)のマーケットを開放すべきだ」と考えました。
2. 東京都での「民間活力」の実験
猪瀬氏は、大手ハウスメーカーや住宅産業、警備会社などの民間企業が持つノウハウや資金力に着目しました。東京都が主導する形で、「一定の広さやバリアフリー基準を満たし、ケア(安否確認や生活相談)が付いた賃貸住宅」を民間が建設・運営できる規制緩和や仕組みづくりをスタートさせました。これにより、福祉施設ではなく「良質な高齢者向け賃貸住宅」という新しい選択肢が市場に生まれました。
3. 「たまゆら火災事故」と国への波及
この東京での先進的な取り組みが国を動かす決定的な契機となったのが、2009年3月に群馬県で起きた「静養ホームたまゆら」の火災事故です。都内の行き場のない高齢者が地方の未届け施設に送られ、犠牲になったこの事故を受け、猪瀬氏は「大都市圏に受け皿がないことが根本原因だ」と強く主張。これをきっかけに、それまで縦割りだった厚生労働省(福祉担当)と国土交通省(住宅担当)が本格的に連携することになりました。
4. 「サ高住」の誕生
2011年の高齢者住まい法改正によって誕生したのが、現在の「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」です。サ高住が全国に爆発的に普及したことで、自立〜軽度の高齢者はサ高住へ重度の介護が必要な方は特養へという適切な「住み分け」と流動性が生まれました。結果として、かつて絶望的と言われた特養の待機者問題は大幅に緩和され、ほぼ必要な人が入れる環境へと繋がっていきました。縦割り行政の壁を壊し、「福祉に民間の住宅産業を巻き込む」というコペルニクス的転回を成し遂げた点は、道路公団民営化と並ぶ猪瀬氏の行政官としての極めて大きな功績として知られています」
映画・開戦前夜は「空気」がテーマだ。しかし、その戦いはファクトとロジックによる一点突破全面展開にあることを忘れてはなりません。
編集部より:この記事は参議院議員(日本維新の会)・猪瀬直樹氏のnote 2026年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は猪瀬直樹氏のnoteをご覧ください。








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