大学入試と経済成長

小幡 績

カンニング事件をめぐって、論争が起きているが、すべての論者の議論は問題外だ。

単なるカンニング事件であり、カンニングは不正であり、それは処罰すべきであり、これまでカンニングを見逃していたとすれば、それは失策であり、今後は、監視を強化する。それだけのことである。

この単なるカンニング事件に対して、そもそも入試が悪いとか、なかなかこの受験生はやるだとか、間違った議論をされるのは困る。だから日本は駄目なのだ。

そもそも、この受験者の行動を合理的と捉えてはいけない。彼はかなり不合理な行動をとっており、この種の事件が続出したのならともかく、この一件だけならば、個別案件、特殊事情であり、議論するに値しない。同時に、彼は、チャレンジャーとしても失敗しており、失敗する以上、ビジネスチャレンジとしては失敗で、優秀なチャレンジャーではない。ゴルゴ13みたいだが、結果を出したチャレンジだけが成功なのだ。

さて、それならここで議論する必要もないはずだが、これだけおかしな議論が出ている以上、まとまった反論をしてみたい。

入試は経済成長にとって重要なのだ。


入試なんてどうでもいいという議論は間違っている。

入学を甘くして、卒業を厳しくすることには意味がない。もちろん1000人入れて、10人だけ卒業させればいいのなら、逆に超エリート教育ができるかもしれないが、普通の帝王学は、少数に候補を絞って、多様な経験をつませつつ、多次元で競争させるのが、後継者養成の一つの方法だ。

その考えに立てば、少なくともエリート養成を目指す大学としては、良質な学生を絞り込んだ上で、家族的なつながりを持ちつつ切磋琢磨するということだろう。

だから、質のいい学生を確保することは至上命題だ。

私の学校はKBSという慶應義塾大学大学院のビジネススクールだが、ここでは、すべての授業がディスカッションで行われるために、一人でもレベルの低い学生、意欲のない学生がいると、議論のレベルが低下する。

次に、何を入試に出すか、ということは極めて重要だ。それを目掛けて学生達が自己投資をするからである。

受験勉強とは自己投資に他ならない。その自己投資が意味があるかないか、ということがポイントだ。

問題の京都大学や東京大学の入試問題は、相対的に言うと素晴らしく、考える、いい学生がほしいと言う気持ちがにじみ出ている。私立は学部によりばらつきがあり、慶應、早稲田でも、学部ごとに教員のレベルや意欲の違いがにじみ出ている。

池田信夫氏も指摘していることだが、数学を入試から外すのはいいことではないが、数学を入れると受験者が激減し、受験料という重要な収入源を失うので、大学側としては怖い。また学生の質から言っても、かなり多くの学生を採る学部にとっては、受験者が減ることは、ボトムのレベルが急低下し、ばらつきが大きくなり、教育の質の大幅な低下となるから、数学に目をつぶっても多くの受験者を確保したいという気持ちはある。

慶應の経済は、なかなか気概のある学部で、入試は数学と小論文が入っており、入学後も、大学レベルの数学が必修で、素晴らしいと思う。早稲田も文科系でも数学で受験が出来、そこは一応の保険になっている。

むしろ問題は、入り口が多様化しており、いわゆる受験を経験していない学生が増えているが、彼らはばらつきが大きく、一概に言えないが、基礎力があまりに足りない学生が多く、やはり入試、受験を経ている学生のほうが企業もゼミの教員もほしがることが多い。

現時点では、各大学が、入試問題を工夫し(年に一回でなく、数回実施することは意味がある)、さらに考える学生を集めたいという意思を明確にし、高校生にさらなる研鑽を要求するシステムにしていくしかない。

小手先の塾、予備校でなく、思考力や論理力を養う予備校が流行るような入試にしていくことが現時点では、セカンドベストの対策であり、それもしなければ、将来の労働力の質が低下し、ますます経済成長は遠のくだろう。

コメント

  1. mggharuka3 より:

     現状、良い悪いは別にして日本の高校生は入試以外の勉強はしないですからねぇ…。

  2. hogeihantai より:

    今日の夕刊やNHKのニュースでもこの事件をトップで扱ってます。それ程大騒ぎするほどの事件でしょうか?ましてや刑事事件として立件するほどの悪質な行為でしょうか。カンニングなどは誰でも自分の周りに一人ぐらいはやった人間を見聞きした経験が有るくらい学生にはありふれた行為です。舞台として難関の京大が使われネット、携帯電話が道具となった事でニューズワージーがあると考えられただけの事です。

    これよりはるかに悪質で糾弾すべき試験に関わる事件が2007年にありました。慶応法科大学の教授が司法試験の直前に試験問題を自分の学生に漏らした事件です。この事件もネットの書き込みで明らかになり報道されましたが、今回の様に大きな扱いではなく、曖昧なまま調査は立ち消えとなりました。入試でカンニングした予備校生。法を司る裁判官や弁護士の資格試験に不正を働く教授。どちらの罪が大きいか自明であります。

    小幡さんは慶応の経済学部をずいぶん評価されてますが、日本の大学の経済学部の授業内容について池田信夫氏は「教科書を読めば4ヶ月で理解できる内容を4年もかけて教えている」と批判されています。慶応の教授陣には池田氏がオカルト経済学だと批判されるリフレ派の学者(複数)がいることも小幡さんはご存知でしょう?大学が学者同士の論争のアゴラとなっていないため曲学の輩が大手を振って闊歩しているのではないでしょうか。福沢諭吉が泣いてますよ。

  3. sumstation より:

    学部での競争があまりなく、他国の学生に比べ勉強しないのはどう思われますか?

  4. sumstation より:

    大学入試が重要なのはいいのですが、日本では過大評価されていると思いますね。浪人して大学入るとか仮面浪人して大学受験するとか馬鹿げていると思いますけど。あと塾や予備校に通ったり。自分の入れる大学に入って、そこで一生懸命勉強してそれが評価されればいいのです。

  5. sumstation より:

    大学入試が経済成長にとって重要というのは怪しい考えだと思っています。大学入試といっても漠然としすぎているので評価のしようが無いですが、例えば大学受験の難易度という指標を構築したとします。この大学受験の難易度と経済成長率はほとんど相関がないというのがわかるんじゃないでしょうか?自分が経験した事がいいと思うバイアスがはいってませんか?

  6. advanced_future より:

    考える力を見るにあたって、特定の時事問題などを用いると受験生の趣向や置かれた環境によって差が出て平等でないので、高校までに習う材料を基に「考える力を見ることのできる試験」を作る必要がある。
    確かに質の良い”高校生”や”大学生”を相対的な評価で選別できるのでしょう。

    大学の立ち位置がそれでよいのかはわかりませんが、現場の教員の声だと思いました。

  7. kemy0x0 より:

    > 小幡さん
    3行目から5行目の意見に関しては賛成だが、
    その他の意見には賛成しかねる。

    そもそも最初の1文はすべての論者に対するものだと誤解を与えかねない。

    KBSの話は外の人からは想像もつかず、意見を支えているとは思えない。
    また、sumstationからのコメントにあるように、バイアスに聞こえる。

    また全体として方向性が見えない。
    誰のために、どんな意図で書いているのか不明。
    そういう文章は自己満足に聞こえる。

    小幡さんは、経歴を見るととても有能な人みたいなので、
    その経歴に頼らず、
    記事一つ、その一つの文章で尊敬され、価値を提供できる人になってほしい。

    不快を与えたようでしたら、まことに不本意です。

    > hogeihantai
    法科大学のお話、自明ですね。
    内容の濃いコメント非常に参考になりました。
    しかし、福沢諭吉の話の意味は!?

    > advanced_future
    考える力を見るに当たって「高校までに習う材料」に限定する必要はないのではないでしょうか。
    たしかにセンター試験(共通一次)の場合は特定の時事問題を出すべきではないと思いますが、
    個々の大学の二次試験においては
    ・時事問題に対する意識を見たければ、凝った時事問題を出せばいいし
    ・専門の的な内容(例えば機械専門の学部・学科なら)で思考力を問うのも良い
    と思う。

    専門的な内容で思考力を問うことは、その専門的な内容への基礎も自分で学ばなければならないため、
    入学時にはある程度レベルになっていることや、主体的な姿勢も身につく可能性があること
    などのメリットもある。

    意見がありましたらメールでお願いします。