今回の地震の規模に比べて被害が小さく、人々が整然と行動したことを海外のメディアが「日本人はすばらしい」と賞賛し、それを日本人が引用するのが目立ちます。同様の話は阪神大震災のときも見られ、ある種のステレオタイプでしょう。
もちろんハイチの地震で暴動が起こったことなどに比べれば、日本人の協力的な行動は見事なものですが、他方では過剰な自粛が見られ、テレビやラジオの番組はどのチャンネルも1日中おなじような災害報道で埋まっています。私がツイッターで皮肉をいうと「非常時に政府を批判するのは不謹慎だ」といったコメントがたくさん来て驚きます。
きわめつけは佐藤優氏の「福島原発に関する報道協定を結べ」という記事でしょう。彼は政府が記者クラブと談合して報道管制を敷けという。これ以外にも「翼賛体制の確立を」とか「大和魂で菅直人首相を支えよ」といった記事を連投しており、ファシストの本性を現したというところでしょう。
日本人は石油危機や円高のように外側に敵のある「国難」には強く、驚異的な復元力を発揮します。しかしこのような画一主義が、かつては戦争の道につながり、90年代以降のように敵の見えない時代には問題解決を遅らせてきたことを忘れてはならない。今回も民主党政権は、地震に便乗して補正予算を組み、どさくさまぎれに本予算も通してしまおうという話になっているようですが、にわかづくりの「翼賛体制」は興奮がさめたら壊れてしまいます。
情報管理の面でも、福島第一原発の原子炉建屋の爆発を5時間も隠し、保安院が記者会見で「どの建屋かわからない」などと嘘をつく神経は、民主主義国家の政府とは思えない。このような嘘がばれると、本当に危ないとき国民は政府を信用しなくなります。原発事故の処理が終わったら「非常時」モードはやめ、自然体で震災復興に取り組むべきです。
コメント
>このような画一主義が、かつては戦争の道につながり、90年代以降のように敵の見えない時代には問題解決を遅らせてきたことを忘れてはならない。
日本の不幸は,前近代的な中間諸集団から個人が自立することができる前に,俗流マルクス主義が流入されてしまったことにあるでしょう.だから,右も左も集団の連帯と同質化を至上命題とする全体主義的な志向へと流れる.個人の自由な実験と実践を許容しないこのような社会が自由市場経済体制へどうして移行できようか.
非常事態だとは思いますが、東京近郊に住む身にとっては、とても逆説的な形ですが、日常生活を淡々と送ることが現地の復興を支えることにつながるわけですよね。関東地方南部でもすでに、物流やサービスなど、その他すでにさまざまな形で供給に少しく影響が出ていますが、そのような事象に我々一人ひとりが淡々と対応していく以外にないわけですし。
私も、何も日頃から災害への準備などしていなかったけど、こうなってみて初めてわかったのですが、一昔前に比べるとかなり節電・省エネが自主的に可能になっていることに気づきましたね。液晶テレビやモバイルノートや携帯とかは、一昔まえに比べるとほんとに電力は消費しない便利なプロダクツだと気づきました。気になるのは冷蔵庫くらいか。とにかく停電しても、計画的なものであれば充分になんとかなりそうです。
日本人は普段は「政府は無能」とか言ってるのに、地震とか、サッカーとか、非日常になると日本万歳ですからね。
たとえば僕がツイッタ―で「日本人の半分以上は地震に関係ないんだからバライティ番組も放送してほしい。」とか言ったら不謹慎だって叩かれるのでしょうね。「とんねるずの○○」とかやったら結構視聴率とれますよ。多分。
バライティ番組を放送して、見たい人は見ればいいし、不謹慎だから見ないというのであればそれはそれで構わない。大切なのは選択の自由があることだと思うのですが。
僕は平成生まれですが、「戦争の時もこんな感じだったのかな~」と想像しております。
庶民は困った時はお互い様という考えで行動している。いつかは自分も助けててもらう立場になるから。それは海外でもそうだけど、日本のほうが徹底している。ただそれだけ。
普通の日本人の行動とマスコミや官僚を無理やり結びつけなくてもいいのではないですか?
「バライティ番組を放送して、見たい人は見ればいいし、」
テレビ東京は深夜はアニメを放送したりしていますね。
バライエティを放送しないのは自粛でも何でもなく、単純な市場原理でしょう。今バライエティを放送してもスポンサーが付きません。番組のスポンサーとなるのはただCMを見て欲しいからではなく、企業イメージを高め、自社製品を買って貰いたいからです。今バライエティのスポンサーにでもなろうものなら、「こんなときにこんな番組のスポンサーになるなんてけしからん企業だ」と企業イメージを悪化させるだけでしょう。以上のことから、バライエティを放送しないのは不謹慎だからではなく、単にスポンサーが付かないからだと推測されます。
私も当初日本人を称賛する海外メディアを鵜呑みにしていました。しかし、
①海外メディアが報道してるのは東京の状況であって、東京の被害ははっきり言って大したことがない。この程度で暴動が起きないのは文明国なら当たり前。
②友人が仙台におり、運よく連絡が取れましたが、避難所は食料の奪い合い、ケンカで悲惨な状況とのこと。もちろんすべての避難所がそうとは思いませんが。
日本人の忍耐強さや協調性は誇り高いものですが、避難所や、本当の被災地の状況(仙台はまだましな方)を知らずに、「日本人はすごい」とまき散らすのは事実に基づかない扇動的言動です。願わくば、復興後、本当の被災地でも秩序だった行動が守られていたという話を聞いた上で、日本人の誇らしい行動を世界に伝えたいものです。
> テレビやラジオの番組はどのチャンネルも1日中
> おなじような災害報道で埋まっています。
『公共の電波を利用して、役立つ事をしよう』という考えは理解できますが、せっかく利用するのならちゃんと考えて使用してほしい。『テレビの本気』が全く伝わってこない。例えば携帯電話でもワンセグは見れるのだから、NHKの1個のチャンネルは被災者が見るチャンネルとして『サバイバルノウハウ』をエンドレスで流すとか、被災者以外に向けては地デジで複数チャンネルを持っているんだから、1つのチャンネルで募金の窓口の紹介をエンドレスで流して、通常チャンネルでそれの紹介するとか。献血はタイミングを見計らってと呼びかけるとか(献血の血は3週間程度しか保存しない&1回献血すると3ヶ月くらい間を開けないと次の献血ができないため、献血が一時期に集中してしまうと、それから3ヶ月間献血できる人が少なくなり、血の保存期限が切れる3週間後には血が不足してしまう)
だいたい『節電を』とテレビで呼びかけているが、例えば中国地方の人は節電して意味があるのか。など、テレビを見ていても全く分からない。
『どうすれば災害対応に役に立つか』という視点ではなく『絵になるもの』を追っかけているだけにしか見えない。そんなテレビに対しては皮肉の1つも言いたくなる
≫本当に危ない時に国民が政府を信用しなくなります。
今回は、本当に危なかったのではないですか。
しかし、政府は信用しないが、東電の技術者たちや保安局の技術者たちは信用するしか手段はない。
大事なのは、事実を刻々と報じることではなく、後日で良いから詳細な事実を明らかにすることだ。少し知っている人は、途中で状況を知りたがるが、それは自分の興味本位だけの、知的満足を充足させたいだけの話だろうとおもう。
事故対応している技術者は、報告している余裕等ないことが多いと思う。周辺の住民に危害が及ぶことは即刻事実を明らかにして避難させるべきだが、そのほかのことは、報告より正しい迅速なアクションが唯一必要なことである。
5時間程度辛抱して待つこと位、危険地域から遠い東京の人間には楽なことであるはずだ。
> 日本人は石油危機や円高のように外側に敵のある「国難」
> には強く、驚異的な復元力を発揮します。
これまではそうだったとしても、今回ばかりは、駄目押し。日本が抱えていたさまざまな問題が、この災害で一気に顕在化。不安定な国家、ホームレス、犯罪、自殺者の急増といったことが起こってしまうのではないかと思います。
地域コミュニティがどんどん希薄になり、そのせいで国の仕事が増えてるのに、政府債務で国ができることがほとんどありません。災害復興の名目で大連立で大増税しようとしてるようですが、グローバル化によって働く貧困層が増加する中、果たして国民がもつのでしょうか。
人命救助のために、国はもちろん働かなくてはならないですが、膨大な復興作業による国民負担を考えると、まったくひどい心境になります。
元々政府が流す情報なんて信頼していません。特に自分や家族への影響が大きいとき、将来に対する不確実性に対峙したときなど、政府の情報は危険です。そして東京電力という会社は政府以上に信頼できません。これは彼らの過去の隠蔽体質を見れば明らかでしょう。
仮に政府・東京電力が発する、「放射能漏れの程度」は信頼してはいけません。信頼しないことによって被る損失は少ないと思いますが、信頼したことによって被る影響は破壊的です。
タレブが指摘するように、仮に政府の情報が正しかったとしても、それを信頼して生まれるのはブラックスワン、被爆という取り返しのつかないことが待っているだけです。
「放射能漏れ」という危険で、情報の非対称性が強い分野はもう少し長い期間状況を見極めることが大切です。
> 人々が整然と行動したことを海外のメディアが「日本人はすばらしい」と賞賛し…
私は、これにはふたつの意味があるとおもいます。
1) まず、米国ですと、米国でもこうした事態が起きたとき、 このように行動して欲しいという国内向けのメーセージです。 だって、 日本人でWSJとかNY Timesの社説を読む人は、 多くないでしょう。
2) これは、 キリスト教文化の反映だとおもいますが、 落ちた犬は打たないということです。 また、 落ちた犬が自力で立ち上がろうとする努力を極端とおもえるはどに賞賛します。
パール・バックの津波で家族を失った子供を主人公にした「大津波」という小説もそんな内容でした。
西欧の反応は、 すなおに受け入れたらよいとおもいます。 また、 落ちた犬は打たないというのはよいことだとおもいます。
この様な考え方もあると言う意味では一考に価すると思いますが…最後の一文で台無しです
『隠し』
『嘘をつく』
現時点でこれを裏付ける根拠が現段階では残念ながら無い
遅れたから隠してる
違う事を言ってるから嘘をついた
と短絡的に捉えたとすれば論外
裏付けのない感情論を入れるだけでその文章の信頼性は大きく落ちる
全体的に良い事を書いているだけに残念です
あなたがたは非常時なのに火事場泥棒を働かない、素晴らしいと言われて喜んではいけません。
もちろん外国メディアに他意はないと思いますが、
「当たり前ですから」と言って笑い飛ばした方がいいでしょう。
それから大前研一氏の解説を見ていて気が付きましたが、
当初の報道では死者が「数百人」と言っていました。
身元が確認されないと数が確定されません。
外国メディアはこれで誤解した可能性もあります。
http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ&feature=player_popout
強盗はあまり起こらないけど、
代わりに食料買い占めとか、給油パニックが起こっているし
国民性の違い、起こる事件の違いというだけですね。
きちんと並んで買う、店の商品を買う、
個人個人の行動は犯罪ではないけれど、
数が集まると社会的には迷惑、問題行動。
親記事はともかく、3. komabaneko2のコメが突っ込みどころ満載ですな。
>日本人は普段は「政府は無能」とか言ってるのに、地震とか、サッカーとか、非日常になると日本万歳ですからね。
政府を批判し、サッカー選手を賛美する事の何がおかしいというのだろう。
同じ日本にも、優れた働きをする者もいれば、しない者もおり、それぞれの働きに応じて評価するのは当然と思うが。
日本の政府が無能なら、その他全ての日本人も無能であるとして同一視しないといけないのか?
その理論だと、例えばあるクラスで不出来な生徒が0点を取ったなら、そのクラスにどんなに成績のいい生徒がいても、0点を取った生徒と同様に不出来と見なさねばならない事になるな。
>たとえば僕がツイッタ―で「日本人の半分以上は地震に関係ないんだからバライティ番組も放送してほしい。」とか言ったら不謹慎だって叩かれるのでしょうね。
日本人の半分以上が地震に関係ない?
これほどの大災害なら経済にも影響するし、ほとんどの日本人が無関係ではいられないと思うが。
>「とんねるずの○○」とかやったら結構視聴率とれますよ。多分。
TVが地震を取り上げるのは、それだけ視聴者の関心が集まってて視聴率が取れるからでもある。
震災直後はどう考えても、とんねるずより震災関連の方が視聴率が取れるだろう。
>僕は平成生まれですが、
残念なゆとりの典型例と言ったところか…
> あなたがたは非常時なのに火事場泥棒を働かない、素晴らしい ...
そういえば、 私が育った集落では、 18年間にこそ泥が一回あったきりでした。 このこそ泥事件については、 子供も含めて村人全員が知っておりました。 そろうち、 ころ泥をおかした人の家族は引越してしまいました。
これこそ、 池田先生の好きな複数均衡です。
みんなが盗みをすれば、 盗みをしない人が経済学的には不利になる。 一人だけ盗みをすれば、 罰はきびしい。 私も、 盗みの多い所に移ったら、 この経済法則を実践することにします。
福島県原子力センター (http://www.atom-moc.pref.fukushima.jp/top.html) は、原子力発電所周辺の地域住民の安全を確保するため ・・・ 開設されました。 当センターでは、環境放射能の監視測定、安全確保協定に基づく通報連絡や立入調査のほか、原子力の知識の普及・啓発のための広報活動、環境放射性物質の調査研究(福島支所)を行っています。
ということですが、 一箇所のモニタリング・ポストの2011年03月12日測定値が示されているだけで、 肝心なときに全滅に近い状態です。 日本人がすばらしいかどうかといった、ネボケた議論をしている状況ではないようです。
「日本人はすばらしい」と「福島原発に関する報道協定」には隔たりがあるように感じますが、「福島原発に関する報道協定」に迎合するような流れが実際にあるとすれば、日本の真のジャーナリズムは終局を迎えている思います。この元外交官の歪んだ思想のみに留まる事を節に願っています。