ダボス会議体験記 (3)

岩瀬 大輔

ダボスに到着

大きなスーツケースと共に列車を降り立つと、ダボス・ドルフの駅前はタクシーが数台だけ待っていた。雪は路上に残っており、吐く息は白い。住所を告げると、3分ほど行ったアパートの群が立ち並ぶ場所で車を降ろされた。この地はスキーリゾートであり、この季節は多くの人がスキーを楽しむためにアパートを借りている。

時計の針は23時を過ぎており、あたりは暗いのではっきり分からないが、おそらくここだろうという建物の入り口に立つ。ルームシェアをするはずのCalvinの携帯に電話をかけるが、本人は出ない。

気温はマイナス10度、真っ暗の中、ダボスのアパートの入口で立ち往生。鍵を開けてくれるはずの仲間は、電話を取ってくれない。インターホンはあるものの、どの部屋だか分からない。


少しすると、アパートの前にもう一台、タクシーが泊まって、騒がしいアメリカ人のグループが降りてきた。

「君たちもYGL?」

遠くから声をかけてみると、陽気な声で返事が来た。

「そうだよ!もしかしたら、カルヴィンの部屋に泊まる予定の人?彼らの部屋、分かるから、案内してあげるよ」

助かった!ほっとしながら建物の中に入り、二階にある部屋を案内された。ドアは鍵がかかっていなかった。

“You guys!”

声をかけて部屋に入ると、左側の部屋のベッドにカルヴィンが座っており、向いにはシャワーを出たばかりの、大柄のモザンビーク人がタオルを腰に巻いて裸で立っている。

“Welcome, Dai! I’m Erik”

かくして、これから1週間を過ごす部屋に辿り着き、ルームメイトたちに会うことができた。リビングの大きなベッドにエリックが寝て、僕とカルヴィンは寝室に並べられた二つのシングルベッドにそれぞれ寝ることにした。

しかし、機内で十分な睡眠を取ってきて時差ボケに苦しむ僕は、この日はすぐ隣と向こうの部屋から聴こえてくる大きなイビキに悩まされることになる・・・合宿っぽくて楽しいと思って相部屋を選んだが、男子のイビキがここまで騒がしいとは気がつかなかった。隣のカルヴィンはちゃっかりイヤホンをして寝ている。やむを得ず、iPhone でTwitterを一晩中いじくる羽目になった。

Day 1(2011年1月25日):ヤング・グローバル・リーダーズ

本プログラムが始まる一日前のこの日、僕ら Young Global Leaders は先に集まって丸一日のプログラムをこなすことになっていた。ここでは各自が抱える世界の諸課題について共有するとともに、ディスカッションを通じて team building することが狙いだ。

最初に、8人のYGLがそれぞれの問題意識を5分ずつの短い時間でプレゼンした。

電車で一緒になったベラルーシ出身、イェール大教授の経済学者である アレイ・ツヴィンスキィ は世界の経済環境について、各国がこれまでにない水準の債務を抱えていること、価値観が市場主義から規制重視にシフトしていること、そして金融業界などで過剰規制の恐れがあることから、世界的に経済成長が鈍化し、それは貧困削減にも影響を与えることを指摘した。

次に発表したグーグルの「女帝」、マリッサ・メイヤーは “Bettering the World with Big Data” と題されたプレゼンで、膨大な量のデータが処理可能になった結果、例えば検索履歴と伝染病の伝播の関係を正確にとらえられるようになったことや、米国内での「失業」「住宅ローン返済」などの用語検索履歴と失業率との相関関係を分析して作った「グーグル失業インデックス」などを紹介し、データ分析が様々な政策に役立てられる可能性を示した。余談だが、クレジットカードの履歴を解析することで、2年先の離婚可能性まである程度の精度で分析できるようになったとのこと。

海洋学の専門家で、ナショナル・ジオグラフィック誌の海洋フェローを務めるスペイン人のエンリク・サラは漁業資源が既に戦後3分の1にまで枯渇していることと、このままいくと2050年にはゼロになってしまうとの見通しを示した。そして、400年ごろ2万人が入植し、800年ごろには100人に近くまで減り、全滅したというイースター島の例を挙げながら、我々に対して持続可能な漁業資源の利用を訴えた。

ナイキでCSR担当ヴァイス・プレジデントを務めるイギリスのハンナ・ジョーンズは”Integration of external costs into business models”と題したプレゼンで、世界的な消費の増大に伴いエネルギーや水の資源が枯渇している事実を示し、「どのようにして消費の増加と資源の希少性をデカップルするか」という問題提起をした。

ブラジルでコングロマリットの家業を継いだジル・オットーは、金融機関では女性幹部がわずか15%、ヘッジファンドではわずか3%であることをあげ、「女性は概してリスク管理に優れている」という研究結果を紹介しつつ、「ポートフォリオの分散(diversification)よりも、ファンド運用者の多様化(diversity)の方が重要」という持論を語り、金融危機の反省としての金融機関での女性の登用を訴えた。

インドのビジネススクールで教授職にあるルーベン・アブラハムはこれから数10年単位でのもっとも重要なトレンドとしての「都市化」について話した。中国、インド、アフリカ大陸で、これまでにない規模で市民が地方から都市部に流入する。すでに人口が100万人を超える都市は世界中で400あるが(そのうち160が中国)、今後もこの傾向はますます続く。すると、エネルギーなどのインフラのあり方や教育などのシステム、人々の価値観まで大きく変容していく。これまでとは異なる視点で都市設計をしていくことが必要となる、という趣旨だった。

キッシンジャー・アソシエイツで幹部を務め、米国を代表する中国研究者の一人であるジョシュア・ラモは、キッシンジャー氏が「What is Facebook?」とドイツ訛りの英語で聞いてくるなどの裏話を紹介しつつ、従来の新自由主義に基づいたグローバリゼーションの概念が機能しなくなりつつあることを指摘し、本当に世界を変える思想というのはダボスで論じられるエリート主義のものでなく、広くあまねく人々の心を動かすものでなければならないと、新しい価値観が必要となっていることを主張した。

ボスニア紛争の法廷に立った経験を持ち、シドニーオリンピックでもスピーカーを務めた、国際弁護士の中国系オーストラリア人、ジェイソン・リーは一部の中国のようにGDPの7-8割が国営企業によって動く State Capitalism と言われる国家モデルの台頭によって政府と企業、そして市民社会との力関係のバランスが大きくシフトしつつあることや、大企業が真の意味での社会的責任から逃げようとしていること、NGOなど新たなアクターが台頭していることなどから、新しい時代環境にあった資本主義のありようが問われていることを提起した。

最後に新著の “How to Run the World”(どのように世界を運営するか)という本が話題で、オバマ政権の外交アドバイザーも務めるパラグ・カンナは世界的に見て権力が中央から地方に分権化されていることを示し、従来のように中央に依存した意思決定(例えば国連総会)には依存せず、アフリカ連合やASEANといった具合に地域のアクターがイニシアティブを取っていること、そして場合によっては一国の元首よりも市長の方が力を持ちつつあることを指摘し、今後は「国家作り」よりも「コミュニティづくり」が重要になってくることを示した。

わずか1時間あまりで、これらのアイデアをシャワーのように浴びて、頭がクラクラになった。彼らは800人いる Young Global Leadersのほんの一部に過ぎず、彼らと同じくらい多様な実績を持ち、知恵熱が出そうになりながら、ダボス会議が始まったことを肌で感じていた。

(つづく)