★★★★★ (評者)安田洋祐
企業 契約 金融構造
著者:オリバー・ハート
販売元:慶應義塾大学出版会
発売日:2010-04
現代経済学に書かせない主要な分析道具は、おそらく市場理論(価格理論)、ゲーム理論、契約理論の3つでしょう。標準的な大学院のミクロ経済学の講義では、それぞれの内容におおよそ3~4割、3~4割、1~2割程度の時間が割かれ、学生達はその方法論的な基礎を徹底的に教わります。(残りの時間は、個人の意思決定理論や数学ツールなどの前提知識の習得に使われる場合が多いです。)
この、現代経済学を支える3本柱の1つである契約理論は、契約の性質に応じて、完備契約(complete contract)と不完備契約(incomplete contract)という2つの分野に大きく分かれています。前者は、契約を通じて将来起こり得るすべての事態に応じて予め取引結果を定めることができる状況を、後者は様々な現実的な理由から不十分な契約内容しか取り交わす事のできない状況を扱います。
さて、少し前置きが長くなってしまいましたが、『企業 契約 金融構造』は、後者の不完備契約の分野で「現代の古典」と称されている必読文献『Firms, Contracts, and Financial Structure』の待望の翻訳書です。著者のOliver Hart(オリヴァ・ハート)米ハーバード大教授は不完備契約理論を切り開いたパイオニアで、本書はハート教授がオックスフォード大で行なった記念講演の講義録に大幅な加筆訂正を行なったものです。原著の出版は1995年とやや古く感じられるかもしれませんが、その内容の多くは、未だに日本の読者には知られていないものばかりでしょう。特に、金融構造とコーポレート・バナンスについて分析した第二部「金融構造を理解する」は実務家の方々にとっても大変示唆に富む内容ではないかと思います。翻訳も自然で、専門書の訳出にありがちな読みずらさはほとんど感じません。
本書の具体的な内容については、目次および冒頭に掲載されている伊藤秀史一橋大教授による特別寄稿文「本書を手にとった幸運な読者に向けて」をぜひ参考下さい。出版社のウェブサイト(こちら)からもご覧頂けます。伊藤教授は、日本を代表する契約理論研究の第一人者です。寄稿文も、単なる書籍内容の紹介に止まらない、大変味わい深い名文となっております。
本書のような、名著中の名著を通じて、一人でも多くの方が企業や金融を巡る新しい経済学の視点に触れて頂ければ幸いです。
おまけ
最後に少しだけ蛇足を。不完備契約理論については、もう4年前になりますが、私もブログ記事「不完備契約の基礎付け」で少しだけご紹介したことがあります。内容は、不完備契約アプローチの理論的正当性を巡るややマニアックなものですが、ご関心のある方はぜひご覧頂ければと思います。「どのような場合に契約を完備(不完備)と看做してよいのか?」「一見すると契約が不完備になりそうな状況でも、うまい方法を使って完備契約を結ぶ事ができるのではないだろうか?」といった疑問を持たれた方には、特にオススメです。
(政策研究大学院大学 安田洋祐)
コメント
良書の紹介ありがとうございます。市場理論(価格理論)、ゲーム理論、完備契約、のそれぞれについても、何かおすすめの本がありましたら教えていただけるとうれしいです。