「子ども手当で拡大する地域間格差」― 務台俊介

アゴラ編集部

 子ども手当がいよいよ実現することになった。手当てを受けるご家庭は今か今かと待ち焦がれているかもしれない。しかし、政府が現金を大量にばら撒くことは尋常ではない。将来に亘り財源のめどを立て、政策目的をはっきりさせ、制度に悪乗りする人たちがいないように制度を練って初めて実現が許される。

 平年度化すると5兆3千億円の財源が必要とされている。財政学の常識として恒久的政策には恒久的財源が不可欠とされているが、そのような懸念は今の政府には存在しないようである。政府の無駄を排除すれば財源はいくらでもあると断言した路線をひたすら突き進んでいるようである。事業仕分けで明らかになったことは、民主党が野党時代に国民に訴えていたような巨額の無駄の存在は蜃気楼であったということだ。結果として、子ども手当の財源は子供たちが将来に亘って返していくという皮肉な結果となる。その負担者となる子供たちには、今は選挙権は与えられていない。


 こうした政策は一度実施すると引っ込めるのは容易ではない。恐らく、国政選挙がなければこうした巨額ばら撒きはマニフェストとして政治の表舞台に出てくることはなかったであろう。子ども手当の政策目的は、「少子化対策」でも、「子育て支援対策」でも、「景気対策」でもなく、明らかに「選挙対策」なのである。

 社会保障の分野に携わっている多くの人たちは、子ども手当の支給による財政圧迫で他の社会保障が大きな制約を受けることを懸念している。看護師さんたちの団体は、過酷で劣悪な医療現場の現状を改善してほしいと願っているが、子ども手当に財源が吸い取られてしまうことを懸念している。子育て世代の母親たちも、その多くは、現金をもらうよりも保育所整備、学校給食の無料化、副教材費の無料化、奨学金の拡充などの現物給付としての子育て支援サービスの拡充を期待している。子ども手当のばら撒きでそれらのサービスが大きな制約を受けることを心配している。

 政府の役割とは、本来、個人ベースでできないことを集合的にやれるところに意味がるはずである。所得制限も何も無しにバラマキにより政府の財源を個人に還元する今の政府の姿勢は国の将来に大きな禍根を残す。
ましてや、日本国内に住所を有する外国人が母国に残している子供にまで子ども手当が支給されることは、国際的友愛精神も行き過ぎと言わざるを得ない。子ども手当目当てに途上国から日本に働きに来る人が増えることは明らかだ。

 ところで、私は、巨額子ども手当の支給が、大都市地域と地方の格差を拡大させることを特に懸念する。子ども手当は当然のことながら中学生までの子供の数がベースとなる。子供の数が多いのは大都市を抱える地域である。東京都、大阪府、神奈川県、愛知県、埼玉県、千葉県、兵庫県、福岡県といった大都市地域に子ども手当の支給が集中する。私のラフな試算では、子ども手当が平年度化すると、東京都には毎年5000億円程度、大阪府、神奈川県には4000億円程度、愛知県には3500億円程度、埼玉県には3250億円程度、千葉県には2750億円程度、兵庫県には2600億円程度、福岡県には2300億円程度が支給されると見込まれる。上位8都府県で支給額の48%を占めることになる。これに対し、子供の数が少ない地方は、鳥取県が最少の270億円程度、島根県、高知県が320億円程度など少額の支給となる。

 地方交付税は地域間の財政調整を行い地域間格差を埋めるものであるが、地域間の財政力の多寡を無視し、純粋に子供の数で巨額の手当を配ることで、結果的に地域間格差が拡大することになる。

 恐らく民主党も子ども手当により地域間格差を広げようという意図はなかったであろう。しかし、制度というのは常に意図せざる結果をもたらすものである。だからこそ制度を立案実行する際には、その持つ意義のほかにそれがもたらす副作用なども十分に吟味して実現の可否を検証しなければならない。今回は「政治主導」の掛け声の下、そのような議論はかき消されてしまった。

 私の故郷の長野県からは、高校生が卒業して大学進学をする時点で、85%もの若者が都会に出て行く。都会の子供の学生生活を支える為に地方の親は巨額の仕送りを行っている。謂わば、都会への大学進学というメカニズムを通じて地方から都会への巨額資金移転が起きている。それに加えての子ども手当の都会への傾斜配分である。かてて加えて、事業仕分けにより、地方で行われている各種プロジェクトが、経済効率性の判断基準の下に延期・廃止の憂き目にあっている。

 政権交代により民主党のマニフェストが機械的に実行されることにより、大都市と地方の経済格差がさらに拡大することをどの様に考えるか、まじめな政策論争が求められる。
(務台俊介 神奈川大学法学部教授)

コメント

  1. 基本的なことをお聞きしたいと思います。
    1.議員一人あたりの人口が最小の鳥取県と最大の神奈川県との格差は4.868であり,選挙対策なら,鳥取県の老人票を目当てにした方が,神奈川の子育て世帯より約5倍も効率が良いのではないですか?しかも老人の投票率は高いし,子供には選挙権も無いわけですしね。したがって,務台さんの子供手当てが「選挙対策」という指摘は論理的にオカシイのではないですか。
    2.「子ども手当の財源は子供たちが将来に亘って返していくという皮肉な結果となる。その負担者となる子供たちには、今は選挙権は与えられていない。」ということですが,子どもたちにしてみたら,自分たちのために支給されたお金を将来返さなければならないのは納得できると思いますが,逆に,そのお金が赤の他人の老人のために使われて,その老人は返済もしないであの世に逝ってしまって借金だけ回してきたら,その方が納得できないと思いますが,どうでしょう。
    3.長野の親で都会に出て行く子供の学生生活を支えるために,巨額の仕送りしている人にも子ども手当がいくはずで,その人達は子ども手当で助かるのでは?むしろ地方の使いもしない美術館などの各種箱物プロジェクトなどに支給されるより,よっぽどましだと思うのですが。
    まだまだお聞きしたのですが,上記3点につきまして,ご返事くださることを期待します。

  2. paul_oguri より:

    >務台様

    少し論旨に違和感を感じたので・・・

    >上位8都府県で支給額の48%を占めることになる
    http://goo.gl/fRbO
    こちらサイトの数字をベースに計算すると、上位8都府県の人口(年齢別人口ではなく、総人口)の合計は、日本全体の人口の48.6%となります。

    また上記のサイトによると、14歳以下の人口の割合が高いのは、上から沖縄県・滋賀県・愛知県・佐賀県です。
    特に都会のほうが子供の比率が高いわけではなさそうです。
    (東京都は最下位です)

    >それに加えての子ども手当の都会への傾斜配分である。
    都会では、中学生以下の人口の割合が地方に比べて高いというわけでなさそうなので、傾斜配分とは言えないと思うのですがいかがでしょうか?
    あるいは地方交付税は地方に傾斜配分されますが、子ども手当が地方に”傾斜配分されない”ことが問題であるとお考えでしょうか?

    各都道府県によって、人口は大きく異なるため、人口や金額の絶対値で比べてしまうと公平な議論ができないように思います。

  3. ますけん より:

    何となくこじつけているような気がして・・・質問させていただきます。
    >政府が現金を大量にばら撒くことは尋常ではない。
    定額給付金をどのようにお考えでしょうか?
    >所得制限も何も無しにバラマキにより政府の財源を個人に還元する今の政府の姿勢は国の将来に大きな禍根を残す。
    定額給付金は間違いだったとも読めます。当時の政府の姿勢をどう思いますか?
    子ども手当てが「選挙対策」だとしたら、定額給付金は、何だったのでしょうか?
    バラマキによって地域間格差が生じるとしたら、定額給付金が地域間格差の元になっていると考えますがいかかでしょうか?
    「大都市と地方の経済格差」とありますが、職業による経済格差や学歴による就職格差を考えた方が良いと思いました。85%もの若者が都会に出て行く長野県??長野県って裕福なのですか??どうして、地場産業に就職しないのか不思議に思いました。

  4. akiteru2716 より:

    バラマキ批判の論旨には異存はないのですが、地域格差を助長するという点には大きな違和感を感じます。

     子供の数に比例して支給額に大小があるのは指摘の通りでしょうが、これは傾斜しているのではなく「傾斜していない」ですよね?
     子供の数と、地域別の税収や物価をマッピングしていけば、平準に配られるだけ地方に有利なようにさえ感じますが。

     実は私自身が都市生活者でもあるし、「地域格差是正」という掛け声への生理的嫌悪感かもしれませんが。

  5. 子供手当てをパチンコなどの遊興費に使ってしまうと揶揄する意見がよくみられますが,大多数の普通の親は,何に一番お金を使うかというと,子供の教育だと思います。自分がダメなオヤジだとしても息子だけはちゃんと勉強して欲しいと思う父親,自分はボロを着て粗食でも,子供には他の家の子供たちに引け目を感じないようにと,綺麗な服と美味しい手作り弁当を用意する母親が圧倒的に多いと私は思います。そんな家庭に,将来は自分たちの世代が返さなければならないけれど,未来の自分からの贈り物のような子ども手当が支給され,親の世代の家庭の事情で諦めなければならなかったような進学ができることは,どんなに嬉しいことか。そうして学校を卒業した子供たちの中から,優秀な人が輩出し,将来の日本を支えるのでしょう。財源など,未来から自分への贈り物なのだから,学校卒業して就職した後の自分が払う税,すなわち国債というのでスジが通るでしょう。

  6. bobbob1978 より:

    >>jit19850726131431様
    3.長野の親で都会に出て行く子供の学生生活を支えるために,巨額の仕送りしている人にも子ども手当がいくはずで,その人達は子ども手当で助かるのでは?

    横レスになりますが、これに関しては都会に出るような年齢の子供は子供手当の支給対象外ですから給付されないのではないかと思います。

  7. tom574 より:

    >親の世代の家庭の事情で諦めなければならなかったような進学

    現在そのようなケースが多くあるとは思えないし、進学にそんな重要性があるとは考えられません。またそれに対しては、奨学金の拡充等で対応するのが一番効率的です。
    そもそも子供手当の支給は義務教育までです。

  8. 子育て家庭が,お金の使い道の第1優先として子供の教育費ということを言っているのであり,そのために食費や遊興費など第2,第3の順位の消費を控えてしまうために,経済が回らないのだと思います。子ども手当が子育て家庭に支給されれば,その第2,第3の消費が喚起されるでしょう。子ども手当はもちろん義務教育の子供に対してだけですがそれより上の16~22歳の子供には,高校授業料の無償化や,特定扶養控除の存続などが行われれば,それも“子ども手当”の一環として考えてよいと思います。また,教育施設の拡充にあてるべきだとする意見もありますが,保育所は足りなくても幼稚園が余っていたり,高校も全入できるくらい存在するし,大学など完全な定員割れ状態で,箱物や教師はいっぱい余っていても,“中身”である子供たちが,教育費の不足で,通学を控えつつあるのが現状であり“子ども手当”の方に優先があると思います。

  9. それと所得制限が無いことの意味ですが,それは子ども手当を受けるのも,未来において返済するのも“全員参加”であることが重要なのです。子供というのは全員“可能性”としての存在であり,いわば未開封のクジのようなもので,将来そのクジが開封され,成功して経済的に裕福になる人がいる一方で不幸にして社会保障の世話にならざるをえない人もいるでしょう。すべての可能性に対して投資,すなわち未開封のクジ全部を購入すれば,中に必ず“当たり”が存在します。もし所得制限して,高額所得者の子供を除外すれば,それはかなり高い確率で“当たりクジ”を購入しないことになります。すなわち子ども手当を支給されていない成功者は,将来,子ども手当の返済のために税を支払う理由が無くなるのです。成功するか失敗するかわからない状態の時に投資してくれなかった国が,成功した後で税を余分に寄こせという理屈は,いくらなんでも民主主義の国において虫が良すぎて成立しないでしょう。

  10. ムタシュン より:

    私は都市と農村の経済格差の観点から物を見る癖があり、今回の子ども手当も都市と農村でその持つ意味がどう違うか考えてみました。

    交付税制度上は東京都などは交付税をもらっていません。人口に応じて東京に交付税が配られているわけではないのです。それにより地域格差が是正されてきました。子ども手当はそういった財政調整の仕組みの観点がないので、子供の数で手当が配分されると結果として都市部に財政資金が集中するという結果になるということを述べました。

    本日長野県小谷村を訪問しました。豪雪地帯です。そこの住民の皆様300人くらいと9つの会場で話をしてきましたが、「子ども手当に充てる財源確保のためにこの地域で実施されている事業が止まり、地域がますます疲弊していくのではないか」と真剣に心配していました。

    子ども手当の政策合理性はそれなりにあるでしょう。問題は、財源手当てがないままにこうした制度を導入するために大きな副作用が生じるということです。

    無駄を排除すれば財源が確保できると言明していた方々ののしっかりとした説明を受けたいと思います。