ウクライナ軍が7月25日にカスピ海上で航行していたイラン所有の貨物船を攻撃無人機で攻撃し、火災を引き起こした件で、イラン側はウクライナに報復を開始する予定だったが、報復攻撃を断念している。テヘラン指導部内で当時、報復支持派と現実派の間で激しい対立があったという。強硬派のイラン革命防衛隊(IRGC)は最高指導者アリ・ハメネイ師の死後、テヘランの実権を掌握しているが、今回はウクライナへの報復を避けている。その疑問に迫る。

カスピ海、イラン国営通信IRNA公式サイトから、2026年8月9日
海外イランメディア「イラン・インターナショナル」のマリヤム・シナイー記者は「イラン当局者はウクライナ軍の攻撃を非難し、決して黙認はしないと誓ったが、テヘランの新たな戦線の拡大がイランの立場を強化するか、さらに負担をかけるかで指導部の間で意見が分かれていた」と指摘し、ウクライナ軍の攻撃後、強硬派と現実派の間で激しい論争があったことを明らかにしている。
イランは攻撃直後、「民間商船への攻撃は国際法違反だ」と激怒し、ウクライナの臨時代理大使を召喚して強く抗議した。IRGCは、ウクライナ国内の3つの拠点を対象に、弾道ミサイルを用いた限定的な報復攻撃の具体案まで策定していた。ウクライナへの報復攻撃は開始寸前だったわけだ。
強硬派の日刊紙「カイハン」はウクライナ軍のイラン貨物船への攻撃を「戦略的警告」と表現し、その目的はイランを新たな北部戦線に引き込むことだと警告した。さらに「キーウが主役ではなく、欧州と北大西洋条約機構(NATO)がその背後にいる。キーウはその代理役を演じているだけだ」と強調している。
軍事アナリストのニマ・アクバルハニ氏は国営放送IRIBでさらに踏み込み、「テヘランはキーウ自体ではなくウクライナのヨーロッパ支持者に報復すべきだ。戦略的かつ正確な対応は、感情的な行動ではなく、ヨーロッパの利益を標的にすることだ。ゼレンスキー(ウクライナ大統領)を抑えられるのは、彼の戦争に資金を出している者だけだ」と述べている。
一方、「報復」が利益よりリスクの方が大きい、と警告する声もあった。モハンマド・バゲル・ガリバフ国会議長に近い保守派政治活動家のアリ・ゴルハキ氏は、「ウクライナに対する直接行動は米国と共に欧州諸国をも敵に回す可能性がある」と指摘、「イランはヨーロッパ全体がアメリカと共にイランに対抗してくるような事態が生じないように警戒しなければならない」と自制を呼びかけている。
また、元外交官のクーロシュ・アフマディ氏は、北部戦線の出現がイランに軍事資産をカスピ海地域に再配置せざるを得ず、他の地域に新たな脆弱性を生む可能性がある。また、イランが黒海地域やウクライナ国内の標的を攻撃した場合、米国、ヨーロッパ、トルコ、ロシアがどのように反応するか不確かだと疑問を呈している。
軍事アナリストのモーセン・レイハニ氏は、Xの投稿で、テヘランが直面する現実的な障害を指摘、「カスピ海からのオデッサ(ウクライナの黒海沿岸の都市)へのドローン攻撃にはロシアの協力が必要であり、イラン北西部から発射されたミサイルはトルコ領空を通過しなければならず、NATOの関与リスクがある。キーウのような都市への攻撃には約1,700~2,500キロメートルの射程を持つミサイルが必要になる」と説明している。
そして最終的には両国間の外交で事態のエスカレートを避けるということで一致したというのだ。イランのアラグチ外相は、「ウクライナのシビハ外相が攻撃は意図的でなかったと保証し、ウクライナはエスカレーションを望んでいないと述べた」と報告している。ただし、イランは事態のエスカレーションを避けるが、死者や被害に対する賠償を求めたという。
ところで、テヘランとキーウの関係は、イラン船攻撃前からすでに緊張していた。2020年1月8日、イランの首都テヘランからキーウへ向かっていた民間旅客機が、イランのイスラム革命防衛隊によって地対空ミサイルで撃墜された。この誤認撃墜により、乗組員と乗客176人全員が死亡した。その後、両国関係は長期的な断絶関係となった。そしてイランによるシャヒードドローンや生産技術のロシア移転をめぐって緊張が深まっていった経緯がある。
キーウはテヘランがモスクワの戦争に直接関与していると見ている。西側情報機関は、イランはロシアにドローンや弾道ミサイルなどの軍需品を提供し、ロシアは対価として穀物や中東の米軍基地に関する情報などを提供している、と分析している。
ちなみに、ウクライナ軍が7月25日にカスピ海のイラン関連船舶を長距離自爆ドローンで攻撃したのは、イランがカスピ海ルートを使ってロシアへ軍事物資や兵器を輸送し、ロシアのウクライナ侵略を直接的に支援しているため、その海上輸送網を断つ狙いがあったことは間違いない。ロシアとイランを結ぶ軍事・経済的な補給線としてカスピ海が使われており、ウクライナ側はこの補給路を標的にしたわけだ。ロシア・イラン間の軍事輸送ルート(カスピ海ルート)の実態は、欧米の監視や制裁、および米海軍の物理的な介入が一切届かない「巨大な密輸・物流の聖域」として機能しているといわれる。
ロシアは船舶攻撃後、テヘランを強く支持した。モスクワの外務省報道官マリア・ザハロワ氏は、「ウクライナがカスピ海沿岸諸国の地域安全保障に明確な脅威をもたらす」と述べ、クレムリンのペスコフ報道官はイラン船への攻撃を「イラン自体への攻撃を意味する」と強調している。
なお、カスピ海事務局長のナビウッラー・アザミ氏はIRNAとのインタビューで、「過去30年間、カスピ海はイランの中でも数少ない周辺地域の一つであり、地域外の軍事勢力からの直接的な競争から免れてきた。現状でこの状況を維持することは、外交上だけでなく、安全保障リスクの拡大を防ぐためにも戦略的に必要だ」と主張している。
イラン側がウクライナ軍の貨物船攻撃に対して報復攻撃に乗り出せば、米国や欧州の監視外にあったカスピ海の実態が国際社会に知られる切っ掛けともなる。イランはそれを避けたいため、キーウの攻撃に対しては報復攻撃を断念する選択肢を選んだのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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