米パデュー大の根岸英一教授、北海道大学の鈴木章教授が、リチャード・ヘック教授と共に今年のノーベル化学賞を受賞した。筆者は人が人を評価するこのような賞よりも、人の集合である市場が経済的な利益というかたちで与える客観的な評価の方を尊重したいと思っている。やはり人が人を評価することは大変難しいことであるし、常に政治的な思惑が入り込む。その点、金という単一の尺度で評価する市場というのはある意味とてもよくできたものだと思う。とはいえ、やはりノーベル賞である。その歴史と権威は別格であり、なかでも物理学賞、化学賞、生理学・医学賞は科学分野における最大の栄誉であると考えられている。筆者も同じ日本人が今年はふたりも受賞できて大変よろこんでいる。今回は液晶パネルや医薬品の材料となる有機化合物の画期的な合成方法の開発に対して賞が与えられた。
改めてノーベル賞の過去の受賞者やその受賞分野を見てみると、学問というのは良くも悪くも本当に人間社会を大きく変えるのだということがわかる。物理学でいえば、今日我々が使っている全てのインフォメーション・テクノロジーは量子力学に基づいた電子工学に支えられている。しかし量子力学から生まれた核物理学は原子爆弾も生み出し、それが広島と長崎に落とされ、おびただしい数の人が殺されてしまった。原子爆弾の開発には多くのノーベル物理学賞の受賞者が関わった。また核物理学は原子力発電も可能にし、温暖化ガスを出さないエネルギーとして人類に多大な貢献もしている。
液晶パネルやリチウム・イオン電池やタッチパネルなど、化学の力なくしてはどれも作れない。ノーベル化学賞の多くがこういった身近なハイテク製品に関わっている。生理学、医学によるワクチンや抗生物質の開発は、ウィルスや病原菌との戦いだった人類の歴史に革命的な変化をもたらした。遺伝子の研究は人間とは何なのかという問いに少しずつ答えようとしている。
過去100年ぐらいの間に起こった科学技術の爆発的な発展に、筆者は畏怖の念を感じざるをえない。そしてそれは今でもものすごいスピードで日々進歩しているのだ。科学技術は我々にいったいどんな未来を見せてくれるのだろうか。
経済学も社会に大きな影響を与えた。ノーベル経済学賞を受賞した分野はどれも市場経済の研究に関わるものだが、現在の先進国の統治システムというのは多かれ少なかれこういった市場経済の理論に基づいている。幸か不幸か、その対極の共産思想に基づく計画経済も多くの国で実施された。それはどれも権力が集中した政府の暴走を招き悲惨な結末を向かえてしまった。ロシアのスターリンやカンボジアのポル・ポト、中国の毛沢東など、共産国家の指導者は何百万人、何千万人という自国民を処刑した。物資が常に不足する計画経済による食糧不足の餓死者も含めれば、共産国家が殺した人間は億単位になるといわれる。これは原子爆弾で死んだ人間の数よりゼロの数がみっつほど多い。ある意味、思想というのは極めて危険な代物なのかもしれない。
学問というと大学の退屈な授業を思い浮かべる人も多いかもしれないが、学問というのは実に強烈な変化を人間社会に引き起こしているのだ。むろん全ての分野を深く学ぶことは不可能なのだけれど、大学、あるいは大学院でひとつの分野を深く学び、その分野の人類の知識のフロンティアを見てくるということはとても大切なことなのかもしれない。もちろん本を買って独学するのもすばらしいことだ。
参考資料
ノーベル化学賞、根岸英一氏・鈴木章氏ら3人に、朝日
ノーベル賞、Wikipedia
コメント
お約束だけど、
「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」。
枝葉と言えば枝葉なのですが。本文中の、
「ロシアのスターリン、カンボジアのポルポト、中国の毛沢東など、共産国の指導者は何百万人、何千万人という自国民を処刑した」
というのは誤り、もしくは誤解を招く表現かと。
三者とも自国民の大量虐殺者であるのは確かで、さらにその犠牲者は諸説あってはっきりしませんが、「数千万人処刑」ということはありません。数千万人ともなると処刑ではなく、餓死者のような政治的失敗による死者を含めなければ到達しないありえない数字です。多めの推計でもスターリン、毛沢東、両政権で千数百万人台前半というところ、カンボジアは当時の人口自体が一千万人未満です。
「何百万人という自国民を処刑した」なら毛沢東、スターリンの数字としては推計の中央値の範囲内、ポルポト政権の処刑者は百数十万人とするものが多いですが300万人という説もあるので、妥当な表現と言えると思いますが。
藤沢氏はよくご承知と思いますが、歴史上の共産主義政権の真の恐ろしさは「数百万、千万単位の餓死者を繰り返し出した」という計画経済の根幹的不備の点に求めるべきでしょう。「数千万人処刑」というような「指導者の残虐性」を強調する表現は事実誤認であるだけでなく、計画経済の欠陥という不幸の本質の矮小化につながる不用意な表現と思われます。
>ノーベル経済学賞を受賞した分野はどれも市場経済の研究に関わるものだが、現在の先進国の統治システムというのは多かれ少なかれこういった市場経済の理論に基づいている。幸か不幸か、その対極の共産思想に基づく計画経済も多くの国で実施された。
いえ、違います。純粋な新古典派とか効率的市場仮説とかRBC、メカニズムデザインなどは市場経済というより計画経済との親和性のほうが高いのです。なぜなら「数学」だからです、金融危機では数理オタクの金融マンがB=S式、CAPMなんかを信奉(本人は意識していないだけで、教科書を通じて)していたことが危機発生原因のうちの一です。(最も専業主婦などの個人投資家もその影響という繭の中で)
池田信夫氏は上述するものより、オーストリア学派を推奨していますし、なんだかよくわからないsocial capitalにも目配りしています。
行動経済学なんかも応用次第では、北朝鮮でモテルかもしれません。