今、東京電力を支持している人は世の中に一人もいないようだ。現場の英雄達を除けば、東京電力とは世界最大の犯罪人という扱いだ。
このような雰囲気の中、福島原発事故における危機対応から長期の事後処理対応に変わる局面において、東京電力を潰せという議論が起こる可能性が高い。いや、既に起こっている。
私は、この議論に反対だ。理由は2つ。
東京電力に今回の原発事故の賠償責任をすべて負わせることは、法律違反である。原子力損害賠償法は、異常に巨大な天災地変においては、免責であることを明確に定めており、その場合は全額国が補償することになっている。東日本大震災が異常に巨大な天災地変に当たることは疑いがない。それにもかかわらず、感情論ではなく有識者が冷静に東京電力に賠償責任があると論じるのは、今回の原発事故は天災ではなく人災による二次災害であるとみなしているからである。
この点は私も同意する。事故発生のニュースを聞いた第一感は、全力で冷却するために即海水注入、廃炉など当然というものであった。しかし、海水注入については状況を見守るということになり踏み切らなかった。このとき私は海水注入には別のリスク(予期せぬ化学反応など)があり、かえって危険なのだと思った。ところが、その後の報道では、それはこれまでの開発、原発の設置が無駄になり、再び別のところに原発を置くことは不可能だから、なんとしても廃炉は避けたいと言う思いから、海水注入をためらったということになっている。もしこの報道が事実だとすれば、明らかな判断ミスであり、その責任を取る必要がある。しかし、これは報道ベースであり、慎重な議論が必要である。
仮にこの報道が100%事実だとするとどうか。その場合には、東京電力ではなく、政府に責任がある。この報道が記述していることは、東京電力に事実の隠蔽はなく、事実報告を聞いて、東京電力の意見(希望と呼びたければ呼んでもいいが)を取り入れて、政府が判断したということだ。したがって、判断責任は政府にある。
しかも、政府は事故発生直後の3月11日夕方に、原子力緊急事態宣言をしている。これはすべての権限を内閣総理大臣に集中し、いかなる決定も内閣総理大臣が出来るということであり、逆に言えば、すべての責任は内閣総理大臣にあるのである。
したがって、今回の判断の誤りを東京電力に帰することは、政府を免責することであり、これは今回の事態に対する法律的な判断として誤りであるだけでなく、今後の日本国家の危機管理の改革を阻害することになる。政府が責任を負うべきなのだ。
理由の第二は、この点にある。今から我々は何をすべきか。その観点からは、東京電力の改革以前に、政府の危機管理体制、能力、意思について抜本的な改革が必要であり、そのためにどのような議論をするかということなのである。
今後の原子力政策。電力政策。危機管理政策。国の意思決定、トップ、組織のあり方の改革。それらを東京電力の判断ミスに帰して議論を終えてしまうのが最悪のシナリオなのだ。
組織のガバナンスというのは将来のためにある。必罰であるべきなのは、将来のインセンティブを維持するためだ。責任を取らせなければ、次の危機へ向けて、危機管理をするインセンティブがなくなる。失敗しても責任を取らなくていいからだ。東京電力および現経営陣および社員の将来のインセンティブ、モチベーションはこれからどうなると考えられるか。
東京電力という組織を信用しないのであれば、原子力安全・保安院を信用するのか。経済産業省と資源エネルギー庁に絶対の信頼を置くのか。国の組織となれば、判断ミスはなくなるのか。東京電力は、これまでの原発設置の苦労が大きすぎて、その世界の中で生きてしまい、視野が狭くなり、大局的な判断を誤ったのではないか。これは非常に役人的、官僚的なセクショナリズムではないのか。小役人であったからこそ、あらゆる放射能漏れを回避しようとして、大きなリスクを実現させてしまったのではないか。
一方、民営化し、競争させれば、この人災はなくなったのか。判断ミスはなくなるのか。東京電力は民間として、これまでのコスト、これからのコストを意識したから失敗したのではないか。同時に、今の東京電力には無駄が多いかもしれないが、一方で、命を賭けて守り抜こうという社員、この危機に萎縮しながらも逃げようとはしない姿勢は、民間企業の中でも、営利を強く追求するスタイルの経営の企業には生まれないものではないか。
この事件を受けて東京電力の経営陣、社員はどう思っているのだろうか。彼ら、彼女らは、誰もよりも電力の公共性、重要性、原発のリスク、企業としての社会的使命を感じているはずだ。今後、これをどうやって償っていくか、誰よりも考えているはずだ。原子力関係の技術者も、今後稼働中の発電所をどうやって補強、再構築、運転の改善点、マネジメントの改善点、リスク管理の改革、すべてにおいて、全力で取り組むだろう。このモチベーションを阻害しないほうがいい。代わりの人間達よりも、誰よりも強くこれを意識するはずだ。
もちろん改革すべきでないといっているのではない。経営陣の交代、ホワイトカラーの人員の削減、経営層も窓口もCMもすべてがリストラ対象になるだろう。しかし、闇雲につぶすことが、社会のためになるとは限らない。むしろ逆効果だと思う。政治の責任逃れを助け、感情的な溜飲を下げ、そして、今後の稼働中の原発のリスクを低下させることにならない。
重要なのは、ガバナンスだ。新しい経営陣に誰を選ぶか。選ぶ人を誰が選ぶか。新しい経営陣を今後どのようにガバナンスするか。そちらの制度設計のほうが重要だ。たとえば、全員を首にすることよりも、今後の電源開発部門と実際のオペレーション、リスクマネイジメント部門を切り離すことのほうが重要ではないか。今回の失敗はその意味で予想された失敗である。インセンティブ、組織の設計が間違っていて、電源開発の苦労を背負い込ませすぎていたのだ。それは国家で全責任を負わずに、一民間企業にの住民、地域対策を含めた負担を依存していたことに問題があった。必要なのはオールジャパンで、日本人というチームメイトとともに、将来をどう設計するか、ということなのだ。
小幡 績
コメント
どこの所属の財産か? 東京電力である。 当然、東京電力が全責任を負うべきだ、電気を利用している(購入者)や電力業界を指導している(国)ものが責任を負うのはおかしい。 議論の余地ない事柄ではないのか? それでも東京電力を潰すのは良いことでは無い、それに取って代わる組織は無いのだから、ならばいっそ国有化してはどうか?、私は社会主義には反対だが、現状を打開する為にはこれ以上、東京電力の負担を減らし税金を投入するにも何らかの担保が必要ではないのか?
人災の部分について、首相~監督官庁の責任、だと最初から思っている(いろいろ理由はあげられるが本題に集中するために省略。本文にもその一部が載っているわけだし)し、そう思っている人は少なくないはず。
むしろ、問題は、その場合に市民がどのようにして首相の責任を(参政権とかそういう間接的なものではなく)直截的に追求できるのか。そういう仕組みが皆無な、手の届かない政治であるなら、そのこと自体。
この辺りを明瞭にする(というか、そうだとしたらそれ自体にも責任があると思う。過去の政治・法学・政治学の在り方も含め。)ことがメディアの責任だし、この震災をせめて教訓として生かすチャンスではないでしょうか。
前提条件として、
>この事件を受けて東京電力の経営陣、社員はどう思っているのだろうか。彼ら、彼女らは、誰もよりも電力の公共性、重要性、原発のリスク、企業としての社会的使命を感じているはずだ。今後、これをどうやって償っていくか、誰よりも考えているはずだ。原子力関係の技術者も、今後稼働中の発電所をどうやって補強、再構築、運転の改善点、マネジメントの改善点、リスク管理の改革、すべてにおいて、全力で取り組むだろう。このモチベーションを阻害しないほうがいい。代わりの人間達よりも、誰よりも強くこれを意識するはずだ。
と書かれていますが、本当でしょうか?
原発の現場では、東電社員ではなく、関連会社(=下請でしょう)の社員の人の方が犠牲になっているように、報道を見ると思えます。
本当に使命感を感じているなら、本当に危険な作業は社員がやるべきではないでしょうか?
もし社員が出来ないとすると、原発の作業を下請け丸投げしていたと考えられ、本気で原発のことを考えていたとは思えません。
私はIT系で働いていますが、ゼネコン体質の業界では、常に犠牲は下請けで、大元は反省しないのが常です。
東電が反省しているなら、証拠を見せてほしいです。
え?まるで東京電力にほぼ責任がないような書き方・・・
これまでの東京電力の対応などもちゃんと調べられてのことでしょうか?
まさかこの事故が起こった後の経緯だけで判断されているのでは?
第一、東京電力の位置的に考えても、
誰も保安院だって信用してないし。。
東京電力は既に2008年IAEAより
警告を受けています。にも拘らず、
まずそれを素直に受け入れていない甘さ、落ち度は確実にあり、
そして完全に相当な何かを色々と隠蔽してきいるものがある体質、
それらの全ての対応は罪、反省すべきこと、には全くならないのですか?
人災による二次被害?
単なるそれだけの小さな話じゃないのに、
それだけでスタートしちゃってるこの長たらしい文章、、。
それなのにやたら庇ってますが、何か恩恵を受けられるのかしら?
何よりも被害は終息に向かっているどころか、
放射能の現実を調べれば、被害はまだまだこれから拡大することも分かるはず。
感情的って・・・
ガバナンスだなんだといった言葉だけはやたらと散りばめられているけど、
ご自身はそれこそ今回だけの表面的な遣り取りを取り上げて
そうじゃない、って仰るし…
それを感情的って言うんじゃないの??
こういう文章を堂々と余り出さないで欲しい。
物凄く間違っている事を、
まるでそれが正しい考えの一つであるかのようにさえ見えてしまう。。
思うにきっと、ご自身でカッコイイと思ってる
「ビジネス」をこんな所で振りかざしちゃってる。。
そんな印象を受ける文章でした。
あと・・・これから被爆者が出たときはどうするんですか?
被害者が一人でも出たときに、
会社のモチベーション云々言ってられる話ではいですよ。
少なくても既に農家が大打撃を受けている
(どんなにTVで最小限に○○野菜は大丈夫です、って
報道したって、周辺土地全域に放射能は
降っているのですから)。
これは東電に責任ないの??
やっぱりこの文章、読み返しても所詮「他人事」な感じです。
とても被害者の気持ちや状況どころか、その現実さえ見えていないと思います。
※どちらにしてもちょっとしたそれらしいビジネス用語をつかった「文章」。
「記事」とは言いません。
現状は、賠償法の想定を超えているでしょう。また、政府が最終責任を負うのなら、
政府の責任において東電に責任を負わせればよいだけです。
子供の犯罪の責任を親が負うことと、子供を指導することは別です。
まあ最終的には国費が投入されるのでしょうが、当然ながら東電&株主も責を負うべきです。
・100%減資&国有化、経営責任は株主代表訴訟で追及
・給料の高い方から半分をクビにして、希望者は日給1万円で日雇い再雇用
・原発関連下請けを、ある程度正社員化する
これくらいなら、2兆円程度は投入してもよいと思います。
グレーゾーン金利がそうだったように、法律を適当に解釈して雰囲気で判断するのが
この国の常です。この国では、何が正しいか、は関係無いのです。超法規的措置です。
また、過去50年近くに渡って株主に配分された利益も、その何割かは原発で稼いだものです。
東電の政治力 VS 国民の怒り、どちらが勝つか楽しみです。
基本賛成ですね。
中国ではないのだから、感情論でもって、場当たり的な責任追及を行うべきではない。日本は法治国家である。JRの件でもそうだが、大衆は誰か(社会的立場が高い者)に責任を全て押し付けたくなる。だが、それで何が解決するのか?東電が潰れて、経営陣が自殺し、その家族が借金まみれになることで一時的に「スッキリ」はするだろう。それが「責任」だろうか?
そもそも、そういう感情論に走る人ほど、選挙などに関心もなく、原子力を含めたエネルギー政策などは官僚と政治家の仕事だと思い、何も考えてこなかったのだろう。CO2を削減するためには、火力発電に依存するのはよくない、と言っていた人はどこにいってしまったのか?昨年の夏に福島県知事が3号機のプルサーマル燃料に関してどういう意思決定をして、いくらを交付金としてもらったのか、などということはすっかり忘れ去れている。
こういう非常時だからこそ、感情論で超法規的措置ばかり考えないことが重要だ。戦時中であれば政府が何でもできる権限を与え、法的な根拠などいらないとお考えだろうか!?
安全保障の話と同じ構図かなと思っています。
結局のところ、安全保障にしろエネルギー政策にしろ、国民は見えないコストを負担しても、見えるコストは負担したくないものです。
「原発を即停止しろ」とか聞いていると、「米軍は日本から即撤退しろ」とかいう意見と似たような話だなと思ってしまいます。
政争の具にされて、いつまでも答えが出ない。
オールジャパンで国民的議論を起こす必要があるのは間違いないと思いますが、実はそれを望んでいないのも国民だったりすると思います。
国そのものの設計が「不都合な真実」なのだなとつくづく思います。
結論なきコメントで申し訳ありません。
原発が純粋に市場原理に任せられていたら現在の様に総発電量の3割以上を占めていたか疑問だ。何故なら電力会社や経済産業省が安いという原発の発電コストには疑問があるからだ。政府の原子力予算は1993年以来毎年4500億円を超えている、この殆どが本来電力会社が支払うべきコストなのだ。例えば経済産業省分の1993億円(2009年)のうち1314億円が地元対策費に使われている。
電力会社のはじき出すコストにも、廃炉費、数万年に及ぶ核燃料廃棄物の維持保管費は含まれていない。原発の安全広報費(新聞、テレビ、雑誌のPR)、地元対策費も火力と一緒の丼勘定で原発コストに正しく繁栄されていない。
経済産業省は一貫して原発推進派で税金で原発を支援してきたから電力会社も尻馬に乗っていた面が否めない。政府が進める産業政策は池田信夫氏が指摘する様に全て失敗してきたのだ。今日の朝日新聞で原子力委員会の元専門委員である九大副学長の吉岡斉氏が指摘するよう原子力安全行政は原子力保安院に改組後、経済産業省傘下となりチェック機能を果たさなくし行け行けドンドンの体制となったのだ。
東電は火力と原発を別会社とし政府の原子力行政はチェック機能のみを残し税金の投入は避けるべきだ。市場原理にまかせれば原発は消滅するが可能性充分ある。
まずは、どういう手段で調査していくかですね。
『スリーマイル島原子力発電所事故』
『チョークリバー研究所原子炉爆発事故』
『ウィンズケール火災事故』
などの調査で使われた手法で良いものは積極的に取り入れていくべきですね。
そして国があるていど賠償するのはしかたがないです。そのあと、東電を1回つぶす。そして新しい組織に作り替えて出発する。車の運転で事故を起こした場合、保険に入っていれば賠償金どは支払わくてもいいかもしれないが、免許は取り上げられてしまう。東電も免許取り上げでつぶしてしまい、国が主体で新しい組織に作り替えて再出発。
そうしないと、10年後くらいにまたげ
↑
すみません。PCのキーボードの調子が悪く、なぜか作成途中で送信されてしまいました。
上記文の最後は『10年後くらいに、また原発事故を起こしてしまうでしょう。それは絶対に避けないといけない』です。
日本が法治国家である以上、筆者の仰っているとおりと思います。
行政も司法も、法律上の責任以上には電力会社の責任を追求できませんし、その様に動く事もあり得ないでしょう。
ここはよい機会ですから、原発のリスクをどこまで最小化するのか、またそのリスクとメリットの折り合いをどこでつけるのか、国民全体で、原発立地(候補)地域住民の他人事としてでなく、自分の問題としてしっかり議論して、百年単位で耐えるれる合意を形成することに、全力を注ぐべき時と思います。
> 事故発生のニュースを聞いた第一感は、全力で冷却するために即海水注入、廃炉など当然というものであった。
これはどの時点のことでしょうか? 原子炉の停止時、 非常用交流電源の喪失時、 ESSCの停止時、 燃料棒が露出し始めた時、 これらのいずれでしょうか? これらの事象がいつどのように生起したかについては、 Web上では誤情報が満載です。
また、 海水注入という手段は前もって想定されていなっかたとおもいます。 もし想定されていたとすれば、 消火用ポンプを緊急に使用するという事も無かったと思いますし、 注水口を後から給水ラインに変更するということもなかったと思います。 私には、 海水注入がどの程度技術的に困難であったのか、またその開始時点が妥当であったのかどうか判断がつきません。
原子炉の運転にかかわる重大な事項が人間の即座の判断を必要とするようでは、 原子炉の安全性は保てません。 まして、 それが感にたよるようでは。 感によるいい加減な設計をカンジニアリングといいます。
頭の中には、『マーダーライセンス牙(平松伸二)』のような、桁外れの権力を持ち傲岸不遜で国民など家畜としか思わぬ、報道も政治も自在に操る悪魔じみた幹部の姿ができつつあります。
それを板垣首相が殴り飛ばし、放射能を吐く暗殺者を牙が切り刻むシーンも目に浮かぶようです。
しかし、それは人の心の罠です。
単純に、「人はそんなに賢くない」のです。
そんな有能で、人心や社会を自在に制御できる人、組織など存在し得ないのです。
陰謀論の心地よさには要注意を。
日本が法治国家である以上『電気事業法』に書かれている『公共の利益を阻害すると認めるときは、第三条第一項の許可を取り消すことができる』を適用すべきだと思います。
ニュースでは枝野氏が『福島第1の補償で東電に免責の適用ない』旨の発言をしていますから、かなり厳しい処罰が降りることはほぼ間違いないと思います。許可取り消しもあり得ない話では無いと思います。
いまだに多数の労組を抱え文句を言い続けているJALを見ていると、ちょっと半国営企業の危機管理能力や組織の在り方について甘く見ているところがありませんか。この組織は変わらないという大前提で一から作り上げないと、中途半端に腐敗組織が生き残るのが目に見えてると思うんですが。
原子力損害賠償法は原子力事業者に無過失責任を負わせているので、東京電力の故意や過失について議論してもあまり意味はないと思います。なお、官房長官は、今回の震災は「異常に巨大な天災地変」には当たらないとの見解のようです。たしかに、より震源に近い女川原発が正常に冷温停止に至ったことを考えると、「異常に巨大」とは言えないように思います。同法の趣旨に従えば、東電は潰さずにずっと損害を賠償させ続ける(必要があれば政府資金を投入する)ということになると思います。ちょうど水俣病におけるチッソのように。
soleil_ryokwaさんのご意見に賛同です。
感情論のみで議論することはもちろん論外だと思います。しかしながら先日の下請け作業員による「被ばく」の報道こそが、この会社の素顔を如実に現しているのではないのでしょうか。あれがもしも東京電力の正職員であれば見方も随分変わったと思いますけれども・・・。それが実態です。
津波による災害と明らかに東京電力の過失による原子力災害は明確に線引きするべきだと思います。
安全基準というのは,必要なだけの厳しさとして定められたはずです.自動車の場合は,年に数千人の命が犠牲になることを許す程度です.原発でそんな犠牲を許すことはあり得ませんが,国家的に定められた安全基準を満たしていて生じる事故や犠牲が許容範囲になくても,安全基準が不十分だったとは必ずしも言えません.安全基準は,必要なだけ厳しくすればいいはずです.ただし,何と何を天秤に掛けるかという問題になります.定められた安全基準を満たすのが難しくなれば,やめるしかないし,満たせるなら,原発を受け入れて利益を得る選択肢が存在することになります.
人間は,人を殺す可能性が大きく高まることが分かっていながら,車を運転し続ける神経を持っています.事故一回あたりの犠牲の大きさが社会的には小さく,回数が多くても,全体的な日常性が壊れなければいいということもあし,一回の事故ですべてを失うとしても,確率の小ささに賭けるということもあるわけです.原発の場合も,何らかの計算を成り立たせることになります.
東京電力を潰せというのは感情論にすぎないと私も思いますが、
>東京電力という組織を信用しないのであれば、原子力安全・保安院を信用するのか。経済産業省と資源エネルギー庁に絶対の信頼を置くのか。
どこも責任を引き受けようとしていませんから、現状の法制度ではどこも信用できません。その意味では原子力関連法案を改正して責任を明確化すべきでしょう。幹部のクビがとぶ程度では責任をとったことになりません。
>一方で、命を賭けて守り抜こうという社員、この危機に萎縮しながらも逃げようとはしない姿勢は、民間企業の中でも、営利を強く追求するスタイルの経営の企業には生まれないものではないか。
下請け丸投げのどこにそんな姿勢が見られるのでしょうか。現実を直視すべきだと申し上げておきます。東電や保安院ののらりくらりとした会見を見るにつけ、いざとなったら原子力損害賠償法が守ってくれるからいいやと思っていたのではないかとの疑念がぬぐえません。その証拠に東電の社長は姿も見せずにどこで何をしているのでしょう。苦労しているのは現場のしかも孫請け以下の作業員です。作業中に被爆した作業員も監督が被爆監視機器が壊れていると勝手に決めつけて作業をさせたから事故に巻き込まれたのであり、命を賭けてなど馬鹿でもわかるくらいありえない決めつけです。
政府の責任を追及するのは当然ですが、東電の責任放棄体質も許されてよいものではありません。ことがことだけに全社員に対してペナリティを課すべきだと私は考えています。
東京電力のダメさははっきりしている。
まず、本社と原発関連会社の取締・重役の無給化あるいは、9割の減俸
すべての取締・重役役宅を早急に福島被爆地域の避難民へ提供すること
東京内の高級ホテルを全て借りきり、避難民に提供すること
茨城の農産物をさっさと全量引き取ること
以上が今日からも必要なこと
この程度のこともできない東京電力の中枢と言うのは戦前の陸軍もびっくりのアホ(自称エリート)だらけということになる。
1896年の明治三陸地震津波でも同程度の被害(M8.5、津波38メートル)があったこと、地震は周期的に起こるということを考えるとこれは想定を超えた天変地異だから免責というのはまかり通るべきではない。ただ、「異常に巨大な天災である」といえばそうとも言える。なので純粋に法的見地からすると議論する余地があるのは確かです。私はつい115年前にあったレベルを「異常に巨大」とするのは原発が絶対に事故を起こしてはならないという観点からすると甘すぎると考えます。
ただこの法律自体が狡猾に東電の利益を守るために作られたことは明らかなわけで、法律自体が「過去に例のない予測不可能な天災」とするべきだと思います。
今回は明らかに東電の過失が招いた事故ですのでかなりの割合を東電が数十億円の内部留保を使い賠償するのが当然です。ただでさえ財政が厳しい中巨額の税金を使って保障するべきという主張は東電や原発の利権に絡んでいる人物ではないかと考えるのが自然です。
なかなかトラックバックがOKになりませんので、コメントにしておきます。
いま世の中の人が東京電力(と国)を許せないのは、初動のオペレーションがどうのこうのという瑣末な議論ではありません。小幡績氏の言う第二の理由に至る責任が、東電および国の両方にあると大半の人が考えているからです。
おまけに高い電気料金、電力総連ぐるみの信じがたい給与水準、企業年金、原発アリバイ作りの意図的ヘルツコンバーター未整備による停電、これらすべてに怒り心頭、頭に来てるんですって。なんでおわかりにならないんでしょうね。
以下に、東電と国の「不作為責任」の証拠となるものの一部を列挙しておきます。
“http://www.open.jp/blog/archives/001345.html”
今後は最低でも5年間は IAEAが全面的に介入して運営していくしかないですね。
東電の経営陣総替えが必要です。
ところで、今問題が起きているときに経営陣を替えるというのは今起こっている問題の対処の放棄だという珍説があります。
負け戦の時にはさっさとその指揮官をおろして追放し新しい指揮官に変えなければ、いつまでたっても問題の解決はできません。
バブル崩壊のとき、経営者の責任は後でといってうやむやにした結果、まともな改革はできず、ロスト10イヤーズ(20イヤーズ)の元となりました。
現状の経営陣をそのまま野放しにすることは、自分たちで起こした問題の責任を自分たちで明らかにしなければなりません。そんなことができるくらいなら、今回の事故は起こっていません。
なお、原発は廃止しても、総電力量の2割程度減にすぎず、イギリス、イタリア並みの生活水準にすればよいそうです。原発廃止=電力無し、ではありません。
東電を国有化したら、その体質がもっとひどくなると思うけど、どうなんでしょうね?
今回の事故が起こるまで、原子力損害賠償法について全く知りませんでした。電力会社の莫大な売上高に対して賠償の限度額が1200億円、残りは国(税金)で補助・・・、どう考えてみても電力会社にとって都合良くつくられている法律としか思えません。三権分立が機能していると言い難い日本の法律の健全性など完全に信頼することなどできませんし、法治国家だからというだけで法律が絶対的な効力を持つということにある種の恐怖を感じます。その法の執行の番人とも言える政府機関に、実際自分自身でも法について考慮できるだけの思考力や判断力のある人材がどれだけいるのかということについても不信感を持ってしまいます・・・。国(民)を守るためにあるはずの法律の多くが、実際は時の権力者のためにつくられているという書籍や映画等での話は、やはり事実をもとにしているのか・・・と改めて実感させられました。