人とは何であろうか?私は木から降りたサルの成れの果てと思っている。貴方も、私も、普段難しそうな事ばかり言ってる東大教授も、そして就職出来なくて困っている大学生もだ。大英断で地面に降りた人類だが猛獣に襲われる事も多くさぞ怖かった事に違いない。シベリアにはに2つの穴がぽっかり空いた頭蓋骨が結構転がっているらしい。シベリアタイガーに噛まれたのである。
木から降りた人類が何とか生き残れた理由の一つはサルのDNAを受け継ぎ集団行動をした事だと思う。群れで活動したからこそ子供を産み、育てる事が出来た筈である。言葉を変えれば、サル的「ゲマインシャフト」を継承し、更に人間的「ゲゼルシャフト」に移行した事が、繁栄の礎では?と考えるのである。
しかしながら、最近どうも此の本来誇るべき「ゲゼルシャフト」が変調である。
昨年、マスコミは情緒的に「消えた年金問題」を報じたが、私は此れは地方行政の怠慢と観ている。
戦慄を覚えたのは、昨年7月31日の大阪での2人の幼児が餓死した事件である。無垢な、本来「死」から最も遠い所に居た筈の3才と1才の幼児が母親にマンションに放置され結果餓死したのである。
地方出身の私から見れば、子供の面倒は親が観るもの。事情で、親が観れない場合は親類とか縁者が観る。此れも無理なら施設とか。いずれにしても、子供は丸裸で社会に放り出されてる訳では無く、地域と言う防護服にすっぽり覆われ、守られていると言う認識であった。
大阪の痛ましい事件は、あると信じていた社会のセイフテイーネットが実は存在せず、我々は個人と言う最少単位で社会と対峙せねば成らず、そして社会は今回の犠牲者の様な幼い子供と言う、弱い存在に凶暴な牙を剥き出し襲い掛かると言う残酷な事実を我々に突き付けた。
21世紀が独立した「個人」の時代に成る事は間違い無い。政治も行政もそして古い企業の多くの組織は機能不全と成り、結果解体され再構築されねば成らない。要は、組織に頼る時代は20世紀で終了と言う事だろう。
21世紀の大競争時代は徹底した優勝劣敗の世界であり、結果強い「個人」に拠って構成された組織で無ければあっと言う間に淘汰されてしまう。
問題は、強い「個人」がレガシーとしての「ゲゼルシャフト」を有名無実化し、結果大阪の事件の如く、分断された弱者が狙い打ちされると言う残酷な事実である。
私は、満足な死であれ、不満足な死であれ、老人が1人で死んで行く事に何ら心動かされる訳では無い。個人の問題と思っている。野垂れ死にすら因果応報と思っている。
唯、無垢な子供が犠牲に成った事件には衝撃を受け、動揺し、断じて許容出来ないと強く思った。
考えて見れば、若者達が始終携帯でメールを送り合うのは、彼ら成りに失われた「ゲゼルシャフト」に取って代る「絆」を作ろうとしているのかも知れない。
21世紀のあるべき「ゲゼルシャフト」とは何か?と言うのは難しい問題である。ならば、せめてサルの末裔として無防備な子供達に牙を剥く事だけは無い原始的な「ゲマインシャフト」の制度設計位はきちんとやるべきではないか?
山口 巌
ファーイーストコンサルティングファーム 代表取締役
コメント
>本来誇るべき「ゲゼルシャフト」が変調
各個人が自分の意思で、自分と組織の共存共栄を考えることが常識の社会(実質ゲゼル~)では、年金が消えてしまうような、自分の未来さえ他人任せである人がいっぱいいることを証明する事件や、となりの虐待されるコドモ(や放置されミイラ化する親)でさえ救うことのできないといった、自分のことだけしか頭にない人ばかりだということを証明するような事件や、誰かが寄付を大げさに行なった時だけこれみよがしに一時的にマネしたりといった、普段からいかに自分の考えが無いのかを証明するような出来事が、ほぼ日常的なニュースとして流れるような、愚かな出来事は起きないと思います。あるとしたらそれは’見た目だけゲゼル~の社会’(実質ゲマイン~)ではないかと推測します。