日経新聞が「小池知事の高校無償化は自治体のポピュリズム競争を生み出す」と警告している。東京都は来年度予算案で、私立高校の生徒への補助金の世帯年収の上限を「760万円未満」と全国最高にするが、表のように埼玉県も追随して609万円に引き上げる。
高校無償化には公明党が熱心で、これに反対する会派はない。それどころか自民党も、「教育国債」で大学を無償化する案を検討している。民進党も同じような案を考えており、維新は「憲法改正で教育を無償化する」という方針を掲げている。何でもいいから憲法を改正したい安倍首相も、これに前向きだ。
10年ぐらい前までバラマキ財政といえば公共事業だったが、今ではそれは国の一般会計の5%程度だ。30%を超えるのが社会保障、中でも老人福祉だが、これは評判が悪い。そこで出てきたのが、教育無償化で子供を食い物にする教育ポピュリズムである。
たとえば民進党の玉木雄一郎氏がアゴラで提案した「こども国債」は、「子育て・教育予算の倍増でGDP成長率1%程度アップ」するというが、これは誤りだ。政府支出が1%増えればGDPは1%増えるが、それは成長率が増えることを意味しない。こども国債のような「人への投資」は実際には消費支出であり、それが経済成長を高める効果はゼロである。
だから大学は社会的浪費だが、その私的収益率は高く、大卒の生涯所得は高卒より25%ぐらい多い。したがって補助金は(国立大学も含めて)必要なく、資金ぐり支援は今のように貸与型奨学金でやればいい。その借金が返せないような大学には、行くべきではない。
教育国債やこども国債で増えるのは、子供の税負担だけである。もし子供が消費支出を選択できれば、無意味な大学に行くより車を買うかもしれないし、スマホを買うかもしれない。少なくとも親の世代が、教育費の負担を子供に強制する理由はない。
こういう教育ポピュリズムは、60年代に革新自治体が競争した老人医療費の無料化などの「こども版」である。一度こういうバラマキ競争をやりはじめると、止めるのはその何倍もむずかしい。老人医療は、いまだに元に戻らない。小池知事のポピュリズムの化けの皮がはがれるのは遠くないが、その弊害は長く続くだろう。