
bee32/iStock
40年前、私は学校内の事件に巻き込まれた。そして、被害者だったはずの私が、学校から加害者にされた。
では、もしいま自分の子供が同じような事件に巻き込まれたら、親はどうすればいいのか。私自身の体験と、40年余りを経た2023年に中野区教育委員会へ照会した顛末から、この問いを考えたい。
被害者のはずが、パトカーに乗る
中学3年のとき、A君(仮称)が転校してきた。A君は私のグループに入ったものの、些細なトラブルから孤立した。
担任に「仲良くするように」と言われた私たちは、A君のマンションを訪ねた。呼び鈴に反応はなく、帰ろうとしたそのとき、A君がバットを振り回して襲い掛かってきた。
「お前ら、オレをやりにきたのか!」
腕とあばらに激痛が走った。友達も数人が叩かれた。私たちは何もしていない。一方的に打ちのめされただけである。やがてパトカーと救急車が到着し、被害者のはずの私がパトカーに乗せられた。
このあとの記憶はすっかり抜け落ちている。担任が警察署に迎えにきたこと、親には「部活の仲間と食事をしてきた」と話したこと──覚えているのはそれだけだ。
教師の嘘と圧力
翌日、全員が校長室の前に正座させられた。学校は私の言い分を聞こうともせず、担任は「尾藤がやったって言わないと内申書を書かないぞ!」と皆を丸め込んだ。全員すぐに落ちた。
事件から2日後、身体が動かなくなった。校舎を見ただけで涙が止まらない。いまなら「うつ」に近い状態だとわかる。すべてを打ち明けられた父が学校に連絡したが、対応は”けんもほろろ”だった。
「お宅のお子さんは大勢で殴り込みにいったんだ!」 「内申書を書かないことだってできるんですよ!」 「少年院に入れることだってできるんだ!」
幸い父は政治家と親交が深く、中野区に照会をおこなった。以下は当時、父を通じて私が知らされた話である。A君は前の学校でも事件を起こして転校してきたこと。受け入れ先である現中学校で再び事件を起こすことは許されなかったこと。だから、責任のすべてが私に押し付けられたこと──。事件発生からここまで、2ヶ月近くを要した。
学校が体裁の維持を優先したとき、被害者が加害者に仕立てられる構造が生まれる。これは1980年代だけの話ではないはずだ。
「留年」という再挑戦
通学できなくなり、家庭教師が毎日来るようになった。受験は内申書が悪いため私立一本に絞り、10校を受けて全滅。尊厳を踏みにじられるような面接を重ねて確信した。内申書を変えないかぎり高校には入れない。卒業すれば内申書はそのまま残る。変えるには中学3年をやり直す──留年するしかなかった。
学校はあの手この手で卒業させようとしたが、私の意思は固かった。最終的に教育委員会が「大田区に住所を移し、大田区の中学から転入してきたことにする」形で調整し、受け入れ先は中野区立第二中学校となった。
「私のように公立中学を留年する人は、日本で何人くらいいるんですか?」
教育委員会の担当者はこう答えた。
「尾藤君だけだと聞いています」
そして最後まで、担任を含めた関係者から謝罪の言葉はなかった。
不安はあった。元のグループの5人は全員「尾藤にそそのかされた」という反省文を提出しており、人間関係は崩壊していた。一年我慢すればいい──そう思って転入した中野二中で、初日に話しかけてきたクラスメイトがいた。かりにS君としよう。ソフトリーゼントの似合う、根が優しいダンディな男だった。一緒にロックのコンサートに行き、ギターを練習し、麻雀を覚えた。
彼がいなければ辛い一年になっていただろう。いま思い出せば楽しい一年だった。留年という選択は間違っていなかった。
40年後、教育委員会に照会する
この話を初めて公開したのは2023年11月である。自らの人生に折り合いがつけられるようになったからだ。そして折り合いがついたからこそ、確認したいことがあった。①A君はどんな事件を起こして転校してきたのか、②私の転入はどう決定されたのか、③私の事案への謝罪・責任をどう考えるのか──である。
記事の公開後に中野区教育委員会へ照会したところ、返信が届いた。
尾藤様が区立中学校に在籍していた間に、非常につらく悲しい思いをされたことにつきまして、まずは教育委員会としてお詫び申し上げます。
(中略)学校の資料の保存年限は、学籍に関することは20年、指導に関することは5年のため、資料は残っておらず当時の状況については確認することができませんでした。教育委員会においても、資料の保存年限は5年となっているため、同様に確認することができませんでした。
尾藤様が記事で書かれているようなことが二度と起こらないように、教育委員会では学校と連携し、一人ひとりに寄り添い、全ての児童・生徒が安心して学校に通えるように今後も努めてまいります。
資料の保存年限により、当時の状況を公的な記録で確認することはできなかった。40年の歳月は、記録を消してしまった。
それでも、この返信には驚いた。事務的な回答を想定していたからだ。
40年前には、誰も謝らなかった。40年後、初めて謝罪が届いた。記録は消えても、謝罪は届いた。この一通が、私の中の長い時間に区切りをつけてくれた。
この返信を受けて、面識のあった杉山司区議に相談し、教育問題に詳しい斉藤ゆり区議にも情報を共有いただいた。お二人と面談し、教育委員会関係者との面談も叶った。真摯な対応だったと思う。
学校そのものが原因のとき、誰に相談するのか
現在の中野区には、子どもオンブズマンや教育相談室などの窓口が整備されている。私の中学時代とは雲泥の差だ。
ただし気になる点がある。いずれも「子供がいじめにあったら」「子供が不登校になったら」と、子供や生徒間のトラブルを前提とした建て付けであることだ。私のように、学校や教師そのものがリスク要因となる場合はどうか。
学校を信頼できないとき、「学校に相談してください」と言われても、子供や保護者はどこへ行けばいいのか。私には相談できる相手が誰もおらず、結果的に精神的に追い詰められた。だからこそ、学校を経由せずに相談できる、学校から独立した第三者の窓口が必要なのではないか。
事件が起きた1980年代は校内暴力が社会問題化していた時代で、現在とは背景が異なる。同級生の父母からは「尾藤君はもう終わりね」と言われ、ゴシップに辟易した。確かにハンデにはなった。
それでも私は高校へ進み、大学、大学院へと進んだ。いまでは本を書く仕事をしている。あの一年で、人生が終わることはなかった。
いま、学校の理不尽な対応に苦しんでいる人に伝えたい。逃げることも、やり直すことも、決して敗北ではない。そして保護者の方には、学校の言葉だけを鵜呑みにせず、子供の言葉を信じて逃げ道を用意してあげてほしい。40年前、私の父がそうしてくれたように。
若い人には時間がある。しかし時間は無限ではない。
あなたの成功を、こころから祈念しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
日本初のClaude実用書です。発売即重版しました。
『3時間で身につくClaude活用術』(WAVE出版








コメント