情報通信政策フォーラム(ICPF)のシンポジウム『情報通信の競争力:国策研究開発の意義』が終了した。シンポジウムで多くのパネリストが繰り返し指摘したのは権威主義の弊害である。いくつか例をあげよう。
ナショナルプロジェクトを大手だからという理由で大企業に委託しても、受託した側は一流の研究者は割り当てない、という指摘があった。これは、大企業が受託をノーリスクと認識し、自らの経費で実施する、リスクをかける自社プロジェクトよりも劣位に位置づけるためである。名だたる大企業がすべて参加していると、あたかもオールジャパンで進めているかのような印象を受けるが、だからといってプロジェクトが成功するわけではない。
研究提案書を公募してその中から優秀な提案を採択する競争的資金配分の仕組みでは、提案書を評価する委員を学会の権威に委ねる場合が多い。しかし学会の権威が1980年代の感覚で提案を選別する結果、古くからの分野ばかりが採択され、新興の研究分野には研究資金が回らない事態が起きている、という指摘があった。これが、わが国では研究開発自体がガラパゴス化している原因の一つになっている。パネリストの一人は、情報通信分野では基礎研究から実用化までが短期間に進み、フェーズごとに目利き役に求められる資質は異なるのに、評価委員は10年以上も固定化している、と指摘した。
「二番で何が悪いんですか」で有名になったスーパーコンピュータについても意見が交換された。スーパーコンピュータ分野では一流の研究者が理研の開発計画は無駄と評価しているのに、ノーベル賞受賞者たちがしゃしゃり出て決定を覆した。ノーベル賞受賞者といってもスーパーコンピュータについては素人なのに権威を振り回すのも、それに屈服するのも問題という指摘があった。科学研究にスーパーコンピュータを使いたいのなら、スーパーコンピュータはもっとも安く手に入れて科学研究に金を回すべきなのに、ノーベル賞受賞者はそんな資源配分も考えられないのだろうか、という意見も出た。
政府の施策は決して失敗しないことになっている。もし失敗すると税金を無駄遣いしていると批判されるために、すべての判断がリスクを回避する方向に向かう。権威の判断にすがったり、著名な研究者や大企業に委託しようというのも、このリスク回避行動の結果である。それでは、いつまでたってもガラパゴスから脱却できない。そもそも研究開発には失敗が付き物で、始める前から成功するか失敗するかなど決められるはずもない。政府による研究開発投資でも絶対安全などあり得ない。だから失敗を税金の無駄遣いと批判するのは避けるべきだ。
それでは、どうしたらよいのだろうか。
一案は評価のプロセスを徹底的に公開することである。事前評価の段階では、個々の提案を個々の評価者がどのように評価したか、その結果、どんな提案が採択されたかを詳細に公表する。事後評価も同様に行う。それを積み上げていけば、信頼のおける評価ができる評価者が次第に選別されていくだろう。政府から研究開発投資を受ける側についても、どの組織は成果を上げることが多く、どの組織は失敗が多いかが、目に見えてくるはずだ。
シンポジウムの様子はICPFのサイトに掲載した。また9月下旬からは無料ネットテレビ「ピラニアTV」で公開されることになっている。
山田肇 - 東洋大学経済学部
コメント
全く同感です。
「評価のプロセスを徹底的に公開することである・・・」は、正論であり、賛成です。特に重要なのは、「個々の評価者がどのように評価したか、・・・詳細に公表する」という点です。抽象的な文言を連ねた内容では意味がありません。
このことは、本テーマである「政府研究開発投資」の分野に限らず、政府、地方行政、など公的な業務では必須ではないでしょうか?なぜなら、同じようなことが、政府、地方行政の分野でも起きているからです。その弊害も「権威主義の弊害」に限りません。「国民のため」「市民のため」などとキレイ事ばかり言って、その実、やることは自分たちの閉ざされた組織や自己保身のためというやり方が、蔓延し、この国を窮地に追い込んでいます。
そこから脱する、最も低コスト、確実な道は、広くは「情報公開」ではないかと思います。その際のポイントは、具体的な内容のわかる情報公開になっていることです。世に、はびこっている格好だけの、「情報公開」をしているという体裁を作るための情報公開ではありません。
税金を使う仕事、公的な仕事は、徹底的に情報公開すべきです。多くの人の目で見て、多くの意見を反映して初めて、真に「国民のため」「市民のため」になり得る可能性が生まれるのではないでしょうか?
今後も、大いに、ご主張を展開していただきたいと思います。