ドイツ情報機関の「実力」侮ってはならない

ドイツのメルツ政権は12日、スパイやテロ、サイバー攻撃など治安上の脅威に対処する情報機関の能力を大幅に引き上げるための法案を閣議決定した。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、ドイツを含む欧州の安全保障は大きな挑戦に直面している。ロシアの脅威が高まる中、ドイツは戦後から安全保障に関連する情報を米国に依存してきたが、独自の情報機関の強化を求める声が高まってきていた。

中国武漢ウイルス研究所(WIV)Wikipediaより

ドイツはナチス政権や東ドイツ秘密警察(シュタージ)の負の歴史もあって、情報機関の権限を制限し、「情報の収集・分析」に徹してきたが、ウクライナ侵攻以降のロシアによるサイバー攻撃や破壊工作の増加、さらに同盟国(特に米国)への過度な依存に対する危機感から、ドイツの情報機関の強化を求める声が高まってきた。それを受け今回、米国型情報機関に質的大転換を実施していく意向を明らかにしたわけだ。具体的には、「情報収集・分析」から「情報工作(オペレーション)」を積極的に実施する本格的な情報機関への変貌だ。

ドイツには3つの情報機関が存在し、それぞれ特定の領域で活動したきた。今回の情報機関の権限強化の対象は①と②だ。

①連邦情報局(BND): 連邦首相府に属する対外情報機関。国外の政治・軍事・経済情報の収集やサイバー防衛を担当する。
②連邦憲法擁護庁(BfV): 連邦内務省に属する国内情報機関(カウンターインテリジェンス)。国内のスパイ活動、テロ、極右・極左過激主義の監視を行う。
③連邦軍軍事保安局(MAD): 国防省に属し、軍内部のスパイ対策や過激派排除を担当する軍事情報機関 。

直近の実例を挙げる。

ベルリンの治安当局は21日、武器の隠し場所を発見した。ドイツのメディアによれば、ドイツの国内治安機関である連邦憲法擁護庁は、この隠し場所がロシアの諜報機関のために設けられたものと見ている。保管場所はブランデンブルク州の森の中にあったという。ドブリント内相(CSU)によると、「発見された武器や弾薬は、明らかに計画的な攻撃を実行するために用意されたものだ」という。外国勢力の関与も排除していないという。

今回の情報機関の強化に基づいて、差し迫ったサイバー攻撃の兆候がある場合、BNDは敵対勢力のITシステムや国外のサーバーに侵入し、無力化・停止させる活動(ハッキング)を実施する能動的な防護措置が可能となる。また、監視制限の大幅な緩和、通信データの保存期間が延長され、通信内容は最長6カ月、IPアドレスや接続データは最長12カ月保存できる。具体的な脅威の兆候があれば、海外での秘密作戦や介入、武器の運搬手続きの簡素化を認め、実質的な「独自の防諜能力」を持たせるという。

ところで、BNDの情報機関としての「実力」はどうか。BNDは高度な暗号解読や、世界中の通信インフラから情報を集めるシギント(通信情報収集)で高い技術を有する一方、これまでは法的な制約(プライバシー保護やナチス時代の反省)から「攻撃を事前に検知しても、自らサーバーをハッキングして止める」ことができなかった。そのため、米国のCIA(米中央情報局)やNSA(米国家安全保障局)、英のMI6(対外秘密情報局)などに比べ「実戦力」で劣ると見なされてきた。

今回の法改正により、他国に頼らず自国で脅威を察知し、自らサイバー空間や海外で工作を阻止できる「本物の諜報機関」としての実力を持つことになる。この大改革は、市民のプライバシーや基本的権利を脅かすとして国内で物議も醸していますが、メルツ政権は「外国からのハイブリッド攻撃は極めて差し迫った危険である」として、強力にこの情報機関の武装化を推進していく決意だ。

参考までに、BNDが情報機関としてその実力を発揮した実例を紹介する。このコラム欄でも報告したが、ドイツの情報機関がパンデミック初期(2020年)の段階で、欧米に先駆けて「新型コロナウイルスは武漢研究所から流出した可能性が極めて高い」とする極秘報告書をまとめていた。この事実は長年伏せられていたが、2025年3月にドイツの有力紙「ツァイト」や「南ドイツ新聞」などのスクープによって暴露された。

ドイツの情報機関BNDは2020年初めにコロナパンデミックの起源に関する機密資料を入手していた。それらの情報に基づいて、BNDは中国・武漢ウイルス研究所(WIV)での事故が世界的なコロナパンデミックの原因である可能性が高いと結論を下した。BNDによると、武漢ウイルスの起源は「80%から95%」、WIV発生説が正しいという。

根拠となったのは、公的なデータの分析に加え、「サーレマー」(saaremaa)というコードネームで行われた情報機関の極秘作戦で入手した資料に基づくものだった。資料の中には、中国の研究機関、特にウイルス研究の最先端機関である「武漢ウイルス研究所」からの科学データが含まれていた。また、自然界のウイルスを人為的に改変する「機能獲得(Gain-of-Function)」実験のリスクに関する証拠や、研究所の安全基準違反を示す多数の資料も含まれていたという。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の起源を調査するように指示を出したのは、当時のドイツの首相府だった。メルケル政権下で、BNDは首相府に対し、この機密作戦の結果とBNDの評価を報告した。しかし、首相府はこの極めて重大な情報を非公開とする決定を下した。メルケル首相は中国側の反発を恐れて、機密情報を封印したのだ(「ドイツは武漢ウイルスの機密資料入手していた」2025年3月14日参考)。

トランプ米政権がスタートした直後の1月25日、CIAは中国の研究室から流出した可能性が高いとする新たな評価を示した。CIAは「入手可能な情報によれば、研究所起源説が、自然発生説よりも可能性が高い」と指摘。立場を転換した具体的な理由については説明しなかった。BNDが提出した資料に基づいて、研究所流出説を支持する立場に急遽、転換したものと推測されている。

独週刊誌シュピーゲル誌によると、「世界保健機関(WHO)のウイルス専門家はBNDの情報をメディアを通じて知り、武漢ウイルスの起源問題で理解を深めた」という。BNDの世界的な功績は表立っては称賛されなかったが、それ以後、BNDの情報収集力への外国情報機関の評価は大きく変わったといわれている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント