ここ数日、英国のテレビで繰り返し報じられているのが、北アフリカにあるスペイン領の飛び地セウタへモロッコ側から海を泳いで渡ってくる若者たちの姿だ。
7月30日から31日にかけて、地元当局の推計では最大約6万人、スペイン内務省の集計ではおよそ5万人が越境したとされる。人口約8万4千人の小さな自治都市に、住民の約7割に相当する人々が数日のうちに流れ込んだ計算になる。
泳ぎ着いた若者たちは報道陣のカメラに笑顔を向け、「スペイン万歳」と叫ぶ男性もいた。
正規の手続きを経てスペインへ入る道があるにもかかわらず、彼らはあえて危険な方法を選んだ。不法入国は違法である。それでも多くが笑顔だったのは、そこに別の理由があるからだ。
アフリカにあるEUの国境
モロッコの北海岸に位置するセウタは、ジブラルタル海峡によってスペイン本土と隔てられている。ここに到達することは法的には欧州連合(EU)の域内に入ることを意味する。
モロッコ本土との距離は、出発地点によって数百メートルから約5キロと幅があり、場所によっては泳いで渡れる。地中海を小型船で越えるルートに比べれば、欧州への「入口」がすぐ目の前にある特異な場所だ。
モロッコ東部には、同様の立場にあるスペイン領メリリャがある。

セウタの位置(BBCニュースのサイトから、キャプチャー)
セウタの位置(BBCニュースのサイトから、キャプチャー)
観光ビザでは、求めているものが手に入らない
モロッコ人も、必要な条件を満たせば観光客としてスペインを訪れることはできる。「スペインへ入れないから泳ぐ」わけではない。
しかし、観光目的で認められるのは短期間の滞在であり、原則として就労はできない。スペインで長期間暮らして働くには、通常は就労許可や滞在資格が必要になる。
これに対し、セウタへ到達して庇護を申請すれば、EUの制度に基づく個別審査の対象となる。彼らが期待したのは、観光ではなく、この審査を受ける機会を得ることだった。
欧州には、加盟国間の国境検査を原則として廃止し、域内を自由に移動できる「シェンゲン協定」がある。シェンゲン圏内に入れば、原則として加盟国間を追加の入国審査なしに移動できる。
もっとも、スペイン領でありながらセウタはシェンゲン協定の適用地域には含まれておらず、到達しただけでスペイン本土や他の欧州諸国へ自由に移動できるわけではない。
それでも各国が警戒を強めたのは、将来的にシェンゲン圏へ人の移動が広がることへの懸念があるためで、イタリアはスペインとの国境管理を一時的に復活させる措置を打ち出した。
渡航は突発的なものではなかった
今回の越境は、多くの人にとって思いつきの行動ではなかった。
モロッコの水泳指導者によれば、スペインを目指して以前から水泳教室に通ったり、独学で泳ぎを身につけたりした人もいたという。SNSでは足ひれやウェットスーツが売買され、海況やセウタまでのルートも共有されていた。当日は数千人が国境に集まり、防波堤を越えて海へ入る人が相次いだ。
セウタに到達した若者たちの一部は歓声を上げながら市街地へ向かった。しかし、収容施設はすでに定員を超えて受け入れを停止しており、多くは路上で支援を待つことになった。
冒頭で触れた彼らの「笑顔」は、不法越境に成功したことへの喜びというより、長い準備の末に、ようやく欧州への入口にたどり着いたという安堵の表れだったのかもしれない。
各国を巻き込む政治問題に
スペインの首相は現地入りし、大量越境を「領土保全への侵害」と非難した。密航組織が最高裁の判決を都合よく解釈し、その情報がSNSなどを通じて急速に広まったことが引き金になったとの見方も示している。スペインは軍をセウタとメリリャに派遣し、警備を強化した。

スペイン・サンチェス首相インスタグラムより
今回の事態を受け、欧州各国にも影響が広がった。イタリアは、スペインとの間で適用しているシェンゲン協定の一部停止を発表した。陸上国境がないため、実際には航空便利用者への追加検査が中心となるが、域内の自由な往来にも影響が及び始めたことを示している。フランスもスペインとの国境検問を強化した。
トランプ米大統領は「大惨事」だと述べ、EUのフォンデアライエン欧州委員長も、伝えられた映像は「容認できない」として、事態の早期収束を求めた。
国連の集計では、今年に入って7月15日までにセウタへ既に2826人、メリリャへ181人が越境しており、これは近年と比べても高い水準だった。年間の流入数は2025年が994人、2024年が476人、2023年が467人であり、今回の大量流入は、今年に入って続いていた増加傾向の延長線上で起きたとみることもできる。
繰り返される風景
セウタでは2021年5月にも、2日間で8千人以上が流入し、スペイン軍が派遣される事態となった。
今回の越境者の大半は、その後スペインの兵士や警官に付き添われる形でモロッコへ送還された。少なくとも67人の死亡が確認されており、遺体は放置された浮き輪や足ひれとともに海に浮かんでいたという。
大量越境は、国境管理だけでは説明できない現実を改めて浮き彫りにした。アフリカ大陸にあるEUの国境という地理的条件と、庇護制度が求める個別審査という原則が重なる限り、セウタはこれからも欧州の移民問題の最前線であり続ける可能性が高い。
英国でも、小型ボートで英仏海峡を渡る人々が後を絶たない。海は違っても、「危険を冒してでも欧州にたどり着きたい」と考える人々がいる限り、セウタの光景は欧州全体が直面する課題であり続けるだろう。
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年8月6日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。







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