応援団現る
「あなた、自分が思っているほど出世しないから」
エレベータを降り、すぐ目の前にあるドアを開けてネットライフ企画の狭いオフィスに入ってきた、まだ会って5分もしていないその女性は、僕の右手を両手で包み込み、手相の線をじっと見ながら、占い師のような顔つきで僕に向かってそう言った。ギクッとした。
「出口さん、次は貴方も手相を見せて」
「は、はい・・・」
あらゆることにおいて百戦錬磨のはずの出口も、たじたじだった。
女性の名は、牧野紀子。マネックス証券の立ち上げメンバーの一人であり、広報部長として同社を東証一部上場まで導いた立役者である。退社後、norimaki Co., Ltd なる会社を設立し、理念に共感した会社のPR業務を手伝う仕事をしていた。これが、僕らとの初めてのミーティングだった。
新会社にとってもっとも大切なのは、PRとブランド構築であることは明らかだった。無名の会社が一般消費者に名を知らしめるためには、巨額の広告宣伝投資が必要となる。しかし、安い保険料を実現するためには、それはできない。必要なのは、お金をかけずに一人でも多くの人に知ってもらうことだった。
そして、生命保険は人生にとって大切なものであると考えられているから、信頼感が強いブランドを構築していく必要があった。そのためには、会社のビジョンやメッセージが結晶化されてクリアになっていることが不可欠だったし、CI(コーポレートアイディンティ)の根幹を支える「ロゴ」が非常に大切だった。
そこで、凄腕PRの牧野女史が紹介してくれたのが、コピーライティングの巨匠、小野田隆雄氏と、世界的グラフィックデザイナーの松永真氏だった。
二人の巨匠
小野田氏は資生堂の「ゆれる、まなざし」、「恋は、遠い日の花火ではない」(サントリー)などのキャッチコピーで知られる、日本のコピーライターの世界で巨匠中の巨匠である。出口が語る保険の理念に感銘して頂き、生命保険会社となった後の社名と、会社のタグラインを考えて頂くことになった。
松永氏はマネックス証券のシンボルマークの他、ベネッセ、東京三菱銀行、カルビー、ISSEI MIYAKE などのロゴマークを手掛けたほか、整髪料の「ウーノ」、ティッシュの「スコッティ」などの商品のパッケージデザインも手掛けていた。ニューヨーク近代美術館(MOMA)にも作品が飾られている、日本を代表するグラフィックデザイナーである。
松永氏に会いに行く前には、牧野氏から以下のような指示があった:
「出口さんと岩瀬さんに、恋人のご両親に初めてご挨拶にいってもらうような格好をしてもらい、松永真さんにご挨拶にいってもらいたいです。」
我々としては、まだ数名しかいない会社に、このような大御所のアーティストがほとんど手弁当で協力してくれることを、とても幸せに思った。
マーケティング委員会
まだ社員が3名しかおらず、狭いオフィスであくせくと金融庁向けの提出資料を作りながら、出資者候補を回っていたこの頃、社長の出口の発案により、外部の有識者を招いて「マーケティング委員会」なる、マーケティング戦略に関する諮問委員会を開催することになった。
出口は「オープン・アーキテクチャー経営」なる言葉をよく口にする。やや分かりにくいのだが、つまりは「経営を進めていく上で、各分野のプロ中のプロの叡智を上手にお借りしよう!」という考えである。
しかも多くの場合、それは職人として活躍されてきた個人の方に我々の理念をご説明し、ご協力をお願いし、それに共感してくれた方が手弁当でアドバイスをくださる、というパターンである。
それを本格的に実践する第一弾となったのが、このマーケティング委員会。どんなメンバーに来て頂きたいか、考えていた。ウェブの世界に詳しい方はもちろんのこと、ウェブ以外のリアルなマーケティングに詳しい方。多くの消費者に対して多額のマーケティング費用を投下し、それがどのように成果が上がるか、上がらないかを身をもって体感してこられた方。そして、業界はできるだけ金融からはほど遠い、本当のB2Cのビジネス、あるいはB2Bの営業マーケティングをやってこられた方。
そんな風に漠然と考えていたのだが、さまざまなツテを辿った結果、願ってもいなかった、4名の経験豊かで個性的な職人の方々に、ご協力頂けることになった。
A氏は、大手メディア企業の看板媒体の元編集長。少し長めの髪とお洒落な柄入りのシャツ、Gパンが似合う業界人風の出で立ちだが、実は財務畑出身でMBAホルダーでもおり、お堅いビジネスの世界も同じくらいよくご理解されている。ウェブ媒体の編集長として、ネットマーケティングの世界を肌で体感してこられた方でもある。
B氏は、大手広告代理店出身の著名なクリエイティブ・ディレクター。自動車メーカーから大手金融機関、外資系IT企業まで幅広いクライアント層を持つが、最近ではウェブを中心としたインタラクティブ系をご専門とされている。その斬新な数々の作品でカンヌで金獅子賞を取ったりもされているが、いつも漫画誌「スピリッツ」を手にされているのが印象的。
C氏は、大手マルチメディア企業の営業マン。数多くのマーケティング制作物や企業のコーポレート・ブランディング・プロジェクトに携わってこられた。広報物に関する膨大な知識と経験をもとに、ユーモアを持たせながらも、ときに厳しい客観的意見を言ってくださる。「チョイ悪オヤジ」風な装いとは裏腹に、つい頼りにしたくなるような優しい目が印象的。
D氏は、外資系医療メーカーの戦略責任者。コンサルティングファームから実業に転身し、消費者・産業材の営業・マーケティングの双方で幅広く豊かなご経験を持つ。理論家でもあり実務家でもあるこの方は、僕がビジネススクールで学んだマーケティング理論が、本当の職人の手にかかれば有効であることを身をもって示してくださっている。
皆さんには、会社がカゲもカタチもなかった本当にヨチヨチ歩きのころから、会社が目指すべき方向性や訴えていくメッセージ、商品やウェブ戦略について考えて、議論していただいた。会社を白紙の状態から立ち上げるプロセスを垣間見られることと、ガリバーである大手生保に挑もうとするチャレンジャー精神を粋と感じてくださり、ひとつ手伝ってやろうと思ってくださったとのことだ。
マーケティング委員会は毎月1回、ある夜の19時から21時まで、お弁当を食べながら開催されている。我々にとっては開業に向けた一つの進捗管理にもなるし、何よりもこのプロの方々の前に恥ずかしいものを出せない、といつも準備に躍起になる。
また、新たに当社のマーケティングチームに加わったメンバーにとっては、月初に行われるこの会議でプレゼンを行うことが一つの登竜門となっている。
彼らと重ねてきた議論から、学ぶところは本当に多い。ビジネス、とくにマーケティングの世界ではアートとサイエンス、感性と論理の双方が大切であること。本当の洞察あふれる視点は、他の業界などの成功例から得られるということ。そして、どれだけお客さまの視点に立っているつもりでも、いかにすぐ供給者側の論理に陥ってしまうか、ということ。そして、よいアイデアというものは、いかに考えて考え、頭が擦り切れるまで考えないと出てこないし、それを仲間とともに喧々諤々の議論をしている中で、初めて生まれてくるということ。
応援してもらう力
このマーケティング委員会以外にも、僕がマーケティングの師、あるいはベンチャー経営の師と仰いでいる方は何名もいる。疑問や悩みが生じたら、すぐにアポを取って朝食やお昼を食べながら、多岐に渡ってアドバイスをもらえる。
僕たちネットライフの一番の強みは、このように幅広い方々が「応援団」となり、本プロジェクトを支えてくださっていることだと考えるようになった。まるで自分か自分の家族の仕事かのような熱意をもって、全力で応援してもらっている。そんな皆さんの期待を絶対に裏切るわけにはいかない、それがまた一つの大きな動機づけとなって、僕らは走り続けている。
ある先輩アントレプレナーに言われたことがある。お前らは、必ずうまくいくと思う。なぜなら、そこには「助けてあげたいと思う何か」があるから。人は一人ではしょせん、何もできない。どれだけ多くの人に助けてもらえるかに、企業の成否はかかっている事に気がついた。
その点だけで言えば、ライフネットの「格付け」は最上級にあてはまったことだろう。
(つづく)
(過去のエントリー)
第一回 プロローグ
第二回 投資委員会
第三回 童顔の投資家
第四回 共鳴
第五回 看板娘と会社設立
第六回 金融庁と認可折衝開始
第七回 免許審査基準
第八回 100 億円の資金調達