もう謝るのはやめよう --- 山中 淑雄

アゴラ

ロイターの10月9日のブログの冒頭に浜田健太郎氏がこう書いている。

東京電力の広瀬直己社長の会見はいつも謝罪から始まる。「いまなお多くの方々に大変なご心配、ご迷惑、ご不便を掛けていることをお詫びを申し上げます」──。記者会見だけではない。福島で。国会で。漁業関係者に。

そして結びは、

以上の内容は東京電力の解体にほかならない。抵抗感を持つ東電マンがいるかもしれないが、改革を望む社員も少なくないと聞く。社員の多くは、経営トップによる際限ない謝罪や反省の言葉ではなく、再出発への希望を求めているのではないだろうか。

私は東京電力の経営形態はともかくとして、この最後の2行の意見には深く同意し、経営トップから社員の方全員に、皆さんは十分謝った、皆さんが誇りを持って前に進むため、もう謝るのはやめようと言いたいのだ。


いつから日本人はこんなにだらだらと謝り続けるようになったのか。昔から責任あるものが問題を起こしたら切腹すれば済むことで、それで一件落着である。切腹がなくなっても、それに準じた処遇を選ぶことによって責任が果たされ、それを世間が認めることになっていたのが、いつの頃からか、いつまでも責める人がいるからか、あるいはメディアが権力を誇示したいためなのか、私は後者だと思うが、いつまでたっても責任が蒸し返され、それに対して謝り続けるのが慣例になったように思える。

記者会見で企業や役所のお偉方が頭を下げるのは、目の前にあるカメラを通してその先に映像や音声として届くはずの視聴者であるのに、メディアの連中は勘違いして居丈高に質問したり、失言を引き出そうしたりするのは浅ましい限りだ。

謝るばかりではない。原発が止められて東京電力以外の電力会社も値上げを余儀なくされたときの某社長の値上げのお願いの記者会見など、卑屈と思えるほど低姿勢だったのも不思議である。自分たちは十分な対策を持って原発を稼働してきたが、国の方針として停止させられたために電力コストが上がってしまったと、胸を張ってとまではいかなくとも、淡々と訴える必要があったのではないか。

要は謝ればいいってもんじゃないのだ。起きてしまったことは仕方がない。東京電力はその企業形態がどうなれ、今いる社員の方を中心として、日本の中枢部の電力の供給をこれからも担っていくと同時に、福島原発の被害者に対する補償や廃炉に至るまでの後始末を長期にわたってやり遂げなければならない。そのような重要な使命を持つ会社の社員が、チクチクと糾弾され、謝り続けながらその力を発揮できるとは、誰が考えてもそうは思えないであろう。

優秀な人材を確保することは重要なのだ。以前このフォーラムで、「そのうちたき火で発電か」という題で原発問題を取り上げ、「原発ゼロといったとたんに、その分野で貢献しようという若者はいなくなる。技術が新たに開発されないばかりか、継承もされず、ただ消えていくのみだ。」と書いたが、6月21日付の読売新聞朝刊のトップ記事「原子力将来描けぬ学生 7大・大学院定員割れ」がそれを実証している。

化学工学会にSenior Chemical Engineers Network (SCE-NET)という下部組織があり、化学工業を主体とする分野で活躍してきたシニア技術者たちが長年の実務経験を通じて蓄積した豊かな知識と技術を活用して、社会に貢献したいという目的で活発な活動を行っている。私もケミカルエンジニアの端くれだったが、30代の半ばから現場から離れビジネスの世界に移ってしまったので、会員にはなっていないが、誘われて7月13日に開催された技術懇談会に出席し、元日本原子力発電(株)理事、東海事務所長の遠藤常在氏の「原子力四方山話」と題する講演を興味深く聞いた。

その時に出た出席者からのコメントで、福島原発での現在の水漏れなどの事故はひとえにケミカルエンジニア(我々は化工屋と自称するが)の不在であり、もう放射線を浴びても大して寿命には影響を受けないであろう我々シニア化工屋を活用したらどうか、というのには皆笑ったが、その通りだと思ったことだろう。

もう一つ重要なコメントがあったので書いておこう。福島原発に限らずこれから寿命を迎える原発はいずれ廃炉となる運命が待ち構えており、しかもそれに関する技術開発と実施については長期(たとえば100年)にわたり優れた人的リソースが欠かせない。そういう意味で、この分野に学生が来なくなるというのは近視眼的ではないか、ということである。

確かにこの分野は、新しく「廃炉工学」とでもいうべき技術体系を作り出す必要があるし、ビジネスとしても有望な分野だと思う。「廃炉工学」というネーミングは魅力に欠けるのなら、ほかによいのがあれば何でもよい。環境工学だって、初めの頃はおさまりが悪かったし、学生の人気も今一つだったのではないか。

もう一度書こう。謝ればいいってもんじゃないのだ。謝り続ければそれは形骸するだけでなく、謝る側にいる人間は委縮し、力を発揮できない。東京電力の社員の皆さんにはこれからのエネルギーの安全で安価な供給を確保し、多額の賠償金を稼ぎ出して補償に万全を尽くし、そして廃炉を完璧に遂行するためにも、もう謝ることはやめて頑張ってもらいたいのだ。

同じことが外交についてもいえるだろう。チクチクと糾弾し、委縮させ、その力をそぐ、というのは、まさに中国と韓国が日本に仕掛けていることである。いくら謝り続けても「委縮させ、その力をそぐ」ことが目的なのであるから、彼らはやめることはない。そんなことがなぜわからないのだろうか。そんな彼らのお先棒を担ぐ“知識人”と称する人たちがいる。そして、同じ“知識人”たちが原発問題でいつまでも糾弾側に立つのは、偶然ではない何かがあるのだろう。

もう謝るのはやめよう。

平成25年10月20日

山中淑雄
元外資系企業社長