育休3年論でいろんな議論が出ているついでに、育児休業という「お仕事=vocation」の貨幣価値を換算してみたい。というのも、「育休=竜宮城で休んでいる」、「育休復職者=浦島太郎」という考え方が未だにはびこっており、その考え方そのものが育休を取得しにくくしている気がしてならないからだ。
言うまでもなく、新生児を育てるという任務は非常に過酷であり難しい。忍耐力、体力、創造性、教育力、コミュニケーション力、サービス精神…人間が備えているあらゆるものを総動員して初めて可能であり、かつ24時間365日年中無休の仕事だ。赤ん坊に夜も昼も関係なく、1時間以上抱っこしてやっと寝かせつけたと思うと、また1時間後に母乳を求めて泣き始めることなんてしょっちゅうだ。もちろん、炊事、洗濯、掃除もろもろの家事も同時にこなさなければならない。たとえると、超クレイマーな未知のVIP顧客に、マニュアルもなし、アドバイスしてくれる上司も先輩もなしで、24時間年中無休でつきっきりになるサービス業といったところだろうか。
東京都の公立保育園では、ゼロ歳児一人当たりに対して月50万円の税金がかけられており(参照)、区によっては60万円のところもあるという。土地代が比較的安い他の地域でも40万円にはなるだろう。つまり、0歳児を公立保育園に1年間預けたと仮定すると、年間で約600万円の税金が投下されることになる。これは、保育士1人あたり3人の0歳児をみることができると規定されているからで、子どもの年齢が上がるとその分、かかるコストも少しずつ下がってくる。
この計算から考えると、育休を1年間取得し、公立保育園に預けないで育児をした場合、600万円の税金をセーブしたことになる。さらに、保育園終了後の夜の時間や土日の時間も休みなく24時間体制で育児業をしていることになるので、0歳児育児を貨幣価値に換算すると、このおよそ倍の1200万円、残業代や夜間勤務の時給が増額されると考えるとそれ以上になると思われる。(実際にカナダの専業主婦の労働換算額は1200万円という計算もある。)
さらに言えば、これは単純な短期的コスト計算に基づくものでしかない。0歳児の育児はその一部を保育士が代替することはできるが、全責任を負うという任務は、親以外で代替することはほぼ不可能だ。人的資源という代替性が低く供給が不足してきている貴重資源に対して、その資源確保に絶対的に必要であり、かつ代替不可能な職務であることを考えると、その価値はもっと高いのではないだろうか。
育休という仕事は、決して「休んでいる」わけではない。年収1200万円以上の価値がある年中無休の超ハードな仕事をしていると、考えてみてはどうだろう。そのハードさと社会経済的価値を考えると、決して「浦島太郎」とは言えないのではないだろうか。育休は「竜宮城」ではなく、ドラゴンボールで言えば過酷な修行空間である「精神と時の部屋」だ。
私は、育休は最強の実践的学びの期間であると考えている。親として、人間として、大きく成長させてもらえる貴重な期間であり、最強の研修、最強の留学/留職、最強の出向任務だ。この際、育休中の身分を「任期付き国家公務員として厚労省に出向」という立場にしてみてはどうだろ。冗談みたいな話だが、今の日本にはそのくらいの価値観の転換が必要だ。
学びのエバンジェリスト
本山勝寛
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