「日本讃歌」―巨大地震は誇れる日本人を証明した!

北村 隆司

美しく整備された農村地帯を、黒々とした濁流が飲み込み、運転中の車や民家などを次々と押し流しながら、内陸へと侵食する恐ろしい場面が、テレビで生中継された。この様子を見て、胸を裂かれなかった日本人はいない。

想定を遥かに超えるこの巨大津波を防ぐ方法は、我々の持つ知恵では未だ見出せていない。然し、強震に襲われた首都圏で、長周期の地震動で高層ビルが大きく揺れながら、崩壊したビルが殆どなかった事実は、日本の防災インフラが世界の水準を抜くレベルにある事を証明した。その様な祖国を持つ日本国民は、自国を誇り、自分の幸運に感謝すべきではなかろうか。


それにつけても、都心の官庁街ではビルを飛び出した人々が,整然と日比谷公園を埋め、交通機関の復旧を辛抱強く待つ群集は、暴徒化するどころか、老人子供に助けの手を伸ばす光景も多く見られたと聞く。ここには、モンスター・ペアレンツやいじめ現象も見られない。これが、眠りから醒めた日本人の本当の姿であれば、日本人も見捨てたものではない。

未曾有の危機に襲われながら、冷静沈着に行動している日本人の映像が世界に流れると、人種、国境を越えた多くの人々の感動を呼んだ。起こって欲しくなかった悲劇ではあるが、久方振りに日本人である事を誇らしく思った瞬間である。

与野党は、一大危機に襲われた日本と日本人をを救うため、政局は忘れ、党派を超えた協力態勢を構築すべきである。「政治休戦」は政治家の急務である。5万円の政治献金問題を、こぞってトップ扱いして政局を煽る事を生業としてきたマスコミの政治部記者は、これ以上国民に迷惑をかけない為にも、職場を離れて被害現場で汗を流すか、自宅待機する必要がある。

9時間近くかけて自宅に戻った友人は、帰宅の途中、車のディラーやガソリンスタンドの人が、トイレの使用や暖かい飲物を無料で提供してくれ、阪神大震災の教訓が生かされていると実感したと言う。日本人の「温故知新」の精神は生きていたのだ。

国民の自主努力だけでなく、 警察・消防や自衛隊など被害対策にあたる政府機関はすべての能力を発揮しなければならない。とくに、自衛隊の活用は復興のキーで、非常時における自衛隊の役割りの重要さに、国民は目覚める時期にも来ている。

日本を囲む財政や安全保障などの実態は、目には見えないとは言え、今回の東日本大地震に並ぶ惨状で、日本はすさまじい危機の最中にある。与野党は党派を超えて、今年度補正予算編成や赤字国債発行に必要な特例公債法案なども早急に処理すべきである。

日本は、第二次大戦後に「戦後経済の復興」と言う命題の下、国民が一致して奇跡の復興を成し遂げた実績を持っている。然し、過去の成功に酔う事無く、他国の成功にも学ぶ必要がある。

例を東西ドイツの統一に取ると、東西の生活水準の落差を埋める処置として、旧西独国民の一定以上の階層に『統一税』を課して、旧東独の同胞の生活救済に踏み込んだ。

菅内閣の施策が行き詰まっているが、これを機に、子ども手当て、農業者戸別所得補償制度、高速道路無料化などを下ろし、災害復旧に予算を重点配分するべきである。不足分は「復興税」と言う目的税を設けてでも、被害者の救済に全力を尽くす事が義務である。

国民は津波の発生場所を選べない。今回被災した東北の住民を始めとする犠牲者の立場に、無傷で済んだ国民がなっても不思議ではないのだ。正に、明日はわが身の可能性が高い現象である。今回の惨事が、日本政治の余りの酷さへの神のが怒りであったとすれば、政治家や官僚の責任は重い。

日本が問われている危機管理は、政治家や官僚だけではなく、国民の危機管理能力も問われている。そのリトマス試験紙の一つが、目的税の許容の可否である。

「一生をかけて建てた自宅は勿論、船などの生活手段も全て失ってしまったが、家族が無事だった事だけでも感謝している」と涙ながらに語る漁民が居るかと思うと、地震発生直後の午後3時の株式大引けでは「保険会社や東北地方に工場があるメーカーなどの株式がいち早く下落する」など、人の不幸を金儲けにする人たちが共存するのも日本の現実である。運は巡るものだ。幸運にも他国が悲劇に襲われた時に救援に廻る事が多かったわが国が、他国の救援の有り難さを感じるめぐり合わせになったのも運命であろう。

1995年1月17日、神戸のサッカーチームとしてヴィッセル神戸が立ち上がろうとしたその日、阪神大震災が起こった。

この困難に面したヴィッセル神戸を勇気つける応援歌として、ファンの一人が「愛の賛歌」の替え歌として作った「神戸讃歌」を聴くと、胸が熱くなる。この感動的な応援歌を真似て、「日本讃歌」を作ってみた。祖国への愛を確かめる為にも、一度口ずさんで欲しい。

『日本讃歌』(原曲・愛の讃歌)

我々の故郷(ふるさと)に
津波が襲ったあの日
どんなことがあっても
忘れはしない
共に傷つき
共に立ち上がり
これからもずっと
歩んでゆこう
美しき山河
我々は守りたい
命ある限り
日本を愛したい
オ… 

国難に面した日本人の反発力を信じて止まない。

北村隆司

コメント

  1. cuique4 より:

    あなたの論調は,「技術大国日本!」とか「原発事故など起こるはずがない!」というのと同じで,ただの驕りと妄信による言説と何ら異ならない.もっと,人間そのもの無知と限界を認めて謙虚になるべきだ.
    加えて,国難に遭遇した時に,民族の至高性や優秀さを賞賛することはかのナチズムと何ら異ならない.一人として同じ顔をした人間がいないのと同じように,「日本」などという抽象名詞で包括して評価できるほど現代の私達は同質性を備えていない.類としての同質性を強調するよりも,個体としての差異性にもっと目をむけるべきだ.唯一性を持った個体を何らかの基準に従って類型化するということは,人為的に「基準を充たすもの/そうでないもの」という切断線を引くこと,すなわち差別化することに他ならないのだから.