講義や講演は双方向コミュニケーション

写真ACより(編集部)

最近、講演等の機会がめっきり減りましたが、以前は講義や講演をけっこうやっていました。大昔の司法試験予備校での講義から始まって、経営者の方々等の前での講演、書籍出版の時の講演などです。

その経験からわかったことは、講義や講演は「双方向のコミュニケーション」だということです。

経験のある方はご存知のように、1000人以上入るようなホールでも、演台に立つと驚くほど聴衆を見渡すことができます。某業界の講演の時には、後ろの映画館のドアのようなところで、講演の真っ最中に名刺交換をしている人たちが何人もいるのがしっかり見えました。

大学の講義だと怒り出す先生もいましたが(大教室で遅刻してきた学生を、当時の三ヶ月章先生が怒鳴ったのは有名な話です)、ビジネスでやっていた私は「まあ、こんなものだろう」と思って特に気にとめませんでした。

話しをしていると、熱心に頷いてくれる人の顔が見えたり、逆に、つまらなさそうにしている人の顔も見えます。つまらなさそうな顔をしている人が複数いる時は、「わかりにくいのかな?」と反省し、ゆっくりと重要な部分を強調して繰り返したりしました。

聴く側になると「一方通行」のような気になる講義や講演。実は、あなたたちの表情や仕草まで演壇に立っている人には仔細に見えているのです。

このように「双方向のコミュニケーション」ですから、私は講義や講演ではパワーポイントは絶対に使いません。なぜなら、パワポは用意したものしか使えず、聴いてくれている人の状況に応じて変更することができないからです。また、話しながらプロセスを書き込むような説明(→を書いて「これが、このようにつながるのです」というふうな説明)ができないからです。

もっとも、最大の難点は私の字が読みにくいということです(汗)

小学校低学年の頃、藤田くんという悪友に間違った鉛筆の持ち方を教わって以来、私は文字を書くのがとても苦手になってしまいました。司法試験論文試験の時など、同じ分量をマトモな文字で書くために普通の受験生の2倍近くの時間がかかったため、いわゆる「答案構成」は3分くらいで済ませて書き始めたほどです。

司法研修所の起案の時も時間が足りなくなったので、(順番に回ってくる)修習日誌に「文字を速く書けることが法曹の資質とは思えない」と書いたら、何と、それ以降どうでもいい形式的記述部分は省略してもよくなりました(民事裁判教官から、所長がきちんと日誌を読んでくれていたことを教えられ、感激しました)。

ホワイトボードだとよく滑るので、苦手な文字がますます下手に見えてしまいます。文字を書くと同時に大きく声を出すようにて何とか乗り切っています。

先般、某大学教授と話をしていた時、その教授が「私は学生から評判が悪いのですよ。板書を一切せずに話した内容をノートに書くよう指示しているので…」と言っていましたが、実はこの方法が最も効果的な講義方法なのです(おそらくその教授もそれを知って実践していたのでしょう)。

耳から聞いた内容を文字にしてノートに書き込む作業は、脳を鍛える最も優れた方法の一つだと、某脳科学者の本に書かれていました。聴覚情報を頭のなかで整理してアウトプットするわけですから、まさにそのとおりでしょう。

一見学生に親切な授業は、かえって学生の能力を弱めてしまいます。
娘が大学生だった頃、先生方が親切なレジュメをたくさん配ってくれているのを知って、「そんなことしないほうが、学生のためなんだけどなあ〜」とオヤジ臭くボヤいたのを思い出しました(笑)

婚姻無効
荘司 雅彦
2017-03-16

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年3月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。