待たれるネット社会の成熟

松本 徹三

私は、ネット利用者がもっと増え、ネットを利用した各種のサービス競争が、もっと活発になることを強く望んでいます。その理由は二つあります。第一には、自分を含めた多くの人々の毎日の生活の効率性がもっと高まり、楽しみが増えるからであり、第二には、「世論」の形成がもっと正しくなされ、それが政治に反映される可能性が期待できるからです。


現状で、日本のネット利用はかなり高く、ブログなどは世界で一番多いようなのですが、本来ネットが持つ潜在力から見れば、まだまだの水準であり、「世論の形成」や「政治への影響力」という点から見れば、まだ入り口のところをウロウロしている程度でしょう。

先回の参院選挙では、米国や韓国並みとまではいかなくとも、もう少しネット選挙の色彩が出るかと思ったのですが、そうはなりませんでした。ネット選挙に興味のある人でも、マイナス面への懸念が多かった故でしょう。ネット社会の未成熟も、大いに反省されるべきです。

私自身は実はネット利用については晩生の方です。1990年代の前半にネットが市民権を得つつあった時、伊藤忠での私の担当は「通信・メディア」で、IT新時代の旗手だった「情報産業本部」との間には壁があり、私が付き合いの深かった人達も、コンピュータ業界の方々ではなく、NTTやNHKの方々(既に殆ど引退しておられますが)が多かったからです。

率直に言って、「ベストエフォートベース」と言われると、当時の私としては、何となく不安を払拭できませんでした。「IPネットワークはコネクションレスだ」などと言われると、「完全にコネクションレスになど出来る訳はない。言うのなら、レス・コネクション(階層が少ない)と言うべきだ」と変なところで反発したものでした。

日常の仕事では、勿論メールはどんどん使うようになりましたが、「ネットサーフィン」などと言われると、「サーフィン」の語感から来る躍動感どころか、苦手意識の方が先に来ました。息子に教えてもらって2チャンネルもちょっと覗いてみましたが、少し気分が悪くなりました。「いじめ」等につながるネットのマイナス面を批判した記事などを読むと、「我が意を得た」と思うことが多かったのも、告白しておかなければなりません。

しかし、4年前にソフトバンクに入ってしばらくして、ライン責任から外してもらうと、自分の時間が相当出来たので、アゴラでもお馴染みの渡部薫さんに手ほどきをして貰って、本気で「ネチズン」になる努力を始めました。当時、たまたまワイヤレスブロードバンド用の周波数免許を2社におろすことで大論争があったので、手始めにこれを契機にしようと考え、きちんと本名を出してネット上での技術論争を試みましたが、ウィルコムの親衛隊と思しき粘着気質の強い人達に絡まれて、危うく祭られるところでした。

(今は、ソフトバンクがウィルコムの救済に乗り出して、毎日ウィルコムの技術屋さんと一緒に仕事をしているのですから、歴史の流れを感じます。)

これ以来、「ネット社会の光と陰」を解析し、「光」の部分を増やして「陰」の部分をなくし、出来るだけ早い時期に(少なくとも自分が生きている間に)、多くの人がネット社会の恩恵をフルに享受出来るようにするという事が、自分のライフワークの一つだとも思えるようになりました。

(因みに、私が「光の道」問題にいれ込んでいるのも、この一環ではありますが、「ネット社会の充実」という観点から見るならば、多くの人が言うように、インフラ問題は比較的マイナーな要素であると言えます。一番重要なのは「意識の改革」、紙メディアやテレビ・ラジオに頼る生活からネットを中心とする生活への移行だからです。しかし、インフラ問題を敢えて軽視する人達の多くは、この「意識改革」の前で止まっており、従って「想像力が働いていない」のだとも言えると思います。)

新聞や雑誌は「紙数」の、テレビやラジオは「チャンネル数」と「時間」の制限を受けますが、ネットにはこの制限がありません。理屈から言うなら、ネットの世界では、誰でもが、いつでも、「世界中に存在する自分の求める全ての情報」や「自分が興味を持つ世界中の人の考え」に接することが出来、自分自身の興味に従って、自分のペースでどんどん深く入っていくことが出来ます。表現方法としては、テキスト、音、静止画像、映像のバラエティーがあり、画像・映像の大きさや文字の表示方法も、時と場所によって選べる事になるでしょう。

最も重要なことは、「自分が毎日接する情報が、新聞社、雑誌社、テレビ放送局等に支配されないで済む」ということです。多くの異なった考えや感性を持った人達の考えを、並列的に知る事が出来、これに対して自分の意見を述べ、場合によっては自分の意見に対する多くの人の反応を知ることも出来ます。この事は、一般の人達にとっても相当の変化ですが、「自分の考えを他の人達に知ってほしい」「出来れば共感し、賛同もして欲しい」と願う人達にとっては、驚くべき変化であり、全く新しい世界が開けることになります。

勿論、人間は「全て自分で選べ」と言われても、途方に暮れるばかりです。玉石混交の膨大な情報の中から「時間を使う価値のあるもの」を選び出すのは至難の業であり、当然「自分が信頼する目利き」のアドバイスが必要となります。グーグルは、「他の人が数多くアクセスしているものこそ、価値があると見做されてよい」という考えに基づき、独自のアルゴリズムでユーザーを一定方向に導こうとしていますが、このグーグル流のやり方が良いか悪いかは別にしても、ネット社会は当然このニーズに対応するでしょう。

私は、昔メディアの仕事をしていた時には、「これからは高齢化社会。有り余る時間を持った人達にとって、テレビの価値は益々高まる」「特に、多くの異なった興味に対応する『多チャンネルテレビの需要』は必ず大きくなる」と考えていましたが、「高齢者も、自ら色々な事に参加し、他の人達と交流したいのであり、一方方向のメディアだけでは満たされない」という事をあまり理解していたとは言えません。この事を考えると、「高齢化社会」と「インターネット」の関係こそ、本来、「これ以上の組み合わせはない」と言ってもいい程に親和性があると思うのです。

しかし、現状を見ると、一般的に言って、高齢者はインターネットがあまり好きだとは思えません。そして、その理由は容易に理解できます。先ず「操作が面倒くさい」、次に「なかなか自分の興味や感覚にあったコンテンツに出会わない」、そして「何となく表示に落ち着きがなく、軽忽で騒々しく感じる」と言ったところでしょうか。

高齢者と言っても様々で、好奇心旺盛な人も居ますが、概ねは自分のスタイルに固執する人の方が多いでしょう。これに対して、ネットの世界は若い人達が中心に育んできた世界であり、その中で、ネット特有の表現方法や交流のあり方というものも、自然に固まりつつあります。これでは、ミスマッチがあるのも当然で、下手をすると、その間の溝は益々深まるでしょう。

ネットの世界は「何でもあり」の世界ですから、当然、ここにマイナス面も相当出てきます。ネットの書き込みは、俗に「便所の落書き」とも言われるように、「世間知らず」「自己中心」「無作法」「恥知らず」がまかり通っています。また、この世界にどっぷり漬かっている人達の中には、恐らく現実の世界では相当孤独であるに違いない「人との普通のコミュニケーションが出来ない人」や「こだわりが強く、しつこい人」「自己中心的で誇大妄想的な人」が、かなり居られるようです。この人達には、精神的にどこで崩れ落ちるか分からない「怖さ」も感じます。

ネットの世界に馴れた人達は、こういう人達を徹底的に無視(スルー)して、彼等が誰からも相手にされなくなって、がっかりして去っていくのを待ちますが、その間、そのサイト自体が荒れて、格が下がっていくことを防げません。特に、新しくネットの世界に入ってこようとした人達は、こういう状況に失望し、面倒くさくなって去っていくでしょうから、ネット社会の外延の拡大の為には、やはり大きなマイナスとなります。

勿論、一番問題なのは、「苛め」です。ネットの世界は子供の世界と同じで、人間の本性がそのまま出ます。子供の世界と同様、誰かが不当に苛められていても、誰もこれを正そうとする人が現れません。ちょっと不用意な発言をした人を、みんなで寄ってたかって罵倒し、しつこくまとわり付くので、この対象とされた人は、場合によっては自殺にまで追い込まれることがあります。

さて、私が今回提言したいことは何でしょうか? 下記にそれをまとめてみましたのでご参照ください。

1)ネット社会の拡大と充実は、人間の精神生活を飛躍的に豊かにする。すでにこの流れは始まっており、昨今の技術革新による「通信回線の高速化」や「高性能で使いやすいタブレット端末」などが、この流れを加速させるだろう。

2)これからのネット社会拡大の最大の鍵は、高年層の取り込みである。これからのネット文化は、多くの異なった価値観をもった人達のそれぞれに対応していくべきだし、その一部が高年層を取り込んでいくのが望ましい。

3)ネット文化の陰の部分の解消には、参加者自身による自浄努力を待つしかないが、様々なルールで運営される様々なサイトが、それぞれに支持者を集めていけば、自浄作用も促進されていくだろう。

4)既存メディアは、ネットを敵視するのではなく、積極的にネットを取り込んでいく努力をすべきである。(ネットを敵視しても、流れを変えることは出来ず、自らの孤立を招くだけである。)また、その過程の中において、これまで多くの批判の対象となってきた「既存メディアの独善性」「閉鎖性」「身内に対する甘さ」といったものも、当然正されていくべきである。

5)こうして、既存メディアがリードし、既存メディアと相補完し合う「適度の統制色をもった有力サイト」が生まれていけば、そのプロフェッショナリズム故に、相当数の支持者を集めるだろう。(各社は、取材力だけでなく、システムの使いやすさと、読者(視聴者)をガイドする「アドバイザーの質」で競いあうべきである。)