今回の地震は渋谷で体験した。次のアポまでの空いた時間を利用する為、喫茶店でPCを開け、メールをチェックしていたら突然ぐらぐらと揺れが始まった。
実は、私は前回の阪神淡路大震災を、被害が最も深刻だった東灘区で経験している。その時の強烈な揺れと比べれば大した事ないので、その時点では気に留めなかった。回りの客の中には、少し不安そうな若い方達も居る事には居たが、概して皆さん平静だったと記憶している。
家族に対してのメールでの安否確認に対し、直ぐに問題ないとの返事もありすっかり安心した事覚えている。
余裕が出て来たのでネットでニュース確認したら震源地は宮城沖と。東京から数百キロ離れた所が震源地!これは大事になると直感的に理解した。
東急田園都市線で帰宅せねばならないのだが、動く気配皆無なので時々ウオーキングで使っている大山街道を西へ西へと只管歩く事にした。
結果、事故とか大した苦労もなく7時間後には帰宅出来た。この経験で確信したのは下記2点である。
第一は日本人の持つ素晴らしいまでの秩序感覚である。まるでこの日の為に何度が予行演習をしたかの如く、皆秩序を保ち実に整然と歩いている。そして、表情もあたかもこの予期せぬ行軍を楽しむかの如く笑顔さえ見られた。取り乱すとかパニックとかの対極である。この高い秩序感覚こそが日本人のDNAに刻み込まれた美徳に違いない。
第二は非日常の部分が大きくなればなる程、ストレスが強くなると言う事だ。梶ヶ谷から宮前平間が運悪く停電で、街は真っ暗。何処を歩いているか良く判らない。おまけに信号機が機能停止なので道路の横断が本当に危険だ。55年生きて来て、初めて信号機の有難味を理解した。
気が付いたら、沢山の人達と歩いていると思っていたが、一人で真っ暗闇の中を歩いていた。冷静に考えれば、道に迷ったのだから一人は当然だし、別に山で道に迷った訳ではないのでどうと言う話ではないのだが何とも言えない不安がむくむく湧き上がったのは、恥ずかしいが敢えて告白する。後、停電でコンビニが見当たらず飲み物と食糧が買えないというのも気を重くした。
幸い、大山道を歩き始めた時に三日月が西の空に掛かっているのを知っていたから、只管三日月を目指して歩いたら宮前平駅に出る事が出来た。ここには電気が来ていて、コンビニのみならずお弁当屋さん、タリーズコーヒー、ファミリーレストランが煌々と明かりを照らしていてまるで別の世界の様に感じられた。
そこから更に1時間程歩いたが、上り坂が多く本来辛い道の筈だが電気が来ていて明かりがあると言うだけで何の不満も不安も感じられなかった。
この経験だけでコメントするのは僭越なのは理解している。
しかし敢えて言わせて貰えば、今後、復旧の過程で仮説住宅の建設とかこの運営の問題が出て来る訳だが、何より大事な事は被災者のストレスを最小化する事だと思う。その為には非日常の部分を可能な限りなくしていくべきと思う。
又、被災者が一人暮らしの老人で子供が東京で暮らしている場合は、子供が引き取り永久か一時的にかは別にして、元の生活基盤の目途が立つまでは同居すべきと思う。これにより行政の負荷も軽減出来る。
次に考えなければ成らないのは被害地の復興である。不幸にも地震と地震による津波により一命を落とされた方の御霊に報いる為にもこれだけは石にかじりついても成し遂げねばならないと思う。
その為の提案であるが、2012年のロンドンオリンピック、2016年のリオデジャネイロオリンピックに続き2020年仙台オリンピックを開催してはどうだろうか?
今回甚大な被害を受けた東北地方を、日本で最も進んだ地域として復興させ、嘗て人類が経験しなかった様な素晴らしいオリンピックを開催するのである。
1945年第二次世界大戦の敗戦と共に、日本は全国が灰燼となり、全ての植民地を失ったが、我々の先輩は灰の中から立ち上がり、僅か20年で新幹線を開通させ、高速道路を建設し東京オリンピックを開催し大成功させた。
2020年迄まだ9年もある。政治に観られるような見苦しい、内輪揉めや足の引っ張り合いを止め、日本人が日本と言う国が一つにまとまれば出来ない筈はないと思う。
山口 巌
コメント
「2020年仙台オリンピック」
これは難しいのではないかと思います。
今回の報道で世界中の人が、「仙台=津波=怖い」というイメージを抱えてしまったでしょう。回復してきたとは言え、スマトラ地震もあの近辺の観光業に致命的なダメージを与え、地震前の状態にはまだ戻っていないと聞きます。冷静に考えれば、一度地震が起きてしまったところは、次の地震のエネルギーが溜まるまでしばらくは安全です。しかし「津波」のイメージを払拭するのは難しいでしょう。
京都大学のセラミックス研究が、ロームや村田製作所等の機能性セラミックス企業を生み出しました。仙台には酸化物エレクトロニクスで世界一とも言える東北大学があります。しかし、現状では東北大学の成果は十分に産業に応用されているとは言えません。東北大学が中心となって酸化物エレクトロニクスのベンチャーを育て、復興の目とするというのはいかがでしょう?
「2020年仙台オリンピック」
これは素晴らしい提案です。まだ気が早いですがw
今回の地震の映像は世界中で見られていると思います。2020年でも2024年でも構いませんからオリンピックなんかの世界的なイベントを仙台で行い日本の「不屈」ぶりをご覧いただくと言うのは、今現在被災して絶望の淵にいる人々に希望を与える事にもなりますし、復興に一つの時間的な目標を持つことにもなります。更に、世界中の人たちの好意的協力が期待できるのも良いところです。
それより、何より、途方もない大災厄の直後にそんな事を提案できるなんて日本の底力の証明で国民全体に勇気を与えてくれます。正に災い転じて福となす構想です。
> 2020年仙台オリンピック
開催できるかどうかはさておいて、これを言い出すこと自体が時期尚早だとおもいます。日本の首都である東京でさえ、戦災からオリンピック開催までには20年かかりました。
> 2020年迄まだ9年もある。
ありません。2013年のIOC総会で経済収益やまでには、たった2年です。それまでに復興の見通しと同時に、世界の候補地と戦うだけのアピールポイントを作り、さらに着いてしまった否定的イメージ(原発、地震)を払拭しないといけません。電力一つをとっても、どうやって工面するの??と疑問です。
さらに東北という土地柄上、オリンピック施設をあちこちにぶっ建てたとしてもそれほど有益に施設が使われる見込みも薄いような気がします。長野の二の舞にならないことが重要だと思います。そういう意味では、広島・長崎の2都市開催のほうがよっぽど現実味があるのでは。
被災者を勇気づけたいという意図は分かりますが、言論人として「仙台オリンピック」と唱うからにはそれなりの根拠立てとビジョンをもって語って欲しいものです。
「仙台オリンピック開催」ーーこのアイデアについて冷静に「無理です」とおっしゃっている方もいます。が、私はこれは「熱意」の問題だと思います、決して無責任な発言ではなく、「そうしたい」「できればいいな」という熱意です。技術てきなことを云々して否定する前に、熱意をかいたい。実現可能か否かの前に、希望が湧きます。うれしい提言ではありませんか。