書評:『機械との競争』を読んでみた --- 中村 伊知哉

アゴラ


機械との競争

エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィーの著「機械との競争」。MITビジネススクール「Sloan」の教授たちによる情報経済論です。

コンピュータが人間の領域を浸食することで、特に中間層の雇用が減り、雇用は高所得を得られる創造的な仕事と低賃金の肉体労働に二極化すると警告します。


自動車の運転も翻訳もコンピュータがカバーします。ホワイトカラーの仕事は機械に肩代わりされ、人間が勝るのは音楽、ソフトウェア、スポーツといったクリエイティブな仕事と、肉体労働とに集約されるというのです。

所得の中央値は過去10年で減少し、1人当たりGDPは増加したといいます。富の増加分の80%以上が上位5%の世界に集中しています。中間レベルの所得が失われ、格差が拡大しているのです。

って、なつかしいなぁ、というのが第一の感想。

こういう議論は15年前にありました。PCやネットの普及は、そのために進められる。

経営者がムダなホワイトカラー、中間管理層を切るために、ネットの普及を浸透させる、というのがアメリカの空気感でした。特にぼくがいた、MITのある東海岸では、それが正当な行為として賞賛されていました。

そのころ日本でも企業でのネット利用がぼちぼち進んでいましたが、その目的はハッキリせず、ベンダーやソフトハウスやシンクタンクや通信会社の営業に押される形で恐る恐る導入する会社が多くて、投資も本格化しませんでした。

だんだん「中抜き」論が勃興し、ネットの普及はホワイトカラーの危機感をあおり、普及にドライブがかからないままでした。

女子高生などの末端ユーザがデジタルをガンガン使いこなし、世界で群を抜いて情報を発信する国になっているにもかかわらず、企業のネット利用という点では、情報通信白書が示すように、経営者のIT利用偏差値が先進国最下位を記録するというありさまです。

そんな古いテーマを今になって気鋭のビジネススクールの看板教授が持ち出しているのは、ようやく議論できるだけの実証データが揃ってきたということなのでしょう。

実はエリック・ブリニョルフソン教授は、2000年にeBizセンターをMITに立ち上げた教授でして、当時MITメディアラボに所属していたぼくは、CSKを口説いてセンターの設立スポンサーとして参加しました。

ネットバブル崩壊前、アメリカIT分野の鼻息が最も荒いころです。いやぁ、荒かった。それから曲折を経て、東海岸はIT分野で西に引き離され、十数年経って、ITはヤバいよ、という実証を持ち出してきたのですね。

気持ちはわかる。

当時のぼくは、アメリカの鼻持ちならないIT攻勢に辟易としながら、MITによる、デザイン+テクノロジー(メディアラボ)とマネジメント+ポリシー(スローン)のかけ算プロジェクトに、並々ならぬ興味を抱いておりまして、そのモデルを一つの組織=大学院でやってみたい、というのが今ぼくが所属するKMDへの期待となっているのです。

ま、いいかそんな話は。

本書は警告を発するものの、1811年のラッダイト運動を引き合いに出し、古い仕事が失われても新しい仕事が生まれるというのが経済学の教えと説きます。そのとおりです。

産業革命の第一ステージ=蒸気機関も、第二ステージ=電気も、多くの労働者を生みました。

産業革命の第三ステージ=コンピュータとネットも長期にはそうだと説きます。

基本は楽観的なのです。デジタル技術は人類は豊かにする、というのが基調です。

なお、コンピュータやネットを第三次の産業革命と見るのは公文俊平先生と同じですね。

ぼくはコンピュータやネットは300年単位の産業革命ではなく、1000年単位の文化革命だと見ていて、蒸気機関や電気とはレイヤが違うと思っています。長期の経済からみて楽観なのは同じですけど。

ぼくが本書に刺激を受けたのは、「教育」に関する分析と、「提言」の2点。

まず、本書はアメリカの教育が停滞していることを批判します。情報化が進んでいない、指導法は何世紀も変わっていない、という指摘です。MITメディアラボのシーモア・パパート一派が唱え続けていることですね。

そこで本書も教育情報化を説くのですが、意を強くしたのは、美術、音楽など「ソフトスキル」をつける重要性を語っていることです。MITメディアラボから転じたジョン前田が、「イノベーション力を高めるにはSTEAM=科学、技術、工学、Art、数学が重要」としてArt教育をプッシュしていることに言及しています。まさにそれこそぼくがMITから日本に戻って10年続けている創造力・表現力を高めるデジタル学習活動のベース。

そして、本書のクライマックスが「19の提言」。
アメリカに対する提言なのですが、そっくり日本にぶつけたい政策集になっています。ありがたいことです。だよねエリック!という事項を並べてみましょう。()はぼくの感想。

・教育に投資し、先生の報酬を増額すべき
 (日本はOECD中、公教育支出のGDP比がほぼ最下位。日本こそ投資すべき。)

・大学教授の終身在職権を剥奪せよ
 (よく言った。最も競争が少ない分野。日本もそうすべき。自分のクビを絞めるが。)

・義務教育の授業時間数を増やせ
 (ゆとっている余裕はない。)

・スキルを持つ労働者の移民を増やせ
 (少子化の著しい日本向け政策。女性と外人を活かすほかなし。)

・起業に関する規制を緩和せよ
 (ややこしい認可の廃止は急務。)

・通信・輸送インフラの強化
 (電波開放、運輸規制緩和。)

・基礎研究への予算を増額せよ
 (R&Dで劣後しては日本に未来なし。)

・労働市場の高い流動性を維持せよ
 (日本こそ成長戦略でこれを実現すべき。アメリカは自らの強みをわかっている。)

・新ネットワークビジネスへの規制を控えよ
 (アメリカが強みをより強くする前に、日本がビジネス環境を整えなければ。)

・著作権の保護期間を短縮せよ
 (これは驚いた。アメリカが海外に保護期間の延長を求めてきたことに対する重大なアンチテーゼ。ぼくもアメリカは短縮したほうが国益にかなうと考えるが、ここにきてこうした議論が米国内から公然と起こり始めた。IT経済の専門家が唱え始めた意味は大きい。TPP交渉で保護期間延長は重大なテーマになると目されているが、アメリカの攻勢も一辺倒ではなくなる可能性がある。)


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年5月21日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。